今朝の奈良市の最低気温は7.4℃、昼の最高気温は19.7℃、五條市の朝の最低気温は2.5℃、昼の最高気温は19.1℃でした。今日から3月となりましたが、今朝はいきなり快晴の青空が広がり、春の日差しがふんだんに降り注いで、日中はありえないような陽気になりました。建物自体がまだ冷え切っているせいか外のほうがよほど暖かくて過ごしやすいという逆転現象が起きていましたが、それでも厳寒期からすればよほどましな環境で、今日は久しぶりに朝から晩まで暖房器具に火を入れること無く過ごしています。明日は、今、西からゆっくりと雨雲が近づいてきて未明にはこちらでも雨が降り出す模様ですが、この雨かなりしつこく続くようで、天気予報では次に晴れるのは木曜日、更に月曜からは寒の戻りでまた寒くなってくるので、月火水と冷たい雨が降る生憎の天気になりそうです。多分無いとは思いますが、ひょっとしたら山沿いでは雪になる日もあるかもしれませんね。
さて、奈良市市街地の東側、平城宮址の北東すぐのところに、全長255mの前方後円墳ウワナベ古墳や全長204mのコナベ古墳、少し離れて全長219mのヒシアゲ古墳といった巨大古墳が集まる佐紀古墳群で、コナベ古墳の南側すぐのところに、平城京造営時に破壊されたと見られる全長約200mの前方後円墳の痕跡が見つかり、今日、奈良市が発表しました。古墳は佐紀池ノ尻古墳と名付けられました。これまでの発掘で古墳の存在は推定されていましたが、2023年8月の発掘調査で4世紀末のものと推定される埴輪などが出土し、現場付近の航空レーザー測量の結果と過去の調査データをもとに、巨大古墳と見定めたとのことでした。
平城京は、造営時に数十基の古墳を破壊して京域の縄張りをしています。また、市庭古墳のように250m級の前方後円墳の前方部を削り、105mの後円部のみ残されたような例もありますが、200m級の巨大古墳を完全に壊して都の礎としたような事例は、今回初めて確認されました。4〜5世紀造営の200m以上の古墳となると大王墓や皇族、当時のトップクラスの有力者などに限られるでしょうが、300年も経ってしまうと国の一大事業のためには犠牲にならざるをえなかったのでしょう。メキシコの密林やナスカなどでもレーザー測量で未知の遺跡や地上絵が発見されたというニュースも度々見ますが、こうして人工的に破壊された上、今は法華寺町の集落と田んぼしか無く、古くからヒトが生活を営んでその痕跡を覆い隠してしまったような土地でも見つけられるというのは単純にすごいことだと感心致します。多分全国的にも多くの未知の遺構がまだまだ眠っているんじゃないでしょうか? この古墳にしても誰が葬られていたのか、遺骨等は改葬されたのかなど気になる点は多々ありますが、今はこうして発見できたことをただ喜ぼうと思います。