春場所が中止になりましたね。
膿を出し切るそうですが、膿を出し切れるのか?昨年の野球賭博の時だって膿を出し切ったのではないでしょうか。
オヤジはやっぱり春場所やるべし派です。
個々の力士にガチンコを誓わせて、力士生命を賭けてやればいいのです。
勿論、疑惑の力士も然りです。ココでまた人目を盗んで八百長をやるのなら大した根性です。
一握りの不祥事を全体の責任に転嫁してしまっては、かつての高校野球と同じです。不祥事が起こると、それが控えであろうと野球部ひいては学校全体で責任を取れと甲子園出場辞退に追い込んだことと何も変わりません。
増してや大相撲の力士は協会に属してはいますが、賞罰のシクミはあくまでも個人の競い合い。一握りのアホに全てが左右されたら、一生懸命やっているヤツがバカをみるだけでなく、結局個の力士の存在価値が曖昧になってしまうと思います。
歴史があるからこそ、そんなにキレイごとだけでは済まない。石原都知事の意見が正しいかどうかは決められませんが、オヤジは一面そのとおりだと思います。
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<慎太郎都知事、大相撲に半世紀ぶり“物言い”「八百長は昔から当たり前」>
スポーツ報知 http://hochi.yomiuri.co.jp/ 2011年2月6日
東京都の石原慎太郎知事(78)は4日の定例会見で、大相撲の八百長疑惑について「(相撲が)日本の文化の神髄である国技だったら、ちゃんちゃらおかしい」と痛烈批判した。作家時代には「八百長がある」と新聞紙上で指摘し、波紋を呼んだこともある石原知事。この日も「昔から当たり前のこと」「だまされて見て楽しんでればいいんじゃないか」とかねてからの持論を展開した。
石原氏は八百長問題について顔を紅潮させながら、こう指摘した。「(八百長は)昔から当たり前のこととしてあったんだよ」。力士暴行死事件、朝青龍問題、野球賭博、そして八百長疑惑…。不祥事が止まらない角界を「(相撲を)日本の文化、伝統を踏まえた日本の文化の神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい」とバッサリ切り捨てた。
作家時代、土俵近くの「ドブ」と呼ばれる記者席で観戦したことがある。そこで聞こえてきたのは、土俵上の力士から発せられた「押せ」という言葉だったという。「誰とは言わないが、八百長やってる力士が『早く押せ』と。力のない大関とか横綱が(八百長を)頼んでても押し切れないと『早く押せ』と。みんなゲラゲラ笑って見てた」
石原氏はかつて大相撲の八百長の存在をいち早く指摘し、物議を醸したことがある。1963年秋場所千秋楽で、横綱の柏戸が大鵬を破り全勝優勝した一番を観戦した時のことだ。八百長の匂いを感じた石原氏は、新聞紙上のコラムで「協会による八百長」などと指摘。それが波紋を呼んだ。
結局は協会に謝罪したが、同じ作家で横綱審議委員会の委員長を務めたこともある故・舟橋聖一氏(享年72歳)からは「(相撲には)『物の哀れ』というものがある」と諭された。そのことで、八百長の存在をより一層強く認識したという。「歌舞伎の大見えを堪能して見るみたいに、だまされて見て楽しんでればいいんじゃないか。そういうものだ、相撲ってものは」
石原氏は、1919年のワールドシリーズで発生した「ブラックソックス事件」も例に挙げ、米大リーグのファンと相撲ファンとの温度差も指摘した。八百長への関与を認めたホワイトソックスのジョー・ジャクソン外野手らが大陪審で八百長を認め、法廷から出てきたところ、少年が「ウソだと言ってよ、ジョー」と叫んだという事件。石原氏は「これはやっぱり悲しい話だけど、子供を含めた今の相撲ファンが『ウソだと言ってよ』というほどのシンパシー(共感・共鳴)はないんじゃないか」と冷静に分析した。
99年に都知事になってからは横綱審議委員の就任要請が2度あったが、いずれも固辞した。「横審にならなくて良かったと思います」。出てくるのは、相撲界への諦めにも似た言葉ばかり。前向きな言葉は一切なかった。
膿を出し切るそうですが、膿を出し切れるのか?昨年の野球賭博の時だって膿を出し切ったのではないでしょうか。
オヤジはやっぱり春場所やるべし派です。
個々の力士にガチンコを誓わせて、力士生命を賭けてやればいいのです。
勿論、疑惑の力士も然りです。ココでまた人目を盗んで八百長をやるのなら大した根性です。
一握りの不祥事を全体の責任に転嫁してしまっては、かつての高校野球と同じです。不祥事が起こると、それが控えであろうと野球部ひいては学校全体で責任を取れと甲子園出場辞退に追い込んだことと何も変わりません。
増してや大相撲の力士は協会に属してはいますが、賞罰のシクミはあくまでも個人の競い合い。一握りのアホに全てが左右されたら、一生懸命やっているヤツがバカをみるだけでなく、結局個の力士の存在価値が曖昧になってしまうと思います。
歴史があるからこそ、そんなにキレイごとだけでは済まない。石原都知事の意見が正しいかどうかは決められませんが、オヤジは一面そのとおりだと思います。
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<慎太郎都知事、大相撲に半世紀ぶり“物言い”「八百長は昔から当たり前」>
スポーツ報知 http://hochi.yomiuri.co.jp/ 2011年2月6日
東京都の石原慎太郎知事(78)は4日の定例会見で、大相撲の八百長疑惑について「(相撲が)日本の文化の神髄である国技だったら、ちゃんちゃらおかしい」と痛烈批判した。作家時代には「八百長がある」と新聞紙上で指摘し、波紋を呼んだこともある石原知事。この日も「昔から当たり前のこと」「だまされて見て楽しんでればいいんじゃないか」とかねてからの持論を展開した。
石原氏は八百長問題について顔を紅潮させながら、こう指摘した。「(八百長は)昔から当たり前のこととしてあったんだよ」。力士暴行死事件、朝青龍問題、野球賭博、そして八百長疑惑…。不祥事が止まらない角界を「(相撲を)日本の文化、伝統を踏まえた日本の文化の神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい」とバッサリ切り捨てた。
作家時代、土俵近くの「ドブ」と呼ばれる記者席で観戦したことがある。そこで聞こえてきたのは、土俵上の力士から発せられた「押せ」という言葉だったという。「誰とは言わないが、八百長やってる力士が『早く押せ』と。力のない大関とか横綱が(八百長を)頼んでても押し切れないと『早く押せ』と。みんなゲラゲラ笑って見てた」
石原氏はかつて大相撲の八百長の存在をいち早く指摘し、物議を醸したことがある。1963年秋場所千秋楽で、横綱の柏戸が大鵬を破り全勝優勝した一番を観戦した時のことだ。八百長の匂いを感じた石原氏は、新聞紙上のコラムで「協会による八百長」などと指摘。それが波紋を呼んだ。
結局は協会に謝罪したが、同じ作家で横綱審議委員会の委員長を務めたこともある故・舟橋聖一氏(享年72歳)からは「(相撲には)『物の哀れ』というものがある」と諭された。そのことで、八百長の存在をより一層強く認識したという。「歌舞伎の大見えを堪能して見るみたいに、だまされて見て楽しんでればいいんじゃないか。そういうものだ、相撲ってものは」
石原氏は、1919年のワールドシリーズで発生した「ブラックソックス事件」も例に挙げ、米大リーグのファンと相撲ファンとの温度差も指摘した。八百長への関与を認めたホワイトソックスのジョー・ジャクソン外野手らが大陪審で八百長を認め、法廷から出てきたところ、少年が「ウソだと言ってよ、ジョー」と叫んだという事件。石原氏は「これはやっぱり悲しい話だけど、子供を含めた今の相撲ファンが『ウソだと言ってよ』というほどのシンパシー(共感・共鳴)はないんじゃないか」と冷静に分析した。
99年に都知事になってからは横綱審議委員の就任要請が2度あったが、いずれも固辞した。「横審にならなくて良かったと思います」。出てくるのは、相撲界への諦めにも似た言葉ばかり。前向きな言葉は一切なかった。