学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

原町区萱浜の白鳥

2012-01-04 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月 4日(水)08時21分11秒

昨日は南相馬市の多珂神社に参詣した後、警戒区域との境界線に沿って、海岸まで見てきました。
その後、県道260号線(北泉小高線)を海沿いに北上し、津波で138人の死者・行方不明者が出た萱浜(かいばま)地区に行くと、防波堤が破壊されて湿地状になったところで白鳥の群れを見かけました。
筆綾丸さんご紹介の漢詩と鳥つながりということで、先にアップしておきます。

「原町区萱浜の白鳥」(その1)(その2)
http://chingokokka.sblo.jp/article/52768332.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/52768442.html

>筆綾丸さん
保坂正康氏の『崩御と即位』は未読ですが、とりあえずウィキペディアを見ると、「慶応2年12月25日(1867年1月30日)、孝明天皇が崩御。慶応3年1月9日(同2月13日)、満14歳で践祚の儀を行い践祚」となってますね。
ここで言う「践祚の儀」ですが、これによって初めて天皇の地位が引き継がれると考えるか、それとも既に崩御と同時に観念的には天皇の地位は承継されていて、「践祚の儀」で、践祚という過去の事実を確認するのみと考えるか、の違いなんでしょうね。
岡田温司氏の『デスマスク』、パラパラ眺めているのですが、p68以下にローマ教皇の死去に伴う教皇権力の移行の場合は、新しい教皇が決定されるまでの空白期間は枢機卿会が教皇権力を持っているとありますね。
天皇の場合は「践祚の儀」が創設的意味を持つのか、確認的意味を持つだけなのか。
後者が正しいように思うのですが、ちょっと面白い問題ですね。

コメント
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