前回の続きです。
それで、帝国憲法の復活を願う人達には、純粋に天皇を敬愛し、天皇がすべてを統治する事で、世の中は、落ち着き、日本の文化も伝統も守られると考える人達がいて。
純粋に、冷静に、政治として、国家の統治機構として、天皇制を天皇主権を、帝国憲法の復活を考える人達がいて。
上記の方達も、想いに、理解に、強弱が、いろいろあって、混じり合い。重なり合い、キッパリ、ハッキリと分かれているわけではありません。グラデーション状態なのです。
いろいろな想いが、思惑が、入り交じり、入り組んで、絡まって、動いています。改憲派もいろいろで、一枚岩ではありません。
確かに、今上天皇の8月8日の発言といい、日頃の公務での国民に接するお姿と云い、お言葉と云い、この方が統治するならば・・・・・・、と、考えても不思議はないのです。
でも、しかし、ここが問題なのです。天皇主権と云いつつ、実態は取り巻きの思惑で政治が行われることです。
どこまでが天皇の判断で、どこからが取り巻き判断なのか、これがムズカシイのです。あとから検証できないのです。たぶん、もしかして、当事者も解らないのかも、しれません。その場の空気?
判断し、決定することは、それなりの情報に基づいて行われるのですが、その情報の如何によって、判断の方向はいくらでも操作できるのです。
ですから、未だに、開戦の決定はだれが?、ポツダム宣言受諾はだれが?、天皇の戦争責任は?、等で、諸説が入り乱れるのです。
純粋に、冷静に、帝国憲法的には、
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第11条天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定
第13条天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
となっていますから、当然、最高責任者としての責任は発生するのです。でも、しかし、現実には法律と実態にはズレがあるとか、天皇の存在なくして占領政策は困難ととか、いろいろあって連合軍とは、すべては軍部の責任で手打ちがなさました。
と云う事で、言論、出版、報道の自由がないと、批判に晒されないと、判断を誤るのです、専制国家、独裁国家は、強いようで脆いのです。そして、国民は不幸になります、国家は必ず破滅します。
話しが、かなり、かなり、広がってしまいました。
話しを、戻します。
兎に角、いまの日本は、近代国家で、民主主義国家で、国民主権で、天皇を象徴として仰ぐ象徴天皇制で、“日本のかたち”は、かなり、かなり、微妙なのです。
憲法の第1章は「天皇」です。そうなのです。日本国憲法は天皇から始まります。そう云うことなのです。
第1章、第1条、天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く
わたくし、若い頃は天皇制に対して、それなりの疑問を持っていたのですが、歳を重ねるに連れて、今上天皇の国民と接するお姿に、国家にはそれなりの象徴的な存在がなければ、治まりがつかない、と思うようになりました。
もしも、いま、日本に象徴天皇制がなければ、自民・公明の安倍政権が、日本国民の総意に基き、日本を代表していると考えたら、なんじゃそら!となります。
そして、究極の事態が、“戦争”と云う事態が、生じたならば、世俗的な政権の号令では、国のために戦場で命を・・・は、とても、とても、無理がある・・・・・・と。
上記の“戦争”は日本領土に敵が攻め入って来た事態は除きます。国土が侵略それたなら、誰しも?いや、私は号令がなくとも戦います。専守防衛です。
戦争もできない国家は、一人前の独立国家ではない!と考える方々は、ここは、やはり、何と云っても、天皇陛下の号令が下されなければ、とても、とても、挙国一致で敵に立ち向かう戦争はできないと考えています。
ここでは、敵はだれなのか?何のためなのか?が判りにくい、日本がいろいろ理由付けて海外で行う戦争を想定しているのでしょう。
それには、いまの象徴天皇制では無理がある、と、そうなるようです。
それで、いろいろな正義と政策を掲げて、これまでも、いまも、戦争が、世界中で続いています。ですが、ですが、ここで問題なのが、戦争遂行の決定権に最も影響力を行使しているのは、戦争で潤う、儲かる、連中なのです。
すべての戦争は、云っている事と、やっていることが異なるのです。
彼らは、どちらが勝って負けても、知ったこっちゃねぇ~!なのです。
戦争の大義など、スローガンなど、いくらでも、捏ねくり回せば、でっち上げられるのです。
戦争をして苦しむより、平和を維持する為に苦しむ方が、ずっと、ずっと、ずっと、前向きで、正しいのです。
悪い平和はなく正しい戦争はありません。
と、云う事で、戦争する国家は、一人前の独立国家ではありません!
一言が、二言三言になり、四言五言になりそうです。
夏休みも、そろそろ終わりかも?
それでは、また。