歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“山口シヅエ”に“山口淑子”そして魔法使い

2008年06月06日 | 東京の風景
昨日の続きです。

京島界隈の路地をウロキョロと歩き廻っていると、またも、踏切に出会いました。方向感を失ったようで、地図を開き居場所を確認しました。

先ほど、日本蕎麦屋の向かいの路地に入った辺りから、明治通方向から離れ、押上駅方向に向かっていたようです。

この踏切は、東武亀戸線でした。兎に角、時間はたっぷり有るので、押上駅付近まで行き、そこら辺りから方向を修正することに決定。

それにしても“足袋屋さん”です。やはり、下町、京島の風情です。

線路沿いの民家、布団に、洗濯物、線路の柵にも布団が干してあります。これこそ、下町の風情、とても懐かしい気持ちになります。

それに、線路もカーブしています、線路のある風景として、ベストの風景です。

そして、踏切を渡ると、今度は“もんじゃ・お好み焼き”です。


下町、そして、踏切のある風景としては、完璧に近いです。

街灯の上に、


魔女? いゃ、箒に跨る魔法使いのお婆ちゃん?

下の処に“ガーデン通り”とあります。

ガーデン通りの由来は、この“山口シヅエ・ガーデン”のようです。


“山口シヅエ”と聞いて、直ぐに頭に浮かんだのは“李香蘭”でした。戦時中の大スターであり、戦後は参議院議員もやったあの人です。

しかし、帰宅後に調べてみたら、山口シヅエは李香蘭ではありませんでした。李香蘭の日本名は“山口淑子”でした。

山口シヅエは、昭和21年総選挙で社会党から立候補し、30歳で女性国会議員なった方で、その後、昭和42年に社会党から自民党に鞍替えして、大騒ぎされた方でした。

思い出して来ました。女性、政治家、山口性、この辺で記憶がゴチャゴチャになってしまったようです。

シズエさんは1917年生まれ、淑子さんは1920年生まれで、お二人供“歴史上の人物”と思っていたのですが、今も元気だそうです。

今回調べて知ったのですが、山口シヅエさんは“あの山口自転車”のお嬢様だったのです。


歴史上の人物が、こんな処で、こんなフィットネスクラブを経営し、クラブ名に“昔の名前”で出ているとは驚きました。

それにしても、通り名を“ガーデン通り”としたのは、それなりの「政治力」なのでしょうか? 本音は“山口シヅエガーデン通り”にしたかった?

こんな処で、中国大陸、五族共和、満州、満映、李香蘭、夜來香・・・・・・、そんな昔の世相を想い出すとは、かなり意外な展開でした。

下町、京島、押上界隈には、いろいろあるようです。

それでは、また。


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1 コメント

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Unknown (さかいのぶよし)
2016-02-27 07:25:37
山口シズエさん、山口淑子さんは物故者に。二人は自民党議員。したたかな自民党、弱ったと見えても元気モリモリに。山口百恵さんは辞めたのは止めたと出ません。怖い山口はカネが切れ目で任侠道、仁義は浪花節だけ。
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