1977年春。大学5回生が始まった。
4年間一緒にバカをやっていた連中も、みんな卒業して就職してしまい、まわりに知り合いがいなくなった。
桜が散った後の時期から、時間の流れが急に遅くなり、それに伴い何をするにもヤル気が失せて、四畳半の下宿の部屋に引きこもるようになった。
生活は夕方5時頃起床し、近くの定食屋で晩飯を食べ、下宿に戻って漫然とテレビを見たり、FMやステレオで音楽を聴いたり、読書をしたりギターを弾いたりして徹夜し、午前7時頃朝飯を食べ、それから朝のニュースを見て就寝というパターンだった。
もちろん大学へも繁華街へも行かず、人にも会わず電話することもなく、怠惰で無意味な昼夜逆転の日々を過ごしていた。
そんな生活が嫌だったかというと、全然そんなことはなく、むしろ長い人生の中でこんな時期は二度とはないだろうという思いがあり、ある意味、時の流れのままに自由を満喫していたように思う。
当時高価だったワイルドターキーをチビチビやりながら、ゲルベゾルテの紫煙を燻らせて、SF小説で空想の世界に遊び、雑誌「宝島」でサブカルチャーに触れ、深夜テレビで懐かしい映画を観て、ビートルズやロックに酔いしれていた。
青いカーテンで外界から遮断された四畳半の正方形の部屋は、さながら青春のエアポケットだった。
4年間一緒にバカをやっていた連中も、みんな卒業して就職してしまい、まわりに知り合いがいなくなった。
桜が散った後の時期から、時間の流れが急に遅くなり、それに伴い何をするにもヤル気が失せて、四畳半の下宿の部屋に引きこもるようになった。
生活は夕方5時頃起床し、近くの定食屋で晩飯を食べ、下宿に戻って漫然とテレビを見たり、FMやステレオで音楽を聴いたり、読書をしたりギターを弾いたりして徹夜し、午前7時頃朝飯を食べ、それから朝のニュースを見て就寝というパターンだった。
もちろん大学へも繁華街へも行かず、人にも会わず電話することもなく、怠惰で無意味な昼夜逆転の日々を過ごしていた。
そんな生活が嫌だったかというと、全然そんなことはなく、むしろ長い人生の中でこんな時期は二度とはないだろうという思いがあり、ある意味、時の流れのままに自由を満喫していたように思う。
当時高価だったワイルドターキーをチビチビやりながら、ゲルベゾルテの紫煙を燻らせて、SF小説で空想の世界に遊び、雑誌「宝島」でサブカルチャーに触れ、深夜テレビで懐かしい映画を観て、ビートルズやロックに酔いしれていた。
青いカーテンで外界から遮断された四畳半の正方形の部屋は、さながら青春のエアポケットだった。