ビール飲みオヤジの日々雑感

ビール飲みオヤジが日々感じる雑感を徒然なるままに。

新幹線雑感

2015年10月09日 | 戯言
オヤジは今まで英国自体も日本と同じ1067mmの狭軌だと思い込んでおりました。
そういえば、英国で鉄道に乗ったこともなければ、英国の鉄道の映像をまともに見たこともないことを今更ながら自覚しました。
元鉄として反省。。。

日本の在来線が狭軌であるのは英国の思惑が絡んでいた、でも結果的に日本の土地の特徴に合致して狭軌で路線が伸長し技術が発達したという考え方は肯けます。

そのために高速鉄道輸送時代に標準軌の新幹線という別路線を作ることになりましたが、明治以来の我田引鉄が昭和から平成の世まで相変わらず引き摺っています。

北海道の新幹線。ようやく函館まで開通も1日10往復で本当にモトがとれるのか?

長崎新幹線もフル規格建設に決まっていますが本当に投資に見合うのか?

北陸新幹線の敦賀以西のルートなどはまさにこれから綱引き合戦の様相です。

既に開通して30年以上の山陽新幹線とて普段は広島を過ぎるとのぞみとて車内は寂しいものです。
小倉から博多までの一区間の自由席が別の意味でやたら混みますけれど。(笑)

確かに新幹線が通っている区間と在来線のみの区間では時間観念が変わります。
東海道、山陽、東北、上越、そして九州、出張日帰り圏の拡大や新幹線通勤といった概念が生まれました。
その点でいえば、北陸新幹線が投資の意味合いがギリギリ出る最後の路線ではないでしょうか。

北海道も札幌まで延びれば少しはと思いますが、劇的な短縮は札幌と函館間の道内移動と、せいぜい空港が街から離れている仙台くらいまでではないでしょうか。
札幌まで延びても1日10本もあれば十分のように思えてなりません。
東京と札幌を直通させてもどれだけ需要があるか、東海道・山陽新幹線だって新大阪で半分以上の乗客が入れ替わります。
延伸の建設費用がいくらかかかるか知りませんが、果たして見合うのかなぁ・・・

------------------------------------------------------------------------------------
<全国新幹線計画は「改軌論」の亡霊>
ヤフーニュース ITmedia ビジネスオンライン配信 http://headlines.yahoo.co.jp/ 2015年10月9日

●杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP。

●「線路の幅」の基礎知識

 「日本は線路の幅が狭い、世界標準ではない」と一般に言われるけれど、この線路の幅という言葉に引っかかる。線路とはレール、枕木、敷き詰めた砂利やコンクリートの地盤をすべて含めたものを指す言葉だ。だから線路の幅は一定ではない。平地では広く、トンネルや鉄橋では狭くなる。一般に言われる「線路の幅」とは、2本1組のレールの間隔を言う。「軌道の間隔」という意味で軌間と称する。

 日本で最初に開業した鉄道の軌間は1067ミリメートルだった。これが現在もJR在来線の軌間として続いている。大手私鉄も採用し、全国に鉄道ネットワークを形成している。1067ミリメートルは半端な数字だけど、メートル法以前の標準だったヤード・ポンド法では3フィート6インチ。1フィートは12インチだから3フィート半。割と切りの良い数字だ。日本では三六軌間とも呼ばれている。

 新幹線と在来線の比較で語られるように新幹線は軌間が広い。スピードを上げて安定走行するためだ。新幹線の軌間は1435ミリメートルである。これはヤード・ポンド法では4フィート8と1/2インチ。欧米の鉄道はこの軌間が標準であり、1435ミリメートル軌間を標準軌という。標準と呼ぶには三六軌間より半端だけど、これは元々、馬車の轍(わだち)の4フィート8インチに由来する。馬車軌道でもこの軌間だったけれど、鉄道ではこれが1/2インチだけ拡大された。高速化して曲線をスムーズに走るために広げたという説が有力だ。

●鉄道開業以来146年間のガラパゴス?

 日本の国営鉄道は開業当初から世界標準ではなかった。私鉄のいくつかは標準軌を採用したけれど、国土を網羅する鉄道ネットワークは狭軌だ。そのために日本は高速化と大量輸送の面で苦労し続けた。新幹線と並行在来線の問題、青函トンネルの新幹線と貨物列車の共存問題などを見れば、それは今日までも及んでいることが分かる。実は、明治時代から三六軌間を採用した後悔は始まっていて、歴史上、何度も改造論が起きている。

 鉄道開業後からわずか15年後に法案が提出され否決。日清戦争後の1896年も検討されたが実現せず。日露戦争後に満州鉄道で標準軌を経験すると、日本国内も世界標準に改めるべしという声が高まった。その後も戦時需要の増大に応じて改軌の要望が出された。しかしすべて否決される。

 改軌論が反対された理由は資金だ。当初は既存の路線を改造するよりも、いち早く新路線を作る必要があると判断された。この考え方は「建主改従」と呼ばれている。そして、日本全国に鉄道路線網が出来上がると、それだけ改造費用も高くつく。「改主建従」をやりづらくなっていった。

 鉄道が旅客列車だけなら、新路線を標準軌で作っても良かったかもしれない。旅客は駅で乗り換えてくれる。しかし、当時の鉄道の主役は貨物輸送だった。貨車を直通させるためには軌間を統一する必要があった。民間の鉄道について定めた地方鉄道法なども狭軌と定められた。将来の国営化を考慮したからだ。

 第二次大戦時、国はとうとう東海道本線に標準軌の新線を作って高速列車を走らせようとした。これは弾丸列車計画と呼ばれ、後に新幹線として結実する。日本の鉄道ネットワークは、1964年の東海道新幹線開業をもってやっと標準軌を手に入れた。現在、全国に新幹線網が構築されつつあり、2016年3月には北海道新幹線も開業する。次は北陸新幹線延伸、九州新幹線西九州ルート、1970年に定められた基本計画路線は日本列島をほぼ網羅する……これは歴史上に何度も現れては消えていった改軌論の亡霊かもしれない。

●三六軌間は英国の目論見だった?

 三六軌間の日本の鉄道ネットワークはIT用語で言う「デファクトスタンダード」ではなかった。ガラケーも、Windows以前のPCも、デファクトスタンダードを見誤り、企業もユーザーも右往左往した。鉄道の教訓を生かせなかったといえる。

 そもそも、なぜ日本の鉄道は三六軌間を採用してしまったか。明確な資料はないという。しかし、当時、英国から鉄道の技術供与を受ける交渉をした大隈重信は、後年「英国の言われるままに三六軌間を受け入れた」と語っている。他の規格との比較検討もせず、アイミツさえ取らなかったと思われる。現代のビジネスでは考えられないことだ。

 ただし、ここで大隈重信を責めては気の毒だ。当時はまだ鉄道の可能性や有用性が確定していなかった。英国は技術の提供だけではなく、資金も援助してくれた。反論する立場も材料もなかった。

 それでは、なぜ英国は標準軌ではなく、三六軌間を日本に提案したのだろうか。これにも諸説ある。三六軌間は標準軌より施設や車両がひとまわり小さいため、費用が安い。費用が少なければ延伸もはかどる。山岳の多い日本の地形では、曲線半径が小さい三六軌間の方が適している。

 英国の本音は、鉄道開業後も設備や車両を売り込みやすくなるからだった。英国を含む欧米では標準軌だったけれど、英国の植民地は三六軌間が標準だった。こうした車両を日本に輸出しようと目論んだ。つまり、まんまと英国規格に乗せられてしまった。

●三六軌間の功罪

 三六軌間の採用と改軌論の失敗を教訓に、日本社会は規格に対して慎重になり、アイミツを習慣としたかもしれない。その意味で、鉄道にとっては不幸だったけれども、その後の日本社会の教訓として役立ったといえそうだ。

 「新幹線開業で日本の国有鉄道は世界標準規格となった」とか「在来線は新幹線に劣る」とか、とかく在来線は格下に見られている。しかし、三六軌間を採用したおかげでメリットもあった。鉄道のガラパゴス化によって、日本は独自に鉄道の技術を発明、発展させて、世界に類を見ないほどの安全性、定時性を作り上げた。

 英国をはじめ、欧米はもっと日本にレールや車両を売りつけようと思っていた。しかし、欧米が予想した以上に日本人は勤勉で、技術の習得が早かった。1893年には蒸気機関車の国産化に成功、1912年には大型機も製造した。1913年には量産型9600形を開発。現在は1台だけ稼働している。JR九州の「SL人吉」だ。1901年に官営八幡製鉄所が国産のレールを製造開始する。

 日本の鉄道網の発展も速かった。日本製のレールと機関車によって、鉄道開業から30年間で約7000キロメートルの路線網を形成した。三六軌間の特性が日本の地形にとって適切だったといえる。それから今日に至るまで、欧米の鉄道産業は日本で大きなチャンスがなかった。市場が閉鎖的という批判もあるけれど、日本は標準軌ではないから、欧米のメーカーは鉄道車両を売りにくい。せいぜい部品止まりだ。

●ガラパゴスから世界標準市場へ

 世界の鉄道車両メーカーが数社に集約されていく中で、日本では独自の鉄道車両メーカーが存続している。そして川崎車両、日立製作所などは海外への輸出もできるようになった。これらのメーカーは、日本の三六軌間に守られ、育まれた。もっとも、裏を返せば、鉄道会社にとって安価な海外製車両を導入しづらくなっていたとも言える。

 標準軌の新幹線の成功も三六軌間が維持された結果といえないか。もし在来線が改軌していたら、東海道新幹線は都市部で在来線に乗り入れたかもしれない。所要時間は増えるけれど、用地買収コストは下がるからだ。新幹線は三六軌間とは相容れないから、独立した路線となり、高速で安全なシステムが出来上がった。

 日本の鉄道史において、三六軌間の採用は失策かもしれない。しかし、だからこそ日本は独自に技術を発展させ、新幹線を作り、標準軌による新たな都市間鉄道ネットワークを作ろうとしている。改軌論の亡霊が復活し、140年以上の三六軌間の呪縛から解放される時がきた。

 もっとも、これは海外メーカーにとってもチャンスだ。日本は新幹線を海外に輸出しようとしているけれど、逆に海外から「日本の鉄道市場を解放せよ」という圧力が高まる可能性もある。新たな改軌論の亡霊は、海外からやってくるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする