行って来ました!
隣町の牛久市へ!
そうです!稀勢の里の祝賀パレードです。
我が家を自転車で10時半に出発。 牛久駅へは予定どおり11時半頃に到着しました。
こちらは西口で、パレードは東口から1時の出発予定となつています。朝日が号外を配っていました。
こんなものが配られ、私も頂き手にすると、何だか、それなりに、ワクワク・ドキドキと、興奮するのでした。無理もないのです、考えて見ると生まれて初めて号外を手にしたのです。
駅舎は線路の上にあり、西口側は歩行者専用デッキで駅前の商業ビルと繋がっています。ふり返るとこんな垂れ幕が下がっていました。
このビルには関西系のスーパーが入っていたのですが、1月いっぱいで閉店となりました。
優勝したときは店内にもそれなりの飾り付けや横断幕が掲げられ、スーパーの責任者がインタビューされる様子がテレビで流れたりしたのです。閉店を知っていましたから、責任者の笑顔が寂しげに見えました。
この日はもう、ビルはほとんど空き家状態で閑散としていました。
トイレをお借りしに入ると、シャッターでスーパーは封鎖されて、稀勢の里応援幟がとても、とても、寂しそうでした。
とても、とても、おめでたい日に、とても、とても、寂しいお話をしてしまった。
それで、これが祝賀パレードのコースとなっています。駅前のメインストリートの「けやき通り」から、途中で左折し狭い路地を通過して「ぶどう園通り」に入り、左折して市役所となっています。
改札口はそれなりの混雑。婦人警官がハンドマイクでパレード見学者を誘導していました。
パレードは1時からですから、人出は未だそれほどではと?予想していたら、かなり、かなり、トンデモ無い事に!
東口には歩行者デッキも駅前ビルもなく、駅前広場があるだけです。
ホントに!ホントに!予想外の人の群れ!
駅前のコンビニでは店先にテーブルを出し、週刊誌の稀勢の里優勝・横綱昇進の特別号を売っていました。かなり売れていました。
こちらの人だかりは、この日にやっと間に合ったと云われる、稀勢の里の「手形」が彫られている石碑?
百年、二百年、三百年とここに立ち続けるのです。まあ、その間に駅前再開発でアッチコッチと多少は移動されるかも知れません。
ここがスタート地点となります。パレード用の車はスタンバイOK!未だ1時間半あります。
先頭の白いベンツのオープンカーに稀勢の里が乗りました。こういう車は専門のレンタル業者がいるの? 後ろのレクサスのオープンカーには誰が乗るの?後援会長に市長?
しかし、この時間で、この人だかり、この日は曇りで気温も低く、1時間半もじっとしていたら、寒くて、寒くて大変です。年寄りが多いの心配です。
心配と云えば、心停止に備えて、AEDを背負った消防隊員と、かなり頻繁にすれ違いました。
ケヤキ通りも端っこはこの程度。
遠藤には、こんな「稀勢の里の綿飴「、それなりに売れていました。
もう、それなりに、お祭り騒ぎ ですが、こちら植え込みには、こんな可愛い絵がひっそりと。
ケヤキ通りの最終地点ここでパレードは左折して、観覧不可の狭い路地に入ります。パレードを正面から狙える絶好の撮影ポイント。でも、しかし、こちらは「業者」専用で素人は入れません。
こちらのスーパーでは、それなりに弁当やパンが売れていました。そして、この日は寒かったので、トイレの列が店内から、店外まで溢れていました。
トイレ行列は隣のドラッグストアーへも波及。
これは、これは、大変と思いつつ、市役所へ向かいます。こちらでは、毎日が号外を配っていました。それなりに棲み分けているようです。
これが毎日の号外。読売は見かけませんでした。
庁舎の脇が市民栄誉賞の贈呈式会場。
はい、こちらも、臨時仮設トイレには長い行列ができています。
時間は1時間ほどありますから、わたしも昼食を摂ります。サンドイッチと発泡酒で一人祝杯をあげます。ふだんは500ccを呑むのですが、350cc で我慢。でも、しかし、アルコール分9%を購入。
そして、食後休憩後に急激な尿意に備えて、誰もが知らない、勝手知ったる隣町の公衆便所の近くのベンチで頂きました。予想どおり、まったく行列は無し。
ランチを済ませ、休憩を済ませ、トイレを済ませ、パレード開始30分前。時間潰しに「シャトーカミヤ」を一巡り。
この日のシャトーカミヤは、すべて祝賀会で貸し切り。
栄誉賞の贈呈式が終わると、ここで、稀勢の里も参加して、関係者とか、後援会とか、親戚とか、ご近所さんとか、同級生とか、いろいろな人が集まって宴会となるのでしょう。
和服で着飾った、それなりに若く、それなりに綺麗な女性が、あちらから歩いて来ました。うん、稀勢の里の嫁さんに丁度イイ!何てすれ違いざまに勝手に決めたりしつつ、スタート地点に向かいました。
スタート地点は、まさに黒山の人だかり、やっと稀勢の里の首が見えました。
首だけ撮影後、先回りして贈呈式会場に向かいました。
会場で待つ事30分ほどで稀勢の里が市庁舎前に到着したアナウンスが流れたのですが、観客の歓声はあまり聞こえませんでした。屋外では声が拡散してしまうのでしょう。
到着してから5分ほどして稀勢の里が舞台に上がりました。拍手と歓声は、やはり、想像とは異なりました。人は大勢いたのですが、寒さと、待ちくたびれたのと、屋外と云うことで、イマイチの盛り上がり。
左側に立つ黒っぽい服装の方が両親です。テレビで何度も見ているので直ぐに解りました。稀勢の里は、ホントに!ホントに!ホントに!最高の笑顔でした!
寒いので、ここで会場を後にしたのですが、くす玉が割られるシーンは見ていませんでした。
割る前に司会者が2度ほど「拍手」と「応援のかけ声」の練習を観客に促している声がスピーカーから聞こえてきます。
そして、そして、本番のくす玉割り、そして、歓声!これは練習効果で、会場を後にする私の耳に大きく、大きく、響きました。
と、云う、ことでした。
それで、帰りの自転車のペダルを漕ぎながら考えて見たら、稀勢の里は、兵庫県芦屋市の生まれで、2歳のとき茨城県龍ヶ崎市に移り、中学は龍ヶ崎市の長山中学で、中学卒業と同時に千葉県の松戸市にある鳴戸部屋に入門しているのです。
ですから、稀勢の里自身は、一度も牛久市の住民だったことは無いのです。いま現在両親が牛久市に住んでいるだけなのです。
と云う事で、たぶん、稀勢の里には、牛久市に、それほど、思い入れは無いものと、思うのでした。
たぶん、龍ヶ崎市には、それなりの思い入れもがある、と思うのです。何たって、幼稚園、小学校、中学校の、同級生がたくさんいるのです。
たぶん、稀勢の里は、牛久市の市民栄誉賞は、何だかなぁ~~~と、思っている事でしょう。
まあ、それは、それとして、兎に角、初優勝で、横綱昇進で、市民栄誉賞でめでたいのです。
まあ、兎に角、3月12日からの大阪場所が楽しみです。
初日に落ち着いて勝てば、あとは、それなりに、良い成績で、もしかして、全勝で連続優勝もありえます。
ホントに、ホントに、ホントに、稀勢の里が横綱とは夢のようです。
高安も稀勢の里の後を追って、大関、横綱を目指し、『稀勢・高時代』の幕を開けて下さい。
ホント、今日は長くなってしまった。現在9時38分です。
それでは、また。