11月17日に、母が旅立ちました、98歳でした。
年齢的にも、そう遠くない、いつの日にかは、と、思ってはいました。
でも、その日は、突然でした。
10月の半ば頃、腰の痛みを訴え、立ったり座ったりが辛そうでした。特に、捻ったり、打っ付けたり、転んだり、といったことは無いとの事でした。
一週間ほど市販の湿布薬を貼って様子を見たのですが、痛みに変化はなく、10月29日、近所にある掛かり付けの診療所で受診。
この診療所は親子二人の医師がおり、父親はどちらかと云えば整形外科担当で、息子はどちらかと云えば内科担当、のようです。
29日当日の診察は息子が担当、問診、触診、レントゲン撮影。診断結果は骨には特段の異常は認められず、その場で痛み止めの注射、痛み止め薬の処方で、診断は終了。
痛み止めの薬が、少し気になり、医師に副作用の心配は無いか質問すると、「強い薬ではなく、重大な副作用のエビデンスは無い」との回答。
帰り道、薬局で28日分の「ロキソプロフェンNa錠60㎎」を受け取り帰宅。
薬は、一日三回、朝食後、昼食後、夕食後に服用。29日の夕食後から服用を開始。
最近の母ですが、「飲み忘れ」は無く、「飲んだのを」忘れ、私に「飲んだっけ?」と、服用後、一分置き位に、2~3度聞いて、「飲んだょ」と、2~3度云われて納得する状況でした。
そのため、クスリの服用は私が管理することにし、飲んだ後すぐに、カレンダーに赤いマジックで○を記入。母から「飲んだっけ?」と聞かれるとカレンダーを指さし「赤い○が付いているでしょ」と答えると母は納得。
痛み止めを飲み始めて2~3日後に、痛みの具合を聞くと、「効いているような?いないような?」との返事。
一週間ほどしても、効いているような?いないような」状態が続きました。その頃より、身体を動かした後の呼吸が、少しずつ、少しずつ、荒くなり始めたのです。
以前より、動いた後は、口呼吸で、暫く、ハッ、ハッ、ハッ、繰り返していたのですが、飲み始めて1週間位より、以前よりも増して呼吸が荒くなり、落ち着くまでの時間が長くなったのです。
そして、11月の第二週の前半から、動作が遅くなり、夜間トイレに行くのが辛いと云い始めたのでした。
※このころ、痛み止めの「ロキソプロフェンNa錠60㎎」に、それとなく気になりネットで検索すると、心不全には禁忌、原則禁忌で、高齢者には注意となっていました。
11日にポータブルトイレを部屋に設置しました。しかし、13日の朝、部屋を覗くトベットに腰掛けてじっとしているので、どうしたの?と効くと、「おしっこがしたい」と云うのです。
でも、立ち上がって一人ではベット脇のポータブルトイレに行けなかったのです。私が介助し用を済ませたのです。
このとき、これは、もう、医師の診察を!と思い、掛かり付けの診療所で午後の予約を取ったのです。
診察は2時半、2時15分に着替えを手伝い、介助しながら玄関まで来て、靴を履かせようとしたのですが、立ち上がると、「今日は止めよう」と辛そうに云うのです。
容態は、今日より明日のほうが悪くなるのは明らかなので、何とか連れて行こうと思ったのですが、母は呼吸は荒く、とても辛そうにして、座り込んでしまったのです。
私は、後ろに回り座って抱きかかえ、立ち上がろうとしたのですが、母の身体がとても重く、立ち上がれないのです。後で医師から聞いたのですが、下半身に水が溜まって浮腫んでいたのです。人によって5~10㎏ほど水が溜まるそうです。
玄関で、私も座り込んで、母を後ろから抱きかかえながら、これは、もう、救急車だと決断、母に告げると頷いたので、ポケットから携帯を取り出し119番。
待つ時間は、とても、とても、長かったです。救急車が来て、消防車が来て、隊員に状況を説明。以前、心肺機能で検査入院した病院名を告げ、隊員が連絡し病院側の了解を得て搬送。
私は自分の車で後を追ったのですが、途中で道を間違えてしまい、たぶん?10数分のロス。病院に到着、受付に告げ、一番奥の方の緊急処置室に案内され、看護師に廊下の椅子で待つように指示される。
部屋のドアが開いた際に、中の様子を窺うと、酸素吸入のマスクを付け、点滴されベットに横たわる母の姿を確認。
暫くして(救急搬送後よりの時間経過が判然としません)医師が出てきて、
「これから病棟に移動します」と告げられ、
「容体はどうですか」と聞くと、
「未だ、なんとも云えません」
「命の方は」
「判りません」と云って立ち去って行きました。
看護師さんから「緊急処置は院長がしたので、これから病棟で循環器専門の医師が診察治療を行います」と告げられました。
1Fから3Fに移動、ナースステーション前の小部屋で待つように云われました。暫くしてと云うか、かなり時間が経ってと云うか、医師からの説明がありました。
いろいろ説明があったのですが、記憶できたのは、「急性心不全」で、「入院期間が3週間ていど」しか覚えられませんでした。
「ロキソプロフェンNa錠60㎎」の服用ついて問うと、「もしかして、今回の引き金になった、かも、知れません。でも、断定することはできません」と告げられる。
説明が終わると、看護師から「入院診療計画書」が渡されました。今、それを見ると、「診療計画」の欄に、「非侵襲的陽圧呼吸、酸素吸入、強心剤の点滴、利尿剤の投与で初期治療を開始します。いずれ内服に変更し、リハビリテーションを開始します」との記載。
説明が終わると、「入院診療計画書」サイン。そのほかに、入院生活用品使用申込書」、「身体拘束に関する説明・同意書」、「入院申込書(兼誓約書)」、「入院についての自己申告書」、「日常生活用品リース申込書」等などに、住所、氏名、生年月日、電話番号、等などを記入。
そして、最後に入院保証金5万円を支払い、この日は、これで帰宅。
医師の説明を聞いて、直ぐに命の別状は無さそうなので、それなりに安心して帰宅。外はもう暗くなっていました。その晩はあまり寝られませんでした。
記憶が消えない前に、記録として残そうと思い、綴りました。でも、書こう、書こうと思いつつ、この日になってしまいました。
入院が13日で、亡くなった17日、20日・21日が、通夜・告別式。
今日は、もう、12月の1日で、亡くなってから2週間が過ぎました。
本日は、ここまでとします。
それでは、また。