武蔵小杉駅より関東労災病院に向かって歩いています。
右手に関東労災病院が見えて来たところで、ふと、左手を見ると、資料館的な建物を発見。
“川崎市平和館”へぇ~、こんな処に、こんなモノがでした。大きく“入館無料”の文字が目に飛び込んで来ました。“無料”に弱いのです。“タダ”なんですから、これはもう、躊躇なく寄り道です。
なかなか立派な建物です。
戦争を考える特別な8月です。拉致問題の関連展示もあるようです。
2階に上がります。何となく、それとなく、焼け跡的な導入部。
川崎は戦前から工業地帯です、軍事工場も多くあり、激しい空襲があり、犠牲者も多かったのでした。
いろいろなディスプレイが並んでいます。
こんなのとか、
こんなのとか、
こんなのとか、
全部を見ていたら先に進めません。すべて横目でチラ見で通り過ぎました。
こちらは、当時のいろいろな戦争関連品が展示されています。
こういう戦争当時の実物展示を見て、辛かった、悲しかった、怖かった、腹へった・・・、何てことを思い出す、そんな世代はもうごく僅かです。
当時を知っているのは、私の親の世代です。私の子の世代、孫の世代は、この展示品を見ることで、平和の大切さを、しっかりと頭に刻み込むことが・・・、何てことは、とても、とても、無理な気がします。
当時を知る高齢者が訪れて、当時を偲び、懐かしむ、単なる“思い出の品”の展示のような・・・。
巻脚絆、いわゆる“ゲートル”です。『少年兵用』の文字に暫く視線を止めてしまいました。少年と兵士の文字が一つに繋がることは、絶対にあってはなりません。でも、いまでも、世界には、少年兵がいるのです。
慰問袋に、何を考えるのか?
招集令状です。昔、昔のお話ではありません。国防軍、徴兵制、命令拒否は死刑、そんな文字が新聞の紙面に載る時代が来てしまいました。
神風手拭い、いまでも観光地で売っています。無邪気に買う時代から、本気で買う時代に?
いろいろな証明書です。
竹槍、国民服、防空ずきん。
この“戦死通知葉書”には驚きました。こんな重大な連絡が、分隊長クラスから、
『拝啓、時下盛夏の候と成りました・・・・・・』
こんな文面で始まる葉書が家族に送られて来ていたとは、とても、不思議な気持ちになりました。
葉書などではなく、それなりの書類で、それなりの文面で、陸軍省とか、海軍省とか、そんな機関から、それなりに公式に伝えられるのか、と、そう思っていたのです。
招集令状のお役所的な書類と比較して、死んだら、こんな葉書一枚しか送られて来ないとは、兵隊は死んでしまえば単なる数字?いや、生きているときも、単なる数字?
平和館が、いつしか、知らないうちに、そっと静かに“戦意高揚館”と、看板が書き換えられていたりして・・・・・・。まったく、有りえないことも無い、今日この頃なのです。
展示品はそのままで、看板を書き換えても、それほど齟齬はないような、そんな気がしたのでした。
それでは、また。
右手に関東労災病院が見えて来たところで、ふと、左手を見ると、資料館的な建物を発見。
“川崎市平和館”へぇ~、こんな処に、こんなモノがでした。大きく“入館無料”の文字が目に飛び込んで来ました。“無料”に弱いのです。“タダ”なんですから、これはもう、躊躇なく寄り道です。
なかなか立派な建物です。
戦争を考える特別な8月です。拉致問題の関連展示もあるようです。
2階に上がります。何となく、それとなく、焼け跡的な導入部。
川崎は戦前から工業地帯です、軍事工場も多くあり、激しい空襲があり、犠牲者も多かったのでした。
いろいろなディスプレイが並んでいます。
こんなのとか、
こんなのとか、
こんなのとか、
全部を見ていたら先に進めません。すべて横目でチラ見で通り過ぎました。
こちらは、当時のいろいろな戦争関連品が展示されています。
こういう戦争当時の実物展示を見て、辛かった、悲しかった、怖かった、腹へった・・・、何てことを思い出す、そんな世代はもうごく僅かです。
当時を知っているのは、私の親の世代です。私の子の世代、孫の世代は、この展示品を見ることで、平和の大切さを、しっかりと頭に刻み込むことが・・・、何てことは、とても、とても、無理な気がします。
当時を知る高齢者が訪れて、当時を偲び、懐かしむ、単なる“思い出の品”の展示のような・・・。
巻脚絆、いわゆる“ゲートル”です。『少年兵用』の文字に暫く視線を止めてしまいました。少年と兵士の文字が一つに繋がることは、絶対にあってはなりません。でも、いまでも、世界には、少年兵がいるのです。
慰問袋に、何を考えるのか?
招集令状です。昔、昔のお話ではありません。国防軍、徴兵制、命令拒否は死刑、そんな文字が新聞の紙面に載る時代が来てしまいました。
神風手拭い、いまでも観光地で売っています。無邪気に買う時代から、本気で買う時代に?
いろいろな証明書です。
竹槍、国民服、防空ずきん。
この“戦死通知葉書”には驚きました。こんな重大な連絡が、分隊長クラスから、
『拝啓、時下盛夏の候と成りました・・・・・・』
こんな文面で始まる葉書が家族に送られて来ていたとは、とても、不思議な気持ちになりました。
葉書などではなく、それなりの書類で、それなりの文面で、陸軍省とか、海軍省とか、そんな機関から、それなりに公式に伝えられるのか、と、そう思っていたのです。
招集令状のお役所的な書類と比較して、死んだら、こんな葉書一枚しか送られて来ないとは、兵隊は死んでしまえば単なる数字?いや、生きているときも、単なる数字?
平和館が、いつしか、知らないうちに、そっと静かに“戦意高揚館”と、看板が書き換えられていたりして・・・・・・。まったく、有りえないことも無い、今日この頃なのです。
展示品はそのままで、看板を書き換えても、それほど齟齬はないような、そんな気がしたのでした。
それでは、また。