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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

象徴天皇制は天皇と国民の日頃の努力で成り立ち安定し継承されます!

2016年08月29日 | 世間話し

前回の続きです。

それで、日本は、近代国家です、民主主義です、国民主権です、それで、それで、天皇制なのですから、とても、とても、微妙と云うか、複雑と云うか、不安定なのです。

近代国家で、民主主義で、国民主権です、でも、しかし、意識、無意気を含めて、支配されのが、命令されるのが、とても、とても、楽ちんだと、そう考えている方達が、ほぼ、間違いなく、国民の80%前後はいらっしゃるのです。

それでも、それなりに、古今東西、支配される側は、支配する側に、それなりの正統性とか、伝統文化とか、物語性とか、そして、そして、世俗から離れた、神秘性を求めるのです。

西欧ではキリスト教が、中東ではイスラム教が、他の国でも、それなりの宗教的な権威によって、権力の裏付けが、権威付けが、成されているのです。

と、云う事で、突然ですが、そう云う事で、北朝鮮も、中国も、支配するのが大変なのです。遠くない、いつの日にか、間違いなく現政治体制は崩壊することでしょう。

と、云う事で、人間は、やはり俗世間的権力を、財力とか、武力とかで支配する権力を、とても、とても、正しくない!と、こころの奥底で思っているのです。

そんなものに押さえつけられるのは、とても、とても、恥ずかしい事だと、耐えられない事だと、思っているのです。

唯々、武力や財力だけでは、人は従わないのです。それなりの理由が無ければ、支配される側は、納得出来ないし、治まらないし、バラバラになります。

世の中、金があっても、腕力が強くても、そして、知識があっても、ただされだけでは尊敬されないのです。

そうなのです、尊び、敬う気持ちが生じるには、それなりの、正統性、物語性、神秘性が必要なのです。

近代国家では、歴史の知恵として、法律として、宗教と政治は分離されています。

それで、わたしとしては、天皇は、政治的実権と、世俗的権力と、切り離された、権威として、文化として、伝統として、国民の総意により地位をしめる、現憲法の象徴天皇制を支持します。


第1章 天皇

〔天皇の地位と主権在民〕
第1条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

象徴天皇制こそが、日本文化の、天皇制の、本来の、“国のかたち”だと考えます。

日本が国家として統一され安定していたのは、徳川時代の三百年だと考えます、それ以前においても、天皇は実行権力とは分離されていました。

そして、三百年続いた徳川幕府は、天皇を味方に付けた革命軍の薩長連合に由って幕お閉じ、時代の使命を終えました。

成り上がりの薩長連合政権では、権威も正統性もなく、反乱を抑え国を統治するには天皇の権威を必要としました。

そこで、大日本帝国憲法となります。


大日本帝国憲法

第1章 天皇

  • 第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
  • 第2条皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
  • 第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
  • 第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

日本の歴史上、帝国憲法の時代は、1890年(明治23年)から1947年(昭和22年)のたった57年間だけの、敗戦を招いた特異な体制の時代なのです。

ですから、【第1章、第1条、天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く】このかたちこそ、この象徴天皇制こそ、日本の伝統で、日本の文化だと考えます。

しかし、右派と云うか、民族派と云うか、象徴天皇制を支持しない方々は、今回の天皇陛下の発言に対して、当然、反対していると云うか、同意していないのです。

今上天皇は“象徴天皇として努力”されているのです。しかし、現政権は、右派は、民族派は、象徴天皇制を変えようとしています。

象徴天皇制は、憲法9条と同じく、アメリカ占領下で、国民の意志に反して、押し付けられた、強制された考えています。

ここに、天皇の政治利用の問題がいろいろと絡んでくるのです。

現憲法上では、

第4条天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない』となっていますが、しかし、これは、これも、それなりの政治的な判断で、政治利用なのです。

ですから、いまでも、過去にも、天皇制度は、いつも、いつも、時の政治権力との緊張関係のなかにあり、とても、とても、政治的なのです。

ですから、それで、天皇制に、神秘性が、正統性が、物語性が必要だと考える方々は、現在の、曖昧で、不安定な天皇制を、戦前の帝国憲法に戻し、その事が、本来の伝統で日本の文化だと考えているのです。

天皇に全権を委ねることは、とても、とても、スッキリしていて、社会は、国は、安定すると考えているようです。

彼らは、生前退位・譲位を論議することで、いろいろな問題に波及することを、嫌っているのです。これでは、天皇制の神秘性を損なうと、考えているのです。

彼らにとって、天皇は、天皇制は、万世一系で、男系で、終身で、神聖で、そして、国家を統治する、そういう国家体制で、国体の護持なのです。

天皇の意志で退位したり、即位を辞退したり、定年制にしたり、女性・女系にしたり、そんな事では、神秘性に、物語性に、そして、正統性に疑義が生じると、伝統文化は滅びると、大変、大変、危惧しているのです。

国民の総意では、曖昧で不安なのです。

国民の総意ではなく、それ以前に、天皇制は、日本の文化として、日本の成り立ちとして、日本を統治する正統性があると、考えているのです。

確かに、現在、近代国家で、民主主義で、国民主権で、天皇制ですから、法的な解釈において、いろいろな矛盾が絡み合い、象徴天皇制は、繊細で、脆く、微妙な均衡のなかで成り立っています。

現在の象徴天皇制は、制度で成り立っているのではなく、現在の天皇陛下の努力により、成り立っているので、とても、とても、不安定で、ムズカシイのです。

8月8日、天皇陛下のお気持ち表明は、8月15日の玉音放送と同じく、いつの日にか歴史的な出来事として記録される気がします。

象徴天皇制を議論することで、新たな時代に向けた、日本の“かたち”を創り出す、絶好の機会と云うか、ある意味で最後の機会?

時の権力から超越して、文化、伝統、物語を維持し、国民の尊崇を維持し、そして民主的な国家体制を、法制度を、政治制度を、いま、創り出す、考え出す、絶好の機会なのです。

今上天皇のお気持ちの表明は、国民に対する問題提起です。国民は答えを出さなければなりません。

天皇制は変幻自在で、時の権力にあわせて変化してきました。

今上天皇は、生前退位を、そして、公務で国民と接することが、寄り添うことが、現状公務を維持することが、象徴天皇制だと、そして、摂政は否定され、回答期限を平成30年と示唆しました。これは安倍政権も無視できません。

それにしても、天皇陛下の発言を受けての、安倍首相の“ぶら下がり会見”での発言と態度は、とても、とても、不快感露わで、今上天皇に対する姿勢が、ハッキリと現れていました。

安倍首相はあくまでも、国家体制として、国体として、天皇制が必要と考え、今上天皇を尊崇していないことが見て取れました。

ここに天皇制が、権力者との関係が、如実に表れていました。

 天皇の政治的利用は、天皇の政治的発言は、憲法によって禁止されていますが、そのこと事態が、天皇制が、天皇が、とても政治的であると云う、矛盾なのです。

現在の天皇が、現在の憲法を護る事が、帝国憲法支持者には、とても、とても、納得できない、と云うか、不満なのです。

天皇はいつでも、時の権力に、体制に、権威付けをしてきました。そして、その制度を守ってきました。

ですから、現在、立憲主義に、民主主義に、国民主権に、平和憲法に、戦争放棄に、異議を唱える事はないのです。

しかし、憲法が変えられ、天皇制も変えられると、天皇は、変えられた憲法に従うことになります。ですから、危ういのです。

そこを狙っている方達がいるのです。

象徴天皇制は、天皇と、国民の、日頃の努力で成り立っていきます。

兎に角、象徴天皇制こそが、日本の伝統文化だと考えます。

伝統文化は、時代の変化を取り込みつつ、少しずつ変化しつつ、新たな伝統を形成しつつ、受け継がれつつ、守られていくのです。

一言がかなり、かなり、長くなりました。

と、云うことで、おしまい。

 

それでは、また。

 

 

コメント (3)
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