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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

下山国鉄総裁の異常行動は鬱病か?それとも単なる動揺か?

2010年01月21日 | 下山事件
昨日の続きです。

昨日は、訪問者が「358IP」 閲覧数が「894PV」で、暫くぶりの「350越え」でした。でも、しかし、そのなかで「下山事件」の閲覧数は「30弱」で、あまり人気はないようです。

それでも、続けて下山事件の話なのです。

確かに、一連の流れから結果として誰に利益があったと考えると、当時の占領軍の犯行では?と、思いたくなるのが普通です。

それに、その直後から発生した、三鷹事件、松川事件では、犯人として国鉄の組合員、共産党員が逮捕され、その後、最高裁で無罪が確定し、謀略であった事が証明されたのですから、最初の下山事件も、左翼勢力に対する謀略と考えても、無理はないのです。

下山、三鷹、松川、で、犯人が検挙されなかったのは、下山事件だけなのですが、何故、下山事件だけが、犯人を検挙のないままで、事件から半年も経たぬ12月31日に、警視庁の捜査本部が解散されたのか?

三鷹、松川は、それなりに準備され、計画された謀略事件であったが、計画が実施される直前に、国鉄総裁の鉄道自殺があり、急遽、左翼勢力の犯行説を流し、事後に謀略に利用したのでは? と考えられるのです。

突然の事故を利用した事後謀略ですから、左翼勢力を犯人としてデッチ上げる準備が無かったので、誰も逮捕することはなかった?

その後に、三鷹、松川の計画された謀略で、左翼勢力を犯人として検挙し、世論から左翼勢力を引き離し、衰退させることに成功した事で、もともと計画された謀略ではない、単なる“自殺”なので利用価値がなくなった段階で捜査本部は解散?

それでも、自殺か、他殺か、敢えて結論を出さず、それなりに反左翼キャンペーンとして利用し続けた。それと、当時の他殺説=左翼勢力説です。

自殺説としては、下山総裁の死の前日の行動で、先客がいる警視庁総監の部屋に入って、首切りの辛さを話したり、突然、面識のない法務長官の部屋に入って、電話を借りかけ始めたり、国鉄の公安局長室で、他人に出したアイスクリームを食べたり、精神的に正常ではない事実を指摘しているのです。

自殺説の佐藤氏は、下山総裁が「鉄道病院」で、“神経衰弱”と診断され睡眠薬が処方されている事実を指摘し、初老性の鬱病を患っていたとして、それを“自殺の根拠”にしているのです。

死の前日の異常行動は、首切り通告に対する組合側の反応を想定しての、単なる不安と動揺の現れなのか? それとも、鬱病で、かなり精神を病んでいたのか? 

このあたりは、かなり微妙で、わたしとしては、死の前日だけで、それまで特にその様な兆候があったとの証言は無いので、それほど精神を病んでいたとも思えないのです。

自殺説では、占領軍から“首切り合理化”の早期断行を迫られ、組合からは激しく反対され、大規模なストライキが計画され、この狭間で、悩み苦しみ、精神を病み、そして、自ら命を絶ったととされているのです。

遺体の状況から、わたしとしては、他殺説よりも自殺説なのですが、自殺の原因が、いまいちなのです、人間はある時、ある状況で、糸がプッンと切れるように、命を自ら絶つ事はあり得ますけど・・・・・・。

それでも、鉄道技術者で叩き上げで、鉄道に愛着を抱き、単なる官僚ではなかったと云われる下山氏が、鉄道自殺をはかったのか? 別の手段があったのでは、と考えるのです。

それと、自殺した場所ですが、何故、常磐線の北千住と綾瀬の間で飛び込んだのか、自殺する人間が場所を選ぶ時、それなりに、その土地との何らかの繋がりがあると思うのですが、そのへんは、どうも、ハッキリしないのです。

自殺説は、遺体の状況からは優位にあるのですが、死を選んだ動機、死を決行した場所と方法に、説得力の不足を感じてしまうのです。

今日は、こんな処で、お終いです。

それでは、また明日。


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