前回の続きです。
夫には大望の為にと官憲に売り渡され、幼なじみの泰治には売国奴として見放された聡子。
これは、相当に精神的なダメージです。
優作が艀に乗り、陸の方に向かって帽子を振るシーンで、ENDマークが出ると思っていたら、ドラマはもう少し、続くのでした。
1945年3月とテロップが入り、精神病院の病室シーン。
聡子が憲兵隊に逮捕されたのが41年の夏から秋頃で、その年の12月8日に日本がアメリカに宣戦布告。
4年の時が流れています。
患者の会話。
『東京が火の海や』
『東京だけやないで。名古屋、大阪・・・そのうち神戸もやられるわ』
『男は皆な死んでもうた。女だけでどうにもなれへん』
『これで日本も終わりやな』
『あんた何涼しい顔してんねん。何とか云うてみいや!』と、側のベットに座る女にからみます。
『やめとき。この人一番、おかしなってんねん、ここが』と頭を指さす。
からまれたのは聡子。
あれから4年間、ここに閉じ込められていたのです。あのとき、優作にも、泰治にも、見放され、否定され、すべてを、失って、見失って、精神を病んでしまった?
聡子に面会者が現れます。懇意にしていた、帝大出の医師野崎です。以前、オープンカーを借りた先生です。
『ご無沙汰しておりま~す!』
『野崎先生こんなところで何を?』
付き添って来た看護婦に席を外させ。
『いやねえ、聡子さんの担当が帝大の同期で、先日たまたま、あなたの入院を知りました。それで、今日は無理を言って』
『まさか、またお会いできるなんて』
『うん。まあ、いろいろと大変でしたね。お元気ですか?・・・と聞くのも変か』
『いいえ、聞いて下さい。元気です』
『うん。確かにお元気そうだ』
『薬さえ飲まされなければ、頭はハッキリしています』
『そうですか』
『先生、外の世界のこと教えて下さい。ここでは、検閲済み新聞しか読めないんです』
『外も大して変わりません。おんなじようなもんです』
『福原の事は・・・』
大望の為に、聡子を犠牲にした優作。それでも、それなりに身を案じている?それとも、犠牲となった価値はあったのか? それとも、単に、その後の行動が知りたいだけ?
『ん~・・・。』
『何かご存じなんですか?』
『インドのボンベイで見かけたという知人がおりました』
『ボンベイ?』
上海からサンフランシスコへ向かう計画とは違うの?
『そのあとボンベイを出て、ロスアンゼルスへ向かったアメリカの客船が、日本の潜水艦によって撃沈された、という情報も聞いています。もっとも、今信用できる情報など何もありません』
『それだけですか』
『それだけです。長い間、ご苦労様でした。聡子さんがここから出られるように、なんとか手配してみましょう』
『あら、どうして?』
『あなたが、こんな処に居るの見るのは忍びない、拙宅でよければ、暫くお世話します』
『ありがとうございます。でも、それには及びません。いいのです。何だかひどく納得しているのです』
『納得と云うと?』
『先生だから申し上げますが、私は一切、狂ってはおりません。ただ、それがつまり、私が狂っていると、云う、ことなのです。きっと、この国では・・・』
いまこの国、この戦争と云う狂った時代、狂っていないことは、狂っている。
聡子は野崎の申し出を断ります。
聡子は、狂っていませんでした。検挙され取り調べられた経緯からすれば、気が動転し、混乱し、錯乱し、狂乱し、気絶したのでしょう。
そのような精神状態は、一時だけだったと思います。
罪を問わず、精神病院へ送ったのは、聡子へ泰治の最後の計らい?
聡子は、どこを、どう、自分を納得させたのか?
戦争の時代でなければ、泰治とも、優作とも、そして、女中の駒子とも、楽しく平穏な日常を送れたと・・・、戦争と云う時代への諦めが?
優作も泰治も、時代に狂わされた者として、時代と共に否定することで?
兎に角、戦争と云う狂った時代に、世間から狂ったとされて、世間から隔絶されることで、世間の苦悩から、それなりに一定程度逃れられ、精神の安定が得られる、この空間、この時間が、それなりに今の聡子には必要だった?
そして、その晩、神戸の街は米軍によって空爆され、病院も被災します。
史実としては、1945年の、3月、5月、6月の大空襲は激しかったそうで、8000人以上が亡くなったそうです。
本日は、ここで、お終いとします。
それでは、また。
よろしくね。