ほぼ2週間ぶりの再開です。
我が“生まれ故郷”の蓮根町を歩くお話は未だ続きます。
本日も“どぶ川”を探し求めて彷徨います。
幼い頃に、母に手を取られ買い物に行ったあの頃の記憶、“マーケット”への往き帰りの道を辿ってみたいと思います。当時、マーケットは最新の“集合式小売店”だったのです。
その道は、神社の先を橋の袂で左に入り、マーケットのある中山道に出る近道だったのです。
記憶の糸を手繰り寄せ、神社を目指して歩いて居ると、それと覚しき神社を発見しました。位置的にも間違いなく、昨日今日に神社ができる訳が無いので、60数年前に買い物の往き帰り、前を通った神社です。
小さな本殿? この境内で遊んだ記憶はありません。お詣りや、縁日と云った記憶もありません。只だ前を通り過ぎていたのだと思います。
隣の小さな祠は真っ赤?朱色?の鳥居や幟が賑やかに並んでいました。
脇に眼を移すと稲荷氷川神社の社務所では、「長後町」の新年会が開かれていました。「長後」と云う町名は今は無くなりました。それでも、町会は長後町を名告っているのです、断固町会名を変えないのです。
新しい町名の「坂下」には納得できないのです。坂は、ずっと、ずっと、ずっと彼方ですから、ここが坂下の訳が無いのです。坂上があって坂下があり、下と云うのも何となく面白くない?
ピカピカ黒塗りの乗用車、車内には運転手が居ます。新年会に出席している「お偉いさん」の車でしょう。区長か?それとも地元の都議会議員?でしょうか、区議会議員では乗れない車です。もしかして、地元の衆議院議員かも知れません。
さて、神社が見つかりましたから、どぶ川はこの直ぐ先にある筈です。
ありました、どぶ川の痕跡を残す緑地帯です。
間違いありません。ここに川が流れていて、川沿いに細い道があったのです。片手に買い物カゴを下げ、もう片方の手で私の手を握りしめ、マーケットに買い物に行ったのです。この緩やかなカーブがとても懐かしい。
それで、こうして想い出を探して歩きまわっていると、自分の姿は視界から消え、現実感が消えていくのです。
夢でも自分の姿は見えません。夢を見ている錯覚を覚えるのです。
そして、後年、確かに見た、どぶ川沿いの道を母と歩いて居る、幼い頃の夢の記憶、そして現実の記憶、そして、目の前にする過去の痕跡の残る風景、夢と現実と妄想が混ざり合い、ここち良い混乱なのです。
中山道が見えてきました。
この辺りはアスファルトに覆われています。この下に、今でも、きっと、あの頃の川が流れているのです。
中山道に出たら、左に曲がり、少し行った処にマーケットはありました。
昔のマーケットの面影を残していると云うか、そう思うと、そのように見えてくる建物を発見しました。
こんな感じでした。見ている内に、この建物に間違いないと思えてきました。マーケットの名前は「飯田百貨店」だったような気がします。
百貨店と云っても、記憶しているのは「お菓子屋さん」だけです。その頃のお菓子は量り売りでした。それで、私の食い物に卑しい性格上、食い物の記憶は、かなり過去に溯ってハッキリとシッカリと、心に刻まれているのです。
それは、それは、とても、とても、とても、悔しい記憶なのです。それは、当時新発売された “グリコアーモンドキャラメル”の記憶です。
当時、アーモンドキャラメルのキャッチコピーが、『一粒で二度美味しい』だったのです。
幼心で考えました。一粒で二度美味しいとは、一粒が倍の二粒分の美味しさと云う事で、一粒で二粒食べた事と同じと考えたのです。それは、一粒が倍になると考えたのです。
これは凄い!と思い、母にねだって飯田百貨店で買って貰いました。そして、帰り道、一粒を口に入れたところ、味は一粒分で、二度も美味しくなく、一粒が二粒にもなりませんでした。
幼心は混乱したのです。瞞されたと思いました。悲しかったです。『一粒で二度美味しい』のキャッチコピーは残酷でした。そんなわたしを見て、母も悲しそうな表情をしていました。
この話しも、夢と現実と妄想が、かなり混じり合ってしまった?かも知れません。
兎に角、夢と、現実と、妄想と、いろいろ混じり合った、ここち良い混乱の旅は未だ続きます。
それでは、また。