歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その4 帝塚山の一夫と

2013年09月04日 | 原節子
一昨日の続きです。

まだ、まだ、飽きずに『めし』の話しを、それなりに事細かに綴ります。

それで、夫が泥酔して醜態を晒した翌朝、胸ポケットの紙幣について問い糾すと、一部は姪の小遣いとしてやると告げられ、どうして、そんなに姪に気遣うのか、単なる姪と伯父の関係を超えている?との疑念と嫉妬を抱くのです。

そして、翌日、小遣いを貰った姪が夜遊びをして遅くなると、亭主は心配して表通りまで向かいに出て、帰り道二人が腕を組み肩を寄せ合う姿を、


彼女は目撃、東京の実家に帰ることを決意。


翌日、竹中の家に東京行きのお金を工面に行きます。竹中の家は大阪の高級住宅地の“帝塚山”に屋敷を構えています。


この竹中の息子とは従妹同士です、互いの両親のどちらかが、当然、兄弟か姉妹の関係と云う事です。


竹中夫婦はどちらも、生まれついての関西人的な描き方で、原節子の母は、どう見ても江戸っ子、そうなると亡くなった父がどちらかと血が繋がっていると、私の推測では、原節子の父が竹中家の主人の弟の設定だと思います。

何か、話しが、ややこしくなってしまいました。本筋とは関係無いのですが、とても気になるのです。成瀬さん、こんな処は、もっと判り易くセリフに入れてください。

それで、もう一つ気になるのは、借金の形に三味線を持って行くのです。画面から明らかに、携帯に便利な“折りたたみ式”の三味線です。

何故?どうして?ここで三味線?それも折りたたみ式? この時代、このような夫婦に三味線はフツウなの? リアルタイムでこの作品を観ていた観客は特に変だとは思わなかった?ここは、そんなに考えてはイケナイところ?  


そして帰り道、お屋敷街を、駅まで送る従兄、

※画面右上の端に“帝塚山”の住所表示が見えます。

時折、肩が触れあい、遠目にはそれなりに訳ありに映る二人。


何か、とても、思わせぶりな会話をかわします。


「切符、買うんなら僕が買っておいてもいいなァ」
「えっ・・・。え~」
「みっちやん、幸福なの」
「どうしてそんな事おっしゃるの」
「気になるからさ」
「かずおさん、あなた、どうして結婚なさらないの」
「女は意地が悪いからゴメンだな」
「うっ・・・」
「今夜、ホントに発つの」
「未だ、分かんないのよ」
「な~んだァ、相変わらずだなァ」
「明日の朝にするわ」
「ホント」

この会話、明らかに従兄の“一夫” 二本柳寛は、原節子の“三千代”に思いを寄せていたと云うか、いまでも、それなりに、思いを残しているのです。

そんな一夫の気持ちに気付きつつ、思わせ振りな態度をして見たり、突き放して見たり、素知らぬ振りをして見たりの三千代。

三千代にも迷いがあるのです。小さな株屋の安サラリーマンの妻で、町外れのボロ長屋で退屈な日々を送るよりも、銀行員で社長の息子で、高級住宅地でお屋敷に住む一夫、それなりにこころは惹かれるのです。

“女は意地が悪いからゴメンだァ”は一般論ではなく、一夫の三千代に対して向けられた発言であり、三千代の結婚までの経緯に絡み、当時、三千代の一夫に対する接し方の曖昧さを批判しているのです。

中途半端で、優柔不断で、思わせぶりで、そんな態度の三千代に、傷を負っていた一夫。それが“な~んだァ、相変わらずだなァ”と、云わせたのです。でも、まだ、こころに秘めている三千代への想い。何か、とても、可哀想です。一夫クンに同情します。


「な~んだァ、相変わらずだなァ」に込められた、一夫の皮肉も含む、いろいろな想い、三千代は分かっているのです。

三千代は「明日の朝にするわ!」と、むっとした表情で答えます。一夫の強烈な一言に“淡い迷い”は吹き飛ばされたのです。


こんな男女の、微妙な駆け引きが、すれ違いが、心のヒダが、60数年の歳月が流れても、とても、とても、面白く、普遍なのです。

それでは、今日のところは、これでお終い。

まだ、まだ、“めし”の話しは続きます。

それでは、また。




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