歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

お墓参りで“吉永小百合”の川口を通過

2008年03月17日 | 街の風景
昨日は、少し早いのですが、お彼岸のお墓参りに行って来ました。8時に家を出て戻ったのが4時頃でした。


我が家のお墓は遠いのです、東京の先まで行くのです。朝早く出れば午前中で帰ることも出来るのですが、特に急ぐこともなく、時間はたっぷりありますから、のんびりと一日仕事になります。

帰りは、行きのコースとは異なる、板橋区の高島平から赤羽を通って帰りました。行きも帰りも同じコースを走るのは退屈なのです。


それで、赤羽の「丸真正宗」の前を通り、荒川を渡り122号線を走ったのですが、橋から見える川口市の眺めはホントに驚きます。

高層マンションが林立する、モダンな町に変身しました。


数年に一度、この道を通るのですが、鋳物の町“キューポラの街”の、暗いイメージはまったくありません

土手に面した中学校です。校庭は河川敷です。


この中学校は『キューポラのある街』で“吉永小百合”が通っていた中学として、映画にも登場しました。

『キューポラのある街』1962年の公開ですから、私が12歳の時です、リアルタイムでは、観たような? 観てないような?ハッキリしません。

高校を卒業して勤め始めた頃、外注先の鉄工所があり、仕事でよく行った事があるのです。映画が公開されてから7~8年後です。

その頃は、まだ映画に描かれた、赤錆びが匂い、鉄を叩く音が響く、そんな工場の町でした。

この超高層マンションは、ホントに高く、まさに、空高く聳えています。


こんな所にはとても、不安で、不安で、私には住めません。


橋を渡って少し行くと、レンガ造り建物があったのですが、今はどうなっているのか気になっていました。

すると、その気になる建物は“あった”のです。


“以前から”気になっていたのです、東京を離れるずっと前から気になっていました。

30数年前に、会社で借りた“ベーター・マックス”のビデオカメラで撮った記憶があります。その時のテープは現在行方不明。

今回、通過する一瞬、そこに「田中家住宅」と書かれた看板を横目で確認しました。

文化財として一般公開されているようです。気になる建物は、やはり“徒者”では無かったのです。今度、いつか、見学に行かねばと、思いつつ通過しました。

そうでした、映画“かあべい”のオープンセットも川口でした。撮影後も保存している様な話を聞いた事があります。

“レンガの洋館”と“オープンセット”の見物はいいかも知れません。


普段、ストレスの“ほとんど無い生活”を送っていると、都内を通過する運転は、かなりのストレスとなり、昼時になっても空腹感を感じません、この日は昼食を抜きました。

家に帰って、直ぐに風呂に入り、相撲中継を見ながら、スーパーで買った握り寿司と“イカげそフライ”で一杯は最高でした。


それにしても稀勢の里、白鳳に対してもう少しでした。今場所も“やりそう”です。先場所に続いて“二桁勝利”を期待します。


それでは、また明日。


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水海道は“千姫となごみ”と“羽田美智子”

2008年03月14日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

本日で“水海道シリーズ”はたぶん終わる予定です。2月11日から始まり、今日まで22回のシリーズでした。

それでは、最終回は水海道が“一番の売り”にしている“千姫”です。

兎に角、水海道は“千姫”と“なごみ”に、中心街の再生と活性化を賭けているのです。

そして、これが再生と活性化の“決め手”である“千姫なごみ館”です。


この建物、この日、一度前を通り過ぎていたのでした。大きな建物なのですが、目立つようで、目立たない、閉店した元スーパーです。

この施設の存在を知ったのは、254号線にあった案内看板です。辿りついてみたら、この日、歩き始めに通り過ぎた“ここだった”のです。

それでは、再生と活性化を賭けた施設を見学するぞ!と勇んで入り口に向かうと、この貼り紙です。


“諸般の事情により閉館”のお知らせです。3月末日で閉館するのです。再生と活性化の“賭け”に負けたようです。

「駅前商店街」に昔の賑わいを取り戻す作戦には無理があるのです。

昔は何故“賑わい”、現在は何故“寂れた”のか、その原因をハッキリ掴んでいないのか? それとも、ハッキリさせるのが“怖い”のか?

たぶん後者だと思います。原因を徹底的に追及する事は避けるのです、追い詰めたり、突き詰めたりしないのです。

兎に角、何かをやっていれば、もしかして、何とか成るかも知れない、これが、伝統的な解決方法なのです。

“それとなく、何となく、あたりさわりなく”

“ぎすぎす”ではなく、“穏やかに和やかに”

それで、なごみの街の“なごみ館”なのでしょう。

私も歳を重ね、そんな“こころね”に、気づきはじめました。

駅前商店街の経営者は、たぶん“答え”は判っているのです。でも、そう何です『それを云っちゃ~おしまいよ!』と、気付かぬふりをしているのです。

兎に角、そんなこんなで、今月で閉館される“千姫なごみ館”に、ギリギリで間に合いました。

入って直ぐに「ようこそ!!」の看板の下、寂しげな“貸し自転車?”


奥の壁際には、車椅子が一台。


千姫なごみ館は3階です。

写真で見ると、それなりに「いい感じ」なのですが、実際の印象はもっと、暗くて寂しげでした。

平成15年10月から、20年3月までの命でした。


立っているのが、受け付係りの女性職員です。


こちらの男性は、今日まで、ここで、何らかの、仕事していた男性です。


実は、二人の会話が聞こえてきたのです。

「寂しくなるわねぇ・・・・・・」

「3月の末に、一度来るから・・・・・・」

そんな、会話をしていたのです。そんな中に、私は「すいません。町の観光ガイドのパンフは置いてありますか?」と、割って入ったのでした。

そうです、市役所、駅前、図書館と、探し求めていた「ガイドパンフ」について訊ねたのです。

すると、元職員と思われる男性が、受付係の女性に「下の“商工会”に置いてあるかもしれないよ」と告げたのです。

すると、受付係りの女性が「ちょっとお待ち下さい」と云って、走りだしたのです。ホントに腕を振りダッシュで階段を降りて行きました。

私は、何か無理なお願いをしたようで、少し気まずい思いを抱きつつ、壁に掛かったポスター等を見つめるふりをして待ちました。

暫くして、女性が手にパンフを持ち、ダッシュで階段を登り、私にパンフを差しだしました。

私は、表紙をチラット見ただけで、中身も確かめず、

「これです!ハィ! 申し訳有りません。ありがとう御座います!」と頭を下げお礼をのべました。

その様子を少し離れて見ていた先ほどの男性は、黙って階段を降りて行きました。

その節は、本当に有り難う御座いました。この場を借りて、お二人にお礼を申し上げます。

それで、館内の様子なのですが、閉館準備が始められているのか、兎に角、ただ広く、何も無く、ガランとしているのです。

壁際には、映画や、テレビドラマのロケの記録が貼られているだけでした。


こんなのとか


こんなのとか


こんなのとか


こんなのです。


水海道は。ロケ地として人気があるようです。東京から近く、それなりの「地方感」「寂れ感」が漂う町として、選ばれているようです。

“ロケ地の町”として、そして“ブラジルのある町”として、これからは賑わうかも知れません。

それに加えて、

神社仏閣もいいです! 二水会館も、赤煉瓦の三階建ても、銀行建築も、武道館(屋内に洒落た装飾があるそうです)も、昔の面影を残す町並みもいいです!

鬼怒川の流れ、河原、豊水橋の眺め、これもいいです!

そして、人も親切です!

今回、50年ぶりに水海道の町を歩きました。これならば、かなり、いけそうな気がして来ました。

水海道が好きになりました。

それに、何ですが、女優の、あの“羽田美智子さん”の生まれ故郷なのです。
   

ガンバレ!水海道! 今度は、郊外を歩きたいと思います。

これで“水海道シリーズ”を終わりま~す。


それでは、また次回。


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水海道は“八幡様”と“ツノダの自転車”

2008年03月13日 | お寺・神社
昨日の続きです。

大楽寺を後に、354号線を市役所方向にブラブラ歩きます。354号線は市街を通過する幹線道路です、それなりの交通量があります。

交通量が多い処ですから歩道橋があるのです。ここが市街唯一の歩道橋だと思います。周りを見渡すため登ってみました。


私が辺りを見回していると、50代半ばの夫婦と思われる二人連れが、脇を通り過ぎて行きました。

その時です、強烈な香水の匂いがしたのです。明らかに“ラテン系外国人的”な匂いです。男性は日本人的な顔、女性はラテン系の顔をしています。


そうです!ブラジル人に間違いありません。これまで“ブラジル的風景”は何ヶ所かで見てきました、今回始めて“生ブラジル人”と接近遭遇をしたのです。

水海道とブラジルの“濃い関係”を実感しました。

それにしても香水の匂いは濃く強烈でした。長い間一緒暮らしてきた旦那の鼻は、奥さんの匂いに反応しなくなっているのです。

匂いの残る歩道橋から“幟と鳥居”を見つけました。お寺の次は神社に参拝です。八幡様です。


鳥居の先には、もう一つ鳥居が見えます。鳥居の中は神域なのですが、ここはでは、手前の鳥居と、奥の鳥居の間は駐車場になっています。



神域の中にある駐車場、世間には良くある形態です、背に腹は代えられないのです。

この鳥居を潜ると「ホントの神域」になります。


社務所と本殿をつなぐ朱塗り回廊が、神社らしい風景を演出しているのですが、本殿の建物は、お寺の向拝的な造りになっています。


境内には、特に何もありません。

何か、向拝と比較して本殿が小さいのです。何度も焼失して、何度も建て替えられ、現在に至ったようです。


朱塗りの回廊と向拝、何か能舞台の趣を感じます。


お賽銭を上げ、鈴を鳴らし、二拝二拍手一拝です。

村の鎮守様です。


本殿を覗くと、日本酒が沢山お供えしてありました。


お寺さんに比較して、町の神社は建物と云い、境内の整備と云い、寂しげになっています。

神様と仏様、付き合い方の差が、そうさせているのでしょう。

神様は年に一度のお祭りだけ、仏様はお葬式に、法事に、春と秋のお彼岸に、お盆の墓参りに、訪れる回数に差があるのです。

神社は何に一度の“お祭り”の時だけ賑わうのです。“七五三参り”は、少しだけ賑わいます。

寂しげな八幡様を後に、中心街に向かいます。

神社の傍にあった自転車屋さんです。


“ツノダの自転車”は見たことも、聞いた事も、ない様な?・・・ある様な? ハッキリしない、ボンヤリした自転車です。

この店は“元”自転車屋さんのようでした。

それにしても、町はずれ的で、寂れ感、うらぶれ感が漂う、とても良い佇まいです。

水海道シリーズもそろそろ最終回に近づいてきました。明日あたり終わりそうです。


それでは、また明日。


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水海道は大楽寺で“覚る・悟る・成道”

2008年03月12日 | お寺・神社

昨日の続きです。

さぁて、いよいよ本堂に参拝します。本堂は木造本瓦葺の一般的な造りです。大きさも“ほぼ一般的”なものです。


唯一点、屋根の上に輝く“陶器製?の鯱?”が眼を引きます。遠くからでもかなり目立ちます。


お賽銭を上げ手を合わせ参拝を済ませ、傍らを見ると“怖い仏像”がありました。
   

「成道の釈迦」とあります。“さとり”を得たときのお釈迦様のお姿のようです。飲まず食わずで“観想”し、こんなお姿になったようです。

「飲んだり喰ったり」していては、真理は見つからないのです。衣食は足りない位が良いのです。

それにしても、悟りを得たお釈迦様、かなり酷い“人相”に成っています。胸に空いた「穴」は単なる破損?


こちらはお釈迦様の足形で“仏足跡”とあります。これまで“仏足石”と思っていました。


“仏の足石”よりも、“仏の足跡”が正しい表現に思えてきました。

以前、“銅板”に彫られた“仏足石”を見て、これは変と思ったのですが、仏足跡とあれば問題なかったのです。

こちらは大楽寺のメイン“水子供養”の一画です。かなり“濃い一画”です。


先ずは“龍”です。下を見ると“お清めの水場”です。“水と龍”関係が深いのです。
   

お地蔵様の足元に群がる“赤ちゃん達” ちょっと怖い光景です。


怖いと云えば、こちらです! 片方は安らかに眠る表情で、もう片方は眼を大きく見開いて、何か?誰か?を“威嚇”しているようです。

二つの表情を彫り込んだ、不思議なと云うよりも、不気味な像です。成仏できない水子を表現しているのでしょうか?


水子地蔵のお顔は、とても優しいお顔です。手に乗る赤ちゃんは、お地蔵様に救われたようです。


それにしても、入り口にあった看板のキャッチコピー
 

     “あかちゃん どこへ行ったの”

     “あかちゃん 今どこにいるの”

若い親達には届くのでしょうか?

大楽寺には、釈迦誕生の像、釈迦成道の像、仏舎利塔、賽の河原、六地蔵、水子地蔵等々、いろいろありました。

“仏教テーマパーク”のようで、いろいろと勉強になりました。


これで大楽寺は終わり、次に向かいます。

水海道は、まだまだ続きます。


それでは、また明日。



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大楽寺で“お地蔵様と賽の河原”

2008年03月11日 | お寺・神社
昨日の続きです。

お釈迦様と仏舎利塔を後に参道に戻ります。

六体の地蔵菩薩様です。真新しい“まっ赤な帽子?”に“まっ赤な涎掛け?”

釈迦の入滅後、56億7千万年後に“弥勒菩薩”が出現するまで、現世に仏が不在となってしまうため、その間を、地蔵菩薩様が受け持っているそうです。

地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道を、六体のお地蔵様で分担し、お救い下さるそうです。

56億7千万年とは、かなり中途半端です。いっそのこと四捨五入して60億年でいいように思うのですが、何かきっとそれなりの理由があるのでしょう。

それにしても、56億7千万年の間、“弥勒菩薩”が出現するまで、お地蔵様が頑張るのです。ご苦労様です。


“子供関係”も受け持っているからでしょうか、ヤクルトがお供えしてあります。


“賽の河原”です。

子供が親より先に亡くなることは親不孝とされ、極楽には行けず地獄行きになるそうです。

子供の中でも、幼児は“三途の川”にある“賽の河原”にとどまり、親不孝の償いとして一つ一つ小石を積み上げるそうです。

ところがです、積み上げると鬼が来て壊す、そして、又、積み上げる、また鬼が来て壊す、この無限にくり返される責め苦を受けるそうです。

その無限の責め苦から、お地蔵様が現れ救ってくれるそうです。極楽浄土へ連れっていってくれるのでしょうか?

それにしても、最近の老人は長生きです。成長期は粗食に耐え、高齢期は医療制度により健康を維持しています。

それに引き替え、若者は成長期に「危険な食品」をたらふく食べ、高齢期になる頃は、医療制度も年金制度も、親の世代よりもかなり低下している可能性大です。

格差の拡大、貧困化、医療年金制度の崩壊。親よりも、子供が先に逝ってしまうケースが増えそうです。

今の若者は、現世でも地獄?、来世でも地獄? お地蔵様の出番がかなり増えそうです。


今日は、諸般の都合によりここまでとします。


まだ、大楽寺は続きます。



それでは、また明日。



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水海道の大楽寺で「唯我独尊」を想う

2008年03月10日 | お寺・神社
先週の続きです。

「たぬき食堂」の前を通り過ぎ、354号線を市役所方向にぶらぶらと歩きます。左手にお寺の山門が見えてきました。

大楽寺とあります。


京都嵯峨にある寺の別院で、関東の本山とあります。本山と云う事は、関東には「末寺」が幾つかあるのでしょう。


“京都嵯峨化野念仏寺別院”とあります、これを見ていて、何処までが「地名」で、何処からが「寺名」なのか考えてしまいました。

「そんな事は一々どうでもいい!」と、云われれば、それは、そうなのですけど・・・・・。

後で調べると、「化野念仏寺」が正式名称でした。寺の所在地は“京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17番地”となっています。

化野の地で「念仏」を唱える寺で“化野念仏寺”と云う事なのです。それならば、看板には「京都嵯峨“化野念仏寺”別院」と、表記してほしかった。

「そんな細かい事に拘るな!」と、云われてしまえば、そうなのですが・・・・・・。兎に角、暇なものでして、そんな事を考えるのです。

それで、寺のホームページに載っていた参道の写真なのですが、似ているのです。やっぱり、「本院」を意識して「別院」は造られているようです。

本院の参道。


別院の参道。


お寺の参道は「何処でも、こもこんなもんだ!」と、云われてしまえば、「まぁ。そんなもんだよねぇ」と、答えるしかないですけど・・・・・・。

何か、今日は、弱気になっています。昨日は晴れて暖かかったのですが、今日は、冷たい雨が降っています。気分は「お天気次第」なのです。

山門の先では、清掃の「おじさん」と、近所の「おじさん」が、世間話をしています。私が傍らを通っても、何の反応もしませんでした。


階段を登り真っ直ぐ行くと本堂。


しかし、右手に気になるものが見えたので、右に曲がります。


お釈迦様の“誕生ホーズ”です。産まれて直ぐに、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と云ったそうです。


産まれて直ぐに、そんな事を云う筈が無いのですが、兎に角、尊いお方ですから、「そんな事を云って不思議ではない」と、後世の「お弟子さん達」が考えたのでしょう。

それにしても、この「天上天下唯我独尊」は、ちょっと問題です。言葉どおり素直に解釈すれば「世の中で自分一人だけがすぐれている」となります。

所謂、「ひとりよがり」です。あまり良い言葉ではないと思われています。特に、あの暴走族が、「特攻服」の背中に「唯我独尊」何て「刺繍」を入れたりして、世間では冷たい視線を浴びています。

お釈迦様でも、二千数百年後の世の中に暴走族が産まれ、「天上天下唯我独尊」を背にして、街頭で騒音をまき散らし、走り回る時代が来るとは、想定出来なかったのです。

兎に角、お釈迦様の偉大さを伝える為に、お弟子さん達が考えた事だと思うのです。

しかし、いくら偉いからといって「そこまで云うか?」との、時代の「空気」があります。最近、関係者もこの言葉には、あまり触れたがらない「空気」があります。

誕生のポーズの傍らに、遺骨を納めた「仏舎利塔」があります。


“生と死”が並んでいるのです。

二つを交互に、何度か見つめ、私も、それなりに“生と死”について、ほんの一時だけ、考えてみたりしたのです・・・・・・。


大楽寺は、明日も続きます。


それでは、また明日。



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水海道は“鬼怒川とブラジル”です!

2008年03月07日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

赤煉瓦の三階建てから、鬼怒川方向を望むと小さな公園を発見。


公園はスッキリとして、手入れが行き届いています。

鬼怒川の流れに豊水橋、


広がる河原、なかなかケッコーな眺めです。


水海道には“遊泳会”が、ある?あった?ようです。石柱には、謂われ等は刻まれていませんでした。


この場所で、夏場にビァガーデンを開いたら最高ですね。涼しい川風に、大ジョッキに、焼き鳥に、枝豆に・・・・・・いいですねェー!

公園側から望む、赤煉瓦の三階建て。


公園を後に、354号線に戻ります。交差点の脇にある「塀?」

雑草に囲まれ、所々瓦は剥がれ落ち、残る瓦も苔生し、うらぶれ感、朽ち果て感が漂います。こういう光景も堪らなくいいです。

そろそろ昼食の時間が近づいて来ました。「たぬき食堂」です。


前を通ると、美味しそうな匂いが漂ってきました。昼の仕込みを始めたようです。暖簾はまだ下がっていません。


どんな物を、どんな値段で食べさせてくれるのでしょうか。「味と価格」に不安を感じます。

【店先の“たぬき”です。この「たぬき」は我が家にも一匹います。益子焼きのおみやげです】

何と云っても「たぬき」ですから、化かされるかも知れません・・・・・・ナンチャッテ、冗談です。

店の佇まいから推察して、それなりの物を、それなりの価格で、食べさせてくれそうに思います。

暖簾が出ていたら入ったのですが、少し時間が早かったようです。

もう少し歩いてから昼食です。

ここにも“ブラジル”がありました。

【背景の波形トタンの赤錆び具合がとてもグーです】

ポルトガル語は、文字の上や下に“チョロチョロマーク”が付いています。


文面は隣の“日本語看板”と同じなのでしょう。


まだ、まだ、水海道を歩きます。

それでは、また次回。

【追記】
水海道にお住いと思われる「通りすがり」さんから、沢山のコメントを貰い、いろいろと参考になりました。このような方が見ていると思うと、あまりいい加減な事は書きにくくなります。何て云いながら、本日もいい加減な話でした。

水海道シリーズを開始してから、アクセス数がほぼ半減しています。水海道はあま知られていないようです。でもしかし、水海道は面白く、いい街に思えて来ました。アクセス数は気にせず(ホントはそれなりに気にはなるのです)、自分で面白いと思った事を、これからも、それなりに書いていきます。

アクセス数が半減するなかで、久しぶりのコメントは有り難いものです。通りすがりに、これからも、覗いて下さい「通りすがり」さん。 

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水海道“赤レンガ”三階建ての拘り!

2008年03月06日 | 水海道の風景
一昨日の続きです。

武道館を後に、宝町サンロードから途中で路地に入り、354号線を目指します。

“のんびり”と云うか、“寂れた”と云うか、人通りのない田舎町の昼下がり、一人でせっせと歩きます。

354号線は年に2~3回は車で通過します。板東市方向から、鬼怒川に架かる「豊水橋」を渡り、水海道市街の端っこを掠めます。

端っこを掠めつつ、市街の様子に思いを巡らしつつ、半世紀の年月が流れました。そして、本日、こうして町を歩き廻っているのです。

思いを巡らす原点、水海道の入り口、豊水橋を眺めて見たくなりました。橋の袂から二つ目の、信号のある交差点を入った処の公園です。

噴水と時計台の公園。


人も、車も、町並みも、ゴチャゴチャした都会の中で見る公演は「やすらぎ」ます。人気も車も疎らで、のんびり静かな田舎町の公園は「寂しげ」です。

奥の方に豊水橋が小さく見えます。


“千姫となごみの街”なのです。この看板は今回始めて気が付きました。車で通過していた時には眼に入りませんでした。


なごみの街です。なごむ、和む、和らぐ、うちとける、くだける・・・・・・、それなりに正しいと思います、水海道はそんな街です。

豊水橋に着きました。ホントにふつうの橋です。ふつうの“トラス橋”です。この風景が“これまでの水海道”でした。


橋の袂の交差点の奥に、赤煉瓦の三階建てを発見。


土地が広い場所での三階建て、平屋か二階建てのほうが建設費も少なくて済む筈です。敢えて三階建てに拘ったのです。

この写真も、かなり拘っています。邪魔な電柱、邪魔な電線を消し去ったのです。時間が係っています。

どの角度からも、電柱と電線が邪魔します。


赤煉瓦は窓上部の“アーチ形状”がいいです。窓のサッシは建設当時とは異なり、修繕されているようです。


赤煉瓦の建物に赤煉瓦の塀。塀越しに覗く“笹の緑”が似合います。


窓のアーチ形状に、細長い台形の特殊な煉瓦が一部に使用されています。


この赤煉瓦の建物、敢えて、三階建てにした目的は、“目立ちたかった”、“自慢したかった” そんな思いを感じました。

水海道の街には、いろいろあり、いろいろと面白いです。



それでは、また明日。




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水海道は“勘違い?”の“武道館”でした!

2008年03月04日 | 水海道の風景
久しぶりの“水海道シリーズ”です。

それでもって、“武道館”を目指し、宝町サンロードの“ブラジルレストラン”の先を右に曲がり、少し行った先の右側に、それ“らしき建物”がありました。

武道館にはあまり期待はしていなかったのですが、その僅かな期待さえも、見事に裏切られたのです。

どうも、奥の突き当たりに見えるのが、“まちかど歴史博物館”の“武道館”らしいのです。


左手に建つ“勤労青少年ホーム”あたりからピアノの音が聞こえてきました。それとなく中の様子を窺いながら、前を通り過ぎたのですが、それらしき光景は見えませんでした。


その“らしき建物”に近づいて見ると、単なる昔の“雨天体操場”といった趣です。

体操場ですから、特にこれと云って“凝った造り”でもなく、唯の実用一点張りの、面白くも、可笑しくも無い建物です。


これが歴史的に、それなりの価値がある建造物と云われても、「はぁ~。そう何んですか・・・・・・」と答えて、その後は、長~い、長~い、沈黙が続く、そんな建物でした。

兎に角、傍らに立っている「案内板」に眼をやりました。


凝った造りの「建物の写真」が載っているのです。これが、武道館なの?と、思い、写真と目の前の建物を、何度も何度も見比べました。

玄関の凝った造りは何処へ行ってしまったの? もしかしてと思い、裏に回って見たのですが何もありません。


玄関部分を除いて、建物全体の雰囲気はそれとなく写真と“似て見えた”のです。

改めて、解説文を見ると、真ん中あたりに「玄関部を改築」の文字が眼に入りました。


なるほど!そう云う事か!改築したんだ!改築!、それで違うんだ!と、外観の違いを、ひとり納得したのです。

それにしても、玄関部分を取ってしまったら、この建物はほとんどと云っていいくらい、何の変哲もない唯の古い木造建築です。

折角、ここまで来たのですから、兎に角、じっくり眺めて、何か元を取らなくてはと、辺りを見回しました。

こちらにも、もう一つ「案内板」がありました。


良く読んで見ると、この地には、昭和に建てられた「武道館」と、大正に建てられた「本館」があり、本館は水戸の「県立歴史博物館」に移築された事が判明しました。

先ほどの、「高札風案内板」の写真は、移築された「本館」だったのです。武道館の前に立っているので、てっきり写真は武道館と思い込んでしまったのです。

あの高札は、あくまで、ここに、このような建物が、昔あった事を示す為のものだったのです。それにしても、ちょっと紛らわしいです。

「普通に読めば判る事だ!」と、云われれば、それは、そうなのですけど・・・・・・・。

そんなこんなで、見間違い、勘違いの武道館でした。よくよく見れば、写真の本館は二階建て、こちらは一階建てでした。

それで、これが、歴史博物館に展示してある、“旧水海道小学校”の本館建物です。


歴史博物館には5~6年ほど前に行ったことがあります。その時は、館内だけを観て、屋外の展示はまったく観ていませんでした。

今度行った時には、旧水海道小学校の本館、しっかり、じっくり観察して来ようと思っています。


それでは、また明日。



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土浦で“ひな祭り”で春でした!

2008年03月03日 | 土浦市の風景
本日は3月3日です。“ひな祭り”です。

水海道シリーズはお休みします。それで、わたくし一昨日の土曜日に“ひな祭り”に行ってきたのです。

ホントのところは、別の用件で土浦に行ったところ、偶々、市内で“ひな祭り”をやっていたのです。

ひな祭りのメイン会場は、亀城公園の近くにある「まちかど蔵」です。そのほか、50軒ほどの商店でお雛様を飾っているのです。

“まちかど蔵”の前には、“カブスカウト”の子供達が盛んに“呼び込み”をしています。普段とは異なり、それなりの“賑わい”です。

私も、“元気”で可愛い彼らから、「ひな祭りの会場案内マップ」と「ティッシュ」を受け取りました。


普段は薄暗い蔵ですが、この日は、赤い毛氈の雛壇、色とりどりのお雛様、桃の花に梅の花、いつもと違い華やいでいます。

雛壇下の孟宗竹の緑が全体を引き締めています。


このお雛様達の衣は、地元の名産「ハスの葉」等の植物の葉っぱだそうです。


こちらのお二人の衣装は“渋く”、タダの蓮の葉っぱとは思えません。


こちら、郷土色豊かに「レンコン」が飾られています。名産品ですから、まぁ、いいか。


この子供達の呼び込みは、元気過ぎ、“過熱気味”で、かなり煩くなってきました。2グループで競っているようです。


駅前を通ってこの会場に来たのですが、ひな祭りの開催を感じる雰囲気は何処にもありませんでした。

呼び込み、案内地図配りは、街の玄関である駅前でやった方が、ずっとずっと効果的だと思うのでした。

“雛人形製作関係”のおばさんが、「煩いはねぇー」と、小さな声で呟くのが聞こえました。

可愛い声も、何度も何度も繰り返し聞いていると、甲高くて、耳障りな騒音に聞こえてくるのです。

子供達は一生懸命なんですけどねぇ・・・・・・。指導者の方、やっぱり、駅前がいいですよ。


亀城公園の“垂れ梅”


ほぼ満開、甘い香りが漂います。


この日は、風もなく、暖かく、モォー!ホントに春!


この幟がある処に、お雛様が飾られています。こういう「ひな祭り」、各地でやるようになりました。


それほどお金もかからず、それなりに人が集まります。土浦のひな祭りは今年が始めてかも?

孟宗竹を使った花飾り、冬が終り春が来た気分になります。


何故か? このお人形屋さんは、祭りには不参加のようです。

商売人にとっては、“桃の節句”はもう終りのようです。

“端午の節句”に向かって動いているのです。


偶々行った土浦で、思い掛けずのひな祭りでした。


明日は、間違いなく、水海道シリーズです。


それでは、また明日。


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