昨日の続きです。
トイレ休憩が終わり、いよ、いよ、後半の対談、質疑応答です。と、ここまで書いて、考えてしまいました。
何が話されたのか、なかなか思い出せないのです・・・・・・。一つだけ覚えているのが質疑応答の場面です。
私の真後ろに座る女性から、
「14歳の子供から人は何の為に生きるのか?と、聞かれた事がありました。もし、お二人が聞かれたとしたらどう答えますか?」
との、質問です。姿は見ていないのですが、話の内容、話し方から、学校の教師のような雰囲気でした。
ここまで書いてきたら、対談場面を思い出してきました。「何の為に生きる」話は後にします。
休憩後、有田氏から話はじめて、森氏の話に対応する内容で、“職質話”に関連して、駅構内でのコインロッカーの使用禁止処置に対する異常さの指摘。
それと、テレビでの報道内容、コメンテーターの発言内容に関して、おかしい、変だ、間違っている、賛成できない、事実誤認だ、一方に偏っている・・・・・・、等々と思った時には、直ぐに局に電話で抗議を入れるべきとの話。
局では必ず、担当ディレクター、司会者、コメンテーターのところに伝わるようになっており、クレームの多いコメンテーターは降ろされるとの事。
諦めず、電話を入れれば、局としても無視する事は無い、それなりに意見は番組に反映されるし、評判の悪いコメンテーターは消えて行くとの事。
そう云えば、“口汚く柄悪く”を“装って”いた、“勝谷・・・何とか”は見えなくなったような・・・・・、まぁ。最近はテレビをあまり見ないからかも。
それで、有田氏の話です。
街頭で話をしていて、「頑張って下さい!」と声を掛けられる事が良くあるが、その時、物足りない思いがするそうです。
「あなたも一緒に頑張りましょう」と、云いたい気持ちになるそうです。
実際には、選挙で応援する“レベル”として、「頑張って下さい応援します」は「選挙であなたに投票します」が、ふつうです。
「頑張って下さい。選挙活動を手伝います」は、なかなか難しいでしょう。政治への関心はその程度が“ふつう”なのです。
それと、そうでした!思い出しました。「オウム」の話です。有田氏と云ったらオウムです。森達也と云ったら、これも「オウム」なのだそうです。
森達也と云ったら、ドキュメンタリー映画「A」・・・オウム真理教を内部から撮った映画・・・、続編の「A2」なのだそうです。知りませんでした。“二人はオウム繋がり”だったのです。
オウムの話になって、やっと対談的な様相になり、有田氏が、警察幹部から後で聞いた話として、「松本サリン事件前後」前後、彼の「身辺調査」に50人の警察官が専従で張り付いていたと事。
そのことから、「松本サリン事件後」警察は「オウム」が怪しいとして、かなりの捜査員を投入して「内偵捜査」を進めていた筈だと云ってました。
それにも関わらず「地下鉄サリン事件」が発生したことに、大きな疑問を感じるとの事でした。
この「オウム泳がせ説」については、森氏からも「地下鉄サリン事件」で、解体決定の「公安調査庁」が復活した話に関連して、事件発生の知らせに、庁内で“歓声が湧いた噂”が語られました。
この「泳がせ説」は、オウム弁護団からも聞いた覚えがあります。歴史の流れが変わるような大きな事件には“謀略”の匂いが漂うのです。
この様な事をまともに云うと、“謀略史観”として、世間一般の常識を逸脱した“怪しい考えの怪しい人”として、まともな仕事に就けなくなります。
お二人も、「泳がせ説」に対しては、ハッキリとした見解は述べませんでした。まともにそんな事を云ってしまったら、マスコミが相手にしなくなります。
謀略説は、最近では米国の「9・11」、そして、米国占領下の下山、三鷹、松川の国鉄関連の3事件です。
下山事件は・・・・・・長くなるのでやめます。
それで、二人の対談ですが、あまり話のやりとりは有りませんでした。講演はなかなか“濃く”なりません。
対談が何となく終わり、質疑応答です。3~4人が、何となく、たわいも無い質問をして、何となく二人が答えていました。
それで、冒頭の「14歳の何のため生きる」質問の件ですが、
森氏が先に、「そう言う質問は、困るんだよねぇ・・・・・・、ふぅ~ん。私にも、ちょうど、14歳の息子がいるので、何て答えるかなぁ・・・・・・・、それを、考えて行く事が生きることかなぁ・・・・・・と、そういうことかと・・・・・・」
有田氏は「参ったねぇ・・・・・・」と、云って、それから何やらしゃべっていたのですか、あまり記憶に残っていません。
私としては、もっと、キッパリと、
「先ず、何でも、かんでも、他人に質問し答えを求めるな! 世の中には、正解は無いのだぁ! 問題や疑問にすべて正解があると思うな! 自分で考えろ! 人それぞれに、それぞれの、答えは見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない、だから、面白いのだぁ! 敢えて云うならば、答えを見つける過程に答えがあるかもねェ・・・・・・」
と、云ってやるのだぁ・・・・・・・と、なんて考えている内に、有田塾は終了してしまいました。
兎に角、最後まで“濃く”なりませんでしたが、私の勝手な期待感に問題があったのかも知れません。
それなりに、有田塾の雰囲気が判り、それなりの2時間半で、それなりに勉強になりました。
たぶん、次回も、有田塾“関連”の話になるかもしれません。
それでは、また。
トイレ休憩が終わり、いよ、いよ、後半の対談、質疑応答です。と、ここまで書いて、考えてしまいました。
何が話されたのか、なかなか思い出せないのです・・・・・・。一つだけ覚えているのが質疑応答の場面です。
私の真後ろに座る女性から、
「14歳の子供から人は何の為に生きるのか?と、聞かれた事がありました。もし、お二人が聞かれたとしたらどう答えますか?」
との、質問です。姿は見ていないのですが、話の内容、話し方から、学校の教師のような雰囲気でした。
ここまで書いてきたら、対談場面を思い出してきました。「何の為に生きる」話は後にします。
休憩後、有田氏から話はじめて、森氏の話に対応する内容で、“職質話”に関連して、駅構内でのコインロッカーの使用禁止処置に対する異常さの指摘。
それと、テレビでの報道内容、コメンテーターの発言内容に関して、おかしい、変だ、間違っている、賛成できない、事実誤認だ、一方に偏っている・・・・・・、等々と思った時には、直ぐに局に電話で抗議を入れるべきとの話。
局では必ず、担当ディレクター、司会者、コメンテーターのところに伝わるようになっており、クレームの多いコメンテーターは降ろされるとの事。
諦めず、電話を入れれば、局としても無視する事は無い、それなりに意見は番組に反映されるし、評判の悪いコメンテーターは消えて行くとの事。
そう云えば、“口汚く柄悪く”を“装って”いた、“勝谷・・・何とか”は見えなくなったような・・・・・、まぁ。最近はテレビをあまり見ないからかも。
それで、有田氏の話です。
街頭で話をしていて、「頑張って下さい!」と声を掛けられる事が良くあるが、その時、物足りない思いがするそうです。
「あなたも一緒に頑張りましょう」と、云いたい気持ちになるそうです。
実際には、選挙で応援する“レベル”として、「頑張って下さい応援します」は「選挙であなたに投票します」が、ふつうです。
「頑張って下さい。選挙活動を手伝います」は、なかなか難しいでしょう。政治への関心はその程度が“ふつう”なのです。
それと、そうでした!思い出しました。「オウム」の話です。有田氏と云ったらオウムです。森達也と云ったら、これも「オウム」なのだそうです。
森達也と云ったら、ドキュメンタリー映画「A」・・・オウム真理教を内部から撮った映画・・・、続編の「A2」なのだそうです。知りませんでした。“二人はオウム繋がり”だったのです。
オウムの話になって、やっと対談的な様相になり、有田氏が、警察幹部から後で聞いた話として、「松本サリン事件前後」前後、彼の「身辺調査」に50人の警察官が専従で張り付いていたと事。
そのことから、「松本サリン事件後」警察は「オウム」が怪しいとして、かなりの捜査員を投入して「内偵捜査」を進めていた筈だと云ってました。
それにも関わらず「地下鉄サリン事件」が発生したことに、大きな疑問を感じるとの事でした。
この「オウム泳がせ説」については、森氏からも「地下鉄サリン事件」で、解体決定の「公安調査庁」が復活した話に関連して、事件発生の知らせに、庁内で“歓声が湧いた噂”が語られました。
この「泳がせ説」は、オウム弁護団からも聞いた覚えがあります。歴史の流れが変わるような大きな事件には“謀略”の匂いが漂うのです。
この様な事をまともに云うと、“謀略史観”として、世間一般の常識を逸脱した“怪しい考えの怪しい人”として、まともな仕事に就けなくなります。
お二人も、「泳がせ説」に対しては、ハッキリとした見解は述べませんでした。まともにそんな事を云ってしまったら、マスコミが相手にしなくなります。
謀略説は、最近では米国の「9・11」、そして、米国占領下の下山、三鷹、松川の国鉄関連の3事件です。
下山事件は・・・・・・長くなるのでやめます。
それで、二人の対談ですが、あまり話のやりとりは有りませんでした。講演はなかなか“濃く”なりません。
対談が何となく終わり、質疑応答です。3~4人が、何となく、たわいも無い質問をして、何となく二人が答えていました。
それで、冒頭の「14歳の何のため生きる」質問の件ですが、
森氏が先に、「そう言う質問は、困るんだよねぇ・・・・・・、ふぅ~ん。私にも、ちょうど、14歳の息子がいるので、何て答えるかなぁ・・・・・・・、それを、考えて行く事が生きることかなぁ・・・・・・と、そういうことかと・・・・・・」
有田氏は「参ったねぇ・・・・・・」と、云って、それから何やらしゃべっていたのですか、あまり記憶に残っていません。
私としては、もっと、キッパリと、
「先ず、何でも、かんでも、他人に質問し答えを求めるな! 世の中には、正解は無いのだぁ! 問題や疑問にすべて正解があると思うな! 自分で考えろ! 人それぞれに、それぞれの、答えは見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない、だから、面白いのだぁ! 敢えて云うならば、答えを見つける過程に答えがあるかもねェ・・・・・・」
と、云ってやるのだぁ・・・・・・・と、なんて考えている内に、有田塾は終了してしまいました。
兎に角、最後まで“濃く”なりませんでしたが、私の勝手な期待感に問題があったのかも知れません。
それなりに、有田塾の雰囲気が判り、それなりの2時間半で、それなりに勉強になりました。
たぶん、次回も、有田塾“関連”の話になるかもしれません。
それでは、また。