昨日の続きです。
いよいよ本堂にお詣りと思って、辺りを見回したのですが、コンクリートの台座の上にあがる階段が、正面からは見当たらないのです。
もしかして、通りすがり人間は本堂に直接参拝する事は無理なのかと思いつつ、本堂を見上げていると、作務衣姿の若いお坊さんが現れました。
お坊さんは、幼稚園の向かって歩いて行くところでした。
「スイマセン。本堂に上がっても宜しいでしょうか?」
「どうぞ、お詣り下さい。後ろに階段がありますので、そちらからどうぞ」
と告げ、立ち止まる事も、こちらに視線を向ける事もなく、足早に幼稚園に向かって通り過ぎて行きました。
「はい。ありがとうございます」と、お坊さんの背中に向かってお礼を致しました。師走でもないのに、かなり忙しいようです。
裏に回ると階段があり、登りながら辺りの景色を眺めると、お寺の直ぐ裏を“旧中川”が狭い道路を隔てて流れているのです。
嵩上げをしていなければ、直ぐ水没の危機に瀕する立地条件なのです。
本堂は木造白漆喰。
飾り金具と云い、柱と云い、板と云い、陽射しと、風雪に晒されて変化、変色、腐食、退色して、かなり“劣化”が進んでいます。
劣化と云うよりも、枯れてきたと表現した方が適切かも知れません。真っ白な漆喰と“黒ずん”だ木部との調和が“渋い”です。
こちらは南に面した本堂正面です。
材質は同じ筈ですが、“灰汁抜け”したようで、さっぱり爽やかです。木目に味わいが出ています。
人も、適度に灰汁が抜けると味わいが出てきます。灰汁が強い人間は「あくどい」のです。
風当たり、雨当たり、陽当たり、の差が出ているのでしょう。南側は濡れても直ぐに乾き、他の面はいつまでも湿っている事が原因と思われます。
“灰汁抜け”と書いたところで、何故か突然、“灰汁”気になってしまい、辞書を引いてみました。
【灰汁】
灰を水に浸して取った上澄みの水。炭酸・アルカリ等を含み、汚れの洗い落し、染色などに用いる。
植物中に含まれる渋み、えぐみなどのある成分。「わらびの―を抜く」
肉などの煮汁の表面に浮ぶ白い泡状のもの。
人の性質や文章などに感じられる癖や個性が強すぎてなじみにくい性質。「―の強い人」
○灰汁が抜ける
人の性格・物腰・容姿などに、いやみやあくどさがなくなる。洗練される。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
と、云う事です。
「灰汁が抜ける」から。“垢抜ける”を思いだしました。そこで、また辞書を引きます。
【垢】
活力を失った皮膚の表皮や脂・汗・ほこりの混合したもの。比喩的に、けがれ、よごれ。
【垢抜け】
洗練されること。素人くさくなくなること。野暮くささを脱していること。「都会風に―のした女」「―した腕前を示す」
【垢抜ける】
(垢がぬけてさっぱりとしている意から) 気がきいている。素人臭くない。洒脱しやだつである。いきである。誹風柳多留129「―・けた浅黄行水聞わける」。「―・けた身なり」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
灰汁は内部から発生するので、「抜ける」との表現は納得しますが、垢は表面の汚れですから、「抜ける」よりも、「取れる」の表現が適切だと思うのです。
今まで、「あか抜けている」は、「灰汁」が抜けている事と理解していました。
“灰汁抜け”し、さらに“垢抜け”ている、そんな状態は、何だか、その、チョット・・・・・・、と思うのです。
【正面の折り畳式扉は、日中は畳んでいる為に灰汁抜けしていません】
灰汁も、垢も、すべて抜けきってしまったら、やっぱり、これは、相当に詰まらない人に思えます。
やはり、適度な“灰汁と垢”は、それなりに、個性であり、魅力であると、そう思うのです。
改めて、“灰汁抜けした腰板”を眺め、思いを巡らしてしまいました。
これから、いよいよ、本堂の内部を見学します。
それでは、また明日。