『斬る』を観ました。
前回の『剣鬼』と同じく、監督が三隅研次で、主演が市川雷蔵のチャンバラ映画です。
『剣鬼』が1965年公開で、『斬る』は1962年の公開ですから、私が12歳の頃の作品です。
映画が斜陽期に差し掛かりつつあった頃かと、後からふり返って見て、1950年代が頂点でしたから、60年代前半の真っ直中では、“ちょっと陰りが”位の認識が、ぼちぼち出始めた頃かも?
それで、『剣鬼』ですが、『斬る』と同じく、ストーリーも判り易く、テンポよく、画面に引き込まれる面白さで、やっぱり!チャンバラ映画はイイ!と思わせる作品です。
後で確認したら、上映時間は、何と、何と、驚きの1時間10分。それなりの物語を1時間ちょっとに、よくもまあ詰め込んだものだと、感心したのでした。
今回も、剣鬼と同じく、主人公には出生の秘密があり、その秘密が不幸を引き寄せ、悲しい結末を向かえるお話。
飯田藩の藩主が江戸屋敷に囲う「妾」に狂い、家来一同が藩の存続の危機として案じるなか、側女中“藤子”が「妾」の命を奪い藩の危機を救う、その藤子が後に主人公信吾の母となるのです。
藩主以外は救世主として考えているのですが、藩主にとっては寵愛する女を殺し憎き犯罪者。藤子を罰する為に、江戸から飯田藩に送られる道中、長岡藩の藩士「多田草司-天知茂身」に寄って奪還されるのです。
この奪還作戦は、殿の正妻、家老、そして家来一同の企てだったのです。妾を殺されて頭に血が上った殿に、冷静な判断が出来るまでの冷却期間を置く策なのでした。
草司と藤子は山奥でひっそりと暮らし、二人の間には子供も生まれ、それなりに幸せな日々、この“子作り”も策のうちでした。母となった藤子です、殿もそうは無碍に極刑を科すことは無かろうと考えたのです。
しかし、寵愛する女を殺された殿、いつまで経っても怨みを抱き続け、一年の歳月の末に遂に藤子は捕らえられ極刑を下されるのでした。
それで、飯田藩主以外は藤子を救世主として考え、打ち首を介錯を引き受ける者が居らず、夫である多田の介錯で藤子は命を絶たれるのでした。
互いに、藩政の混乱を避けるため採った行為、藤子の介錯で藩政が混乱するのは不本意、夫の手により命を絶たれるのは本望と、刀を振りあげた夫に、微笑み送る藤子、しっかり受けとめる多田章吾。
何とも、美しい情愛と云うか、何とも、恐ろしい信念と云うか、正義をつらなく、これぞ武士の鏡? 武士の妻の鏡? 自己の利益の為にでは無く、世のために命を捧げることの美しさ?
ホント! 美しいのですが、怖いのです。そして、藤村志保は怖さを秘めた女優です。
それで、何ですが、藤子の介錯を拒否する「飯田藩士達」です、藩主の怒りが治まって居ないのを知っているのに、隠れ住む藤子を、本気で捜し出すのは、何か変だと思うのです。
飯田藩主が女に狂い藩政を危うくしている話しは、長岡藩主にも伝わり、そうか、それでは、と、藩士多田草司を差し向け奪還作戦を決行したり。
刑の執行後、残された子供は、小諸藩の藩主の計らいで家来に育てさせたりと、飯田藩主以外世間も、周囲の藩も、上から下まで藤子の味方なのです。
そんな藤子を、世間の風に逆らい極刑にするのも変だし、そんな事情が幕府の耳に入らないのも変なのです。耳に入れば藩はお取り潰し、それが為に藤子は妾を殺したのですからね。
それで、飯田藩の藤子と長岡藩の多田と間にできた子供は、小諸藩の家臣の手に寄り育てられ、立派に成人するのでした。この飯田藩、長岡藩、小諸藩の関係がよく判りません。
成人し立派な武士となった“信吾(市川雷蔵)”は、突然、“何となく”諸国を巡る旅に出たいと云いだし、父も、藩主も、「不幸な運命の子」だからと、旅に出させて貰えるのです。
3年間諸国を巡り戻った信吾、何故か何処かで剣術の技に開眼していたのです。開眼する過程はよく判らないのです。兎に角、剣の達人になって返って来たのです。
そして、剣の技は不幸を招くのです、剣の“技”が“禍して”育ての親と「妹」を殺されてしまうのです。虫の息となった「父」から、出生の秘密を明かされる信吾。
信吾は直ぐに下手人を追いかけ、一瞬にして二人の下手人を切り捨てるのです。
この時の市川雷蔵の殺陣は見事でした。一瞬で二人を倒すのです、あまりの速さに、一度観ただけでは、何が起きたか理解できませんでした。
3度くり返して見て、やっと、刀さばきが解ったのです。私が高齢者で動体視力が落ちたこともありますが、それにしても、見事な刀さばき、市川雷蔵は凄い!と、ホントに、ホントに、感服した次第。
そして、父と妹の敵を討った信吾は、故郷を捨て旅に出るのでした。そして、いろいろあって、幕府の高官のボディガードとなり、攘夷で暴れ回る水戸藩に高官と乗り込みます。
幕府の命に従うよう説得する渦中、水戸藩の謀略に嵌り高官は虐殺され、信吾も高官の傍らで切腹自害で、物語は幕を閉じます。
それにしても、冒頭で“妾”に短剣で斬りかかった藤子を観たとき、あれ、この女優は誰だっけ、見たことがある、でも、誰? 暫くして、藤村志保と気が付いたのです。
晩年の藤村志保しか知らなかったのです。このときが映画出演の第二作目で、まだうら若き23歳でした。それでも、単なる美人女優ではない演技です。
それと、市川雷蔵ですが、この時、32歳と若いです、そして、この作品の5年後に亡くなります。
もう一つオマケに、ちょっこし映画の絶頂期を調べて見たら、制作本数を指標とすると、1960年が公開本数が547本で最高で、スクリーン数も7457で最高でした。
と、云うことで、市川雷蔵のチャンバラ映画は最高でした。
それでは、また。