歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

土浦 「神龍寺」 “たまき地蔵”の謎

2008年03月20日 | お寺・神社
昨日の続きです。

山門を潜ると左手に、それこそ「まっ赤か」に塗られた祠が眼に飛び込んできました。

“真っ青”な空をバックに“まっ赤か”の祠、はためく幟。荒涼から喧噪に移ります。


お寺の境内に豊川稲荷、神も仏も一緒、神仏混淆です。それにしても、混淆と云っても、神社にお地蔵様や観音様は居りません。

お寺の住職の住まいには“神棚”がありますが(母の実家で目撃)、神社の神主さんの住まいに“仏壇”はあるのでしょうか?

日本人の信仰に対する許容範囲は、かなり“広い”と云うか?、“ゆるい”と云うか? 

まぁ。狭いより広く、厳しいよりも緩く、やっぱり、これで良いのです。これぞ穏やかで、和やかで、平穏なのです。

初詣は神社に参拝、お彼岸、お盆は墓参り、ハロウィンにクリスマス、そして、教会で十字を切り、永遠の愛を誓ってしまう・・・・・・、こんな“ゆるさ”が良いのです。

そのうち、ダイエットを兼ねて、ラマダーンの断食が流行るかも知れません。


お稲荷さんの隣にはお地蔵様です。
 

高札には「たまさ地蔵尊」とあります。
  

「たまき」とは何のこと? 由来を読んでみました。


・・・在学中に亡くなられた、児童職員の霊を慰めるため創設・・・、(たまき)とは、130年前、神龍寺の住職で名僧と云われた、大寅和尚の「欠けることなく 余すことなく 只一輪」の教えを校章したものに由来・・・

読んでも判りませんでした。何で「教え」が学校のマーク「校章」になるの? 教えの図案化? どうやって? 判りません。

調べてみました。先ずは広辞苑で「たまき」を引いてみたら、

た‐まき【手纏・環・鐶・射#】
腕飾りの一。古代、玉・鈴などを紐に通し、ひじにまとった輪形の装飾品。

と、ありました。


次に、「土浦小学校」のホームページを見ました。


この黄色い輪が、校章の「たまき」のようです。

「余すことなく 欠けることなく 只一輪」の、一つの“輪”を図案化したのでした。

“輪”は、完全、無欠、無限、永遠、の象徴なのです。輪は、環であり、和なのです。

   

     ---ホームページからの引用---

 本校は,明治6年(1873年)2月に開校してから,今年で135周年を迎える歴史と伝統のある学校です。JR土浦駅に近く,土浦市の中心に位置しています。近隣には,亀城公園や市立博物館があり,学習環境に恵まれています。

 昔から,土浦小の子どもたちは,『たまきの子』と呼ばれています。金色で一輪の輪を描いた校章「たまき」<<○>>は,明治35年1月に制定されました。(当初は,赤色の一輪だったそうです)

「たまき」は,環・輪の意味であり,いつでも どこでも 誰とでも仲良くできる子どもたちに育ってほしい,という願いが込められています。

 野口雨情は,本校の校歌を作詞した折,校歌の3番をこの「たまき」で結びました。

  われ等の校章 たまきこそ 余らず欠けず  永久に

  天地の如く   つくるなき  動かぬ御代の 微なれ

 校章や校歌に込められた先人の願いや思いを大切にしながら,豊かな心を持ち,たくましく生きる力を備えた「たまき」の子の育成に努めて参りたいと思います。

     ---引用終わり--- 


「たまき地蔵尊」は、大変勉強になりました。

でも、しかし、「高札」の説明文に、・・・(たまき)とは、「環」、「輪」を現す言葉・・・と、注釈が入れてあればと思うのです。

何たって、小学校の「お地蔵様」ですから、その程度の教育的な配慮があっても良いと思うのです。

お地蔵様の話が長くなりました。

次回は、やっと本堂に辿り着きそうです。

それでは、また明日。


コメント
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