★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

あの頃の学生下宿

2014年04月18日 21時07分55秒 | 徒然(つれづれ)
 過去に遡ること40年程、オイルショックの勃発が物価高騰を招き、日本列島改造の終焉を促していた頃、私は京都で大学2年のモラトリアム生活の真っ只中だった。

 今でこそ、学生は小洒落た学生マンションに住むのが普通になっているが、当時は木造モルタルの学生下宿が主流だった。それも四畳半の正方形の部屋で、少ないところで2~3室、多いところになると20室ほどのアパート形式のものまであった。

 私の下宿は2階建てで8室、風呂と便所(バス、トイレとは言わなかった)と冷蔵庫と電話が共同で、京都のいろんな大学の学生が居住していた。
 私の押入れ付四畳半の部屋は、電気コタツを中央に置き、南東角に学習机、その対角線角にファンシーケースを配置していた。机の上には14型白黒テレビ、机の左横には5段の本棚、右横にはモジュラーステレオを置いていた。

 今にして考えると、それだけで部屋は満杯のはずだが、それ以外にもロッキングチェアやギター、木製のラック、玩具屋で買った小さなピアノが存在していた。寝る時にはコタツを横にずらして、ロッキングチェアをその上に置き、布団を敷いていた。

 そんな部屋で男4人が集まり麻雀をやったこともあった。もちろん徹マンである。
 それぞれの横にはカバンや週刊誌、灰皿や缶ビール、おつまみなどが散乱し、ほとんどコックピット状態だった。
 紫煙漂い、FMの音楽が流れ、若い体臭やアルコール臭が充満する中、部屋の狭さはほとんど気にもならず、みんな和気藹々に麻雀に興じていた。
 勝敗が決して夜明け間近になると、コタツに足を入れたまま雑魚寝である。

 昼前に起き出して、近所の喫茶店で定食を食べて、漫画を読みながら時間を潰し、それから私の下宿へ戻りひと風呂浴びて、電車で二駅ほどの居酒屋へ繰り出す。

 終電間近に居酒屋を出て、それぞれの下宿へ帰るか、元気が残っていたら、また私の下宿へ戻り徹マンだ。

 そんな生活が私の懐かしい青春のひとコマだ。
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