毎年この時期になると忠臣蔵に関する話題が出てきます。
BSTBSの「忠臣蔵・女たち・愛」
昨日(2021-12-12)、BSTBSで「忠臣蔵・女たち・愛」1987年の作品の再放送があり、
一部を視聴した。ドラマは1987年に橋田壽賀子・石井ふく子・鴨下信一により
制作されたもので赤穂義士周辺の女たちのドラマが見事に描かれていました。
番組の内容は下記サイトを参照してください。
番組からハイライト場面の写真を何枚か添付しておきます。
上の写真は主君の浅野内匠頭の墓前で吉良上野介(義央)の討ち取りに成功したことを
奉告する大石内蔵助以下の赤穂藩義士の面々。
上の写真は討ち入り前の出陣準備をする赤穂義士。
吉田忠左衛門:大坂志郎、吉田沢右衛門:篠田三郎ほか
上の写真は長山藍子が演じる「さと」大高源吾の行きつけのうどん屋の女将
赤穂市の忠臣蔵所縁の場所
上の写真は2007-10-10撮影の花岳寺
上の写真は大石家長屋門
上の写真は大石神社
宮内庁の赤穂義士に関する資料
2013年12月2日、皇室に伝わる古文書など約39万点を所蔵する宮内庁書陵部の図書寮文庫が、赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関する資料6点を、同庁ホームページ(HP)に初めて掲載されました。
これらの文書は江戸後期から幕末に作られた写本で、明治以降に収集家らから皇室に献上された。
現在ではその情報への宮内庁へのリンクは切れており参照できません。
現在でも参照が可能なものについてはリンクを張っておきました。
1.大石内蔵之助屋敷図
討入りのリーダー大石内蔵助が赤穂に構えていた屋敷の図面。1500石,浅野家筆頭家老の家格がうかがわれる。
2.吉良上野介屋敷図
赤穂浪士討入り時の吉良家の屋敷図。堀部安兵衛,大石主税など,建物を取り囲む各浪士の配置位置が朱字で記されている。下記サイトで確認できます。
吉良邸討ち入りの配置図、宮内庁がHPで公開へ: 日本経済新聞 (nikkei.com)
吉良上野介屋敷図 - 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム (kunaicho.go.jp)
3.浅野内匠頭家来口上書等
大石内蔵助等が幕府に提出した口上書をまとめたもの。浅野内匠頭の勅使馳走役就任,刃傷事件,討入り等が語られている。
4.赤穂浪人御預之記
討入り後の浪士10人を預かった大名毛利家の記録。切腹場の敷設図などもみえる。
5.赤穂義人録
高名な儒学者室鳩巣の代表的著作。討入り直後の時期に,浪士を弁護・賞賛したもの。
討ち入り翌年の元禄16年、儒学者の室鳩巣は、主君への忠義を評価して四十七士を「義人」と呼び、「赤穂義人録」を著した。江戸時代の庶民に人気だった浮世絵などでは「義士」「義臣」と表現。その後、明治天皇が四十七士の墓に勅使を送り、行動をたたえたことも「義士」の評価を高めたという。
一方の「浪士」はどうか。四十七士が吉良邸に討ち入った時、赤穂藩は取りつぶされて既になかったので、彼らの身分は「浪人」。当時の文書には「牢人」の文字も見られるが、「浪」と書くのが一般的だ。江戸期の文書には「赤穂浪人」の表記もあるという。
6.吉良家日記
吉良上野介(義央)など,高家として幕府の儀礼をつかさどった吉良家の日記。
吉良家の菩提寺
吉良家の菩提寺華蔵寺(けぞうじ)の墓所には義安以下、代々の墓が建ち並んでいます。毎年、吉良公の命日である12月14日には毎歳忌法要が行われ、たくさんの参拝客が訪れるといいます。
吉良邸跡
上の写真は本所松坂町公園として一部が残されている吉良邸跡
所在地住所:東京都墨田区両国3丁目13番9号
撮影は2006年頃、私が東京で単身赴任で働いていた時に撮ったものです。
所在地のGoo地図を添付しておきます。
また江戸時代の嘉永年間(1848-1853)に作成された地図上にも吉良邸の位置を
示しました。(下の写真:方角に注意右側が北)
出典:人文社 「まち歩き 江戸東京散歩」(2006)Page88
本所松坂町公園は「忠臣蔵」で広く知られる赤穂義士の討ち入りがあった場所です。
吉良上野介義央の上屋敷のあったところです。
討ち入り当時は約8400平方メートルを占める広大な
屋敷でしたが、年とともに民家が立ち並び今はその面影もありません。
昭和9年(1934)3月に地元の有志が遺跡を後世に残そうと旧吉良邸の一部を購入し
史跡公園として昭和25年(1950)9月、墨田区に移管されました。
周囲の壁は高家肝煎(筆頭)の格式をあらわす海鼠(なまこ)
壁長屋門を模したつくりとなっています。
井戸や稲荷社が中にあります。
吉良上野介義央は江戸城呉服橋門内に屋敷を与えられていたが、刃傷事件後隠居した。
幕府は吉良家に対して呉服橋門内の屋敷を召し上げ代替に本所松坂町に屋敷となった。
2021年赤穂義士祭
例年12月14日に開催されていた「赤穂義士祭」は新型コロナウイルス感染症の影響で
昨年(2020)に続き本年(2021)もパレード、露店販売など会場行事は中止。
義士追慕の祭典及び法要については、大石神社、花岳寺において実施されます。
大石神社では「義士追慕の大祭」、花岳寺では「義士追慕法要」が実施されます。
義士装束をまとった47士が参列し、赤穂城内を練り歩きます。
花火の打ち上げは行われるが時刻は公表されない。
義士祭は明治36年(1903)から開催。終戦直後の昭和20年(1945)~昭和23年(1948)は
GHQの指令で中止されていた。