夏休みなのですが、忘れないうちに、思い立ったうちに、ひとこと綴ります。
天皇陛下の生前退位・譲位なのですが、いろいろと、これから、論議を呼びそうです。と云うか、論議する必要があり、注視する必要があります。
8月8日の発言以降、いろいろな立場から、いろいろな意見が、少しずつ、静かに、マスコミの話題になったのですが、リオのオリンピック騒ぎで、かき消されているようです。
そして、また、安倍政権としては、現段階では、政治日程としては、あまり騒がれたくない、そっとしといてほしい、制度は弄りたくない、忘れてほしいと考えているようです。
8月8日の発言の後、安倍総理のぶら下がり会見の“態度”には、彼の、そして、“天皇制”を支持する人達の、ある考え方が現れていました。
世の中の、天皇制への、今上天皇への思いは、
①今上天皇を敬愛し、その事で自然な感情として、政治体制として意識することなく象徴天皇制を受け入れている人達。世の中の多数はここに位置していると考えます。
②今上天皇を敬愛し、その事で自然な感情として、政治体制として意識して、象徴天皇制を受け入れている人達。
③今上天皇を敬愛し、天皇制を政治体制として意識することなく、象徴ではなく、元首として受け入れることも、それほど問題にしない人達。
④今上天皇を敬愛し、天皇制を政治体制として意識して、象徴ではなく、元首として、憲法で定めることを望む人達。
⑤天皇個人よりも、政治体制として、国家として、国体として、国民主権ではなく、天皇主権を、帝国憲法を、その復活を望む人達。
⑥当然、⑤の対極に位置する、天皇制をまったく認めない方達。
と云う、大雑把にも、大胆に、六つのタイプに分類してみました。
①から⑤までは、敬愛の強弱、政治体制としての意識、無意識、象徴と元首との違いに対する、理解と無理解、いろいろな思いと思惑が、境目なく、グラデーション状態として存在していると考えます。
自民党の改憲草案では、天皇を「元首」としています。象徴では地位が曖昧で、不安定で、“いざと云う時”に、国家として統制がとれないと考えているのです。
自民党は①の多数派は、特に大きな抵抗もなく、元首化に賛成させることが可能と考えているようです。
自民党は、元首化の先に天皇主権を見据え、究極的には帝国憲法の復活を目指している人達がかなり存在するのです。また野党にも同調する方々が多数存在しています。
そもそもです、国会議員になられる方は、権力志向が強く、支配したがる方々ですから、国民主権よりも、天皇主権の方が、統治し易いと考えています。
現実に、法制度は、そちらに向かって、少しずつ、静かに、動き始めています。
今の日本、国民主権から、天皇主権に、憲法を大転換させることは、容易くないようで、困難でもない、そんな様な気がしています。
国民意識と議会政治とのズレ、小選挙区マジックによる、得票率と議席数の大幅なズレ、そして、相変わらずの“政治と金”で、マスコミの“馬鹿げたクリーン政治キャンペーン”、その行きつく先は政治・政治家不信です。
そして、行きつく先の、その先に、垢まみれ、欲まみれで、国民の意見を代表してない世俗政権ならば、その正反対に位置すると考える、天皇に、天皇制に、すべてを・・・は、かなり間近?
上からの改憲の動きと、下からの現状変更願望が、一つになって動き出す、そんな日が近いような・・・・・・。
一言が、二言三言になってしまいました。
この先、まだ、二言三言ありますので、次回とします。
それでは、また。