はい、今日も家康です。
このところ、更新のペースが早くなっています、家康、面白いです。
そして、本日は『安土城の決闘』です。
冒頭より、信長の心象風景を夢として映し出します。
武田を滅ぼし、ほぼ天下統一を成し遂げ、信長の緊張の糸が切れかかり、戦うことに、殺しあうことに疲れ、いつか、誰かに、殺される不安を抱く、信長も戦に疲れている・・・。そんな説明シーンだと思いました。
そして、信長を殺し天下を取ると宣言した家康は、忍びを使って、本能寺周辺で信長襲撃の準備を進めます。
えっ、まさか、家康が実行犯 ? 歴史を塗り替えるの ? いや、その展開はありえません。どういう筋書きで、新たな視点で、実行犯の光秀に繋げていくの興味が湧きました。
話の途中ですが、ここまで画面を見ていて気づいたのです。
あれ、もしかして、本能寺で襲撃され、それが明智光秀の謀反と知った信長が発した『是非に及ばず』の言葉です。これも本能寺の謎のひとつ 。
いろいろ解釈が分かれますが、古沢良太氏は「是〈良い〉も、非〈悪い〉も及ばす〈言っていられない〉」と言うことで、「仕方がない」説で、それを「信長も疲れている説」へと繋げた? 何て思ったりしたのです。
"信長も疲れている説"は、家康が、信長を京都で殺す計画の為に、唯一京都に残る光秀の軍勢を遠ざける為、光秀の差配による祝宴を失敗させます。
しかし、信長がぶち切れし、光秀を激しく打ちのめします。その結果、この謀は、成功しすぎて、光秀は完全に"ぶち切れ"ます、恨みます。本能寺の変、光秀遺恨説です。
この後の、信長と家康が対峙するシーン。これがタイトルの『安土城の決闘』です。
そこで、信長と家康との、生まれ育った環境の違いによる、つくられた性格、考え方の違いによる、言葉の対決が展開されます。
家康「明智殿のご処分は、ほどほどに」
信長「しくじりは許さん、使えんものは切り捨てる」
家康「上様は、厳しすぎる。うちには使えんのが、ようおります」
信長「お前が甘すぎる。おまえのところの家臣は、お前のことを友恒のように扱うではないか。甘くみられれば、足元をすくわれる」
家康「それなら、それで、しょうがない。かって古い家臣に、信じなければ、信じてもらえんと。それで、裏切られるなら、それまでの器だったと。上様、あなたは何でも一人でおできになる。常人ではござらん。まさに乱世を鎮めるために、天が遣わしたお人かも知れません。しかし、私は違います。一人では何もできぬ、これまで生き延びてこられたのは、周りの助けがあったゆえ」
家康が立ち去る際。
「上様、京へ入られるのでございましょう。一足先に行ってお待ちしております。穏やかになった京を堪能したいと思います。今後のことは、その時に」
「京で待ち伏せして、俺を討つつもりか・・・図星か、やめておけ、お前には無理だ白兎。腹の内を見せなくなったな。謝ってほしいか。妻と子供殺して、すまなかったと、謝ってほしいか、謝らんぞ。下らん」
"下らん"の言葉に、家康、ぶち切れます。
「下らん・・・我が妻と息子の死を下らんと申すのか!」
「ああ、下らんな」
「ふざけるな!」
しかし、信長は意外な言葉を、涙を浮かべて、
「俺は、そのような感情、とうに捨てたわ! 人を殺めるということは、その痛み、恨みすべて、この身に受け止めるということじゃ!10人殺せば、10の痛み、100人殺せば100の痛み。万殺せば、万の痛みじゃ! 俺はどれだけ殺した・・・」
意外な展開に呆然の家康、私も、呆然、信長はこんな人?
涙を流しつつの信長、
「俺はどれだけ殺した・・・どれだけ殺した・・・この報いは必ず受けるであろう。俺は誰かに殺される、誰よりも無残にな。だが俺は覚悟はできている。お前はどうじゃ、お前にできて、せいぜい、俺を支えることぐらいじゃ」
家康、呆然、自失。私も、アレレでした。
しかし、しかし、です。人を殺めた痛みに苦しむ信長。この設定は、とても、とても、変です。不自然です、理解できません。
戦国時代を今の感覚で捉えていること。そして、そして、自らの手により殺したのではなく、殺しを指揮しただけの信長。
殺して、心を痛めるのは、前線で殺し合った末端の兵士です。指揮命令する立場の人間には、死者の数は、単なる数字で、それ以上の意味は無いのです。
そして、平時を語りだす信長。
「戦なき世の政は、乱世を鎮めるよりはるかに困難じゃろう。この国のありすがたのためには、やらねばならぬことが多すぎる、恨め、憎んでもいい。俺のそばで、俺を支えろ。」
家康も涙を流しつつ
「私には、あなたのまねはできん。したいともおもわん。わしは、わしのやり方で、世を治める。たしかに、わしは弱い、だが、弱ければこそ、できることがあると、わしは信じる。行き詰まっておるのお主ではないのか? 弱きウサギが狼を食らうんじゃ」
「なら、やればいい」
「俺はわずかな手勢を率いて京に向かう。本当に、お前が、俺の代わりをやる覚悟があるなら、俺を討て、待っててやるさ、やってみろ」
家康が下がり。信長の少年時代の回想シーン。
・・・論語を繰り返し、繰り返し唱え、何度も、何度も、書き写し、父信秀より、
『誰よりも強く、賢くなれ。お主の周りはすべて敵ぞ。誰もが、この首を狙っている。身内も家臣も、誰も信じるな。信じられるのは、己ひとり。それがお主の道じゃ』と、叩き込まれる少年信長。
純真で、可愛らしい少年信長、愛おしくも、可哀そうに思えました。
頑張って、頑張って、父の教えに忠実に生きてきて、それとは真逆の家康。
疲れ、混乱し、限界を感じ始める信長。
京で待つ家康、少ない手勢で本能寺に向かう信長。
自分を試す、家康を試す、本能寺。
これは、やはり、すべては『是非に及ばず』の言葉が起点となって、あらたな視点の「家康物語」が組み立てられた、そんな気がしています。そうでしょ古沢さん。
前に、磯田説として、『信長の下に使える者は、どこかで"信長疲れ"を起こしてしまいます。その信長疲れの総決算ともいえるのが、明智光秀の起こした本能寺の変だったといえます』
家臣の失敗を許さない信長、これは、自らの失敗も許さない事だと、そして、相手に緊張を強いる事は、自分にも緊張を強います。
自分だけを信じ、強いリーダーを演じ続け、戦乱の時代を戦い続け、駆け抜けた信長。
本能寺の変は"信長疲れの総決算"の磯田説ですが、わたしは"本人の信長疲れ"の総決算"でもあったと考えます。
信長の自刃を前にしての『是非に及ばず』は、緊張感からの解き放たれたことで、発した言葉だった、と、思うのです。
戦乱の時代は終わりつつあり、信長の時代も終わりつつあり、強い緊張感から解き放たれることを、予測していた、望んでいた・・・・・。
まあ、そういう事です。
さて、本能寺の変、どのように描くのか、楽しみです。
それでは、また。