学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「野外円形劇場」案への疑問

2012-01-15 | 東北にて
「野外円形劇場」案への疑問 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月15日(日)19時59分33秒

批判はしないと言いつつ、またまた書いてしまうのですが、気鋭の建築家で「大阪市立大学大学院工学研究科兼都市研究プラザ教授(東京理科大学非常勤講師)」という立派な肩書を持つ宮本佳明氏による「演奏会が行われた海岸近くの敷地に、裏山への避難路を兼ねた野外円形劇場」を造るという案は、根浜海岸の置かれた位置を考えると、どんなもんなんですかね。
ここは釜石市内といっても、釜石港や新日本製鐵の工場がある釜石市中心部とはずいぶん離れていて、むしろ大槌町に近い地域ですね。
そして、ここから直線距離で1.5キロほど北には、私がニホンカモシカに出会った室浜があります。
根浜海岸という美しい砂浜の海水浴場があり、魚も貝も美味しいし、おまけにニホンカモシカや熊にも出会える野趣豊かな自然に溢れた土地ですが、こんなところに「野外円形劇場」を造って、いったい年に何日利用することになるのか。
暫くは佐渡裕氏が何回か来てくれるのでしょうが、釜石市近辺のクラシック音楽ファン、範囲を大幅に広げて岩手県内のクラシック音楽ファンまで考慮に入れても、その数は東京などの大都市圏と比べたら僅少と言わざるを得ず、そのうち興業的な理由で演奏会も打ち切りになるでしょうね。
それに代わる演劇等の文化活動も、やはり観客が集まりそうもない僻地で何をやるのか、という感じがします。
そうすると、結局、建築家と建設業者は儲かっても、地域住民にとっては迷惑なだけの「箱モノ」がひとつ増えるだけじゃないですかね。
こんなものに数億、数十億かけるのだったら、一体数十万円の「迦楼羅像」を被災した浜ごとに立てた方が、よっぽど地域住民のためになると思います。
それと、「宮本佳明建築設計事務所」のホームページで宮本氏の作品を見たのですが、建築家のディープな世界では様々な違いはあるのでしょうが、外部から大雑把に見れば、磯崎新とか安藤忠雄、あるいはもっと遡って丹下健三などの戦後の建築家と全く違う建築を志向している方ではないですね。
丹下健三まで広げるのは大雑把に過ぎ、言語道断と言われるかもしれませんが、丹下健三の「原爆死没者慰霊碑」以降、公共建築における慰霊と憲法の政教分離原則の問題は全く解消されておらず、仮に「野外円形劇場」建設にあたって釜石市その他から公的な補助が出るとしたら、必然的に宗教とは離れた「慰霊」施設にしなければなりません。
もともと宗教と「慰霊」を切り離せるのか、という根本問題がありますが、現実的な妥協としては特定の宗教に関係づけないもの、例えば丹下健三の「原爆死没者慰霊碑」のようなものはオッケーとされていますね。
「原爆死没者慰霊碑」はいろいろ政治問題になったりしていますが、そういう難しい話を離れて、全くの予備知識なくこの建物を見ると、単なるチューブ、単なるコンクリートの土管であって、こんなものに慰霊の役割が果たせるのだろうか、という疑問があります。
もちろん、このような形にならざるをえないのは公共建築という制約があるからで、丹下健三作品の中でも、東京カテドラル聖マリア大聖堂のような建物はそれなりにすごいと思いますね。
まあ、個人的な趣味としては、西欧中世のロマネスクやゴシック様式のカテドラルの方が遥かに好きですが。
宮本佳明氏は優れた建築家なのでしょうが、公的な金を入れる限り、「野外円形劇場」が慰霊にふさわしい建物になるとは思えないですね。

「原爆死没者慰霊碑」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%AD%BB%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91

「宮本佳明建築設計事務所」作品集
http://www.kmaa.jp/works_ja.html
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伽楼羅王

2012-01-15 | 東北にて
伽楼羅王 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月15日(日)10時26分5秒

読売新聞記事の浪江町請戸浜の女性が「ラジカセを持って現場に向かい、焼香台の前では、姉が大好きだった歌を流す」様子は、テレビニュースでも繰り返し流れましたね。
佐渡裕氏の活動が示唆するように、音楽と鎮魂は、確かに非常に深いレベルで結びついていると思います。
だから私は、音楽に関係する仏像を、犠牲者が出た浜ひとつひとつに置いたらよいのではないか、と考えています。
そして具体的には、京都の蓮華法院(三十三間堂)の二十八部衆のひとつ、伽楼羅王が一番適任ではないだろうかと思っています。

蓮華王院
http://sanjusangendo.jp/b_2.html

伽楼羅王(「仏像クラブブログ」より)
http://butuzouclub.blogspot.com/2010/09/blog-post.html

迦楼羅王を始め、音楽に関係する仏は、観音菩薩や地蔵菩薩のように仏としての地位が高い訳ではありませんが、期待される役割は「使者」として、生きている者の鎮魂の思いを亡くなった人に伝えることなので、別に地位が低くてもよいと思います。
蓮華王院の伽楼羅王は造形的に非常に優れていて、足元など、まるで現代のフルート奏者が演奏しているのと見ているような躍動感があります。
仏教の非常に深い伝統に根ざした造形なので、いろんな人に様々な形での想像力の飛翔を許し、鎮魂の思いを音楽に関係づけて表現するには最適の空間を作れるのではないかと思います。
仏像ですからクラシックに限られないのはもちろんで、伽楼羅王の石像があれば、ポップスでもジャズでも演歌でも民謡でも、それぞれの人が自分の好みの音楽を通じて、また亡くなった人が好んだ音楽を通じて、鎮魂の思いを託すことができる空間になるのではないかと思います。
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鎮魂と音楽

2012-01-15 | 東北にて
鎮魂と音楽 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月15日(日)09時15分29秒

一生懸命やっている人たちを批判・批評するのではなく、常に具体的・実践的提案をしようと考えている私にとって、鎮魂と音楽の関係を考えるにあたり、最も興味深いと感じたニュースは、警戒区域に入れられてしまった浪江町民の一時帰宅に関するものです。
最初は2011年5月26日の読売新聞記事。

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慰霊の一時帰宅する人も…浪江・双葉町の住民

 東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内の警戒区域に指定されている福島県浪江町と双葉町への住民の一時帰宅が26日、始まった。
 浪江町では、津波で家族や自宅を失い、慰霊のため帰宅する人の姿もあった。
 浪江町では63世帯111人が集まり、このうち慰霊目的で31世帯52人が参加。双葉町は32世帯60人が参加した。
 浪江町請戸で鮮魚店を経営し、現在は福島市内に避難している舛倉美津枝さん(58)は、姉の末永美代子さん(63)が死亡し、母の森口千代子さん(86)は行方不明のまま。現場を確かめようと、南相馬市内の集合場所でバスに乗り込んだ。
 震災前、姉と母は地元で踊りの指導をしていた。3月11日は、姉の発表会を2週間後に控え、親類らを含め計5人でビデオで踊りをチェックする予定で、その直前に地震に襲われた。美津枝さんはすぐに義母を助けに向かい、2人の無事を信じていたが、姉はその後、遺体で見つかった。
 「震災が現実に起こったことなのか自分の目で確かめないと、気持ちの整理がつかない」と一時帰宅を希望。ラジカセを持って現場に向かい、焼香台の前では、姉が大好きだった歌を流すことにしている。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110526-OYT1T00514.htm

次は、「東日本大震災・浪江町請戸の災害者応援Blog」に載っている昨年5月の新聞記事で、リンク元が切れているため、原記事が何新聞のものかは不明です。

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「お母ちゃん来たよ」一時帰宅の浪江町民 景色に絶句、涙ぬぐい…

 福島県双葉町と浪江町で26日行われた警戒区域への一時帰宅。東京電力福島第1原発の地元、双葉町民の警戒区域入りは初めてで32世帯60人が参加した。浪江町では津波で家屋がほぼ流失し、犠牲者を出した沿岸4地区の63世帯111人が故郷へ。これまでとは違って家財道具を運び出す姿は少なく、帰る家をもなくした住民らの「慰霊の旅」となった。
 浪江町の海岸沿い、がれきだらけの通りに小さな献花台がひっそりと設けられていた。菓子や酒のほか、「天国でも仲良くしてください。早く出てきて」と書かれた兄弟らしき青年2人の写真。
 慰霊のため同行した僧侶、青田敦郎さんは防護服の上に法衣を着て、棚塩、請戸、中浜の3つの地区で読経した。
 漁師だった男性(70)は、歌が好きだったいとこの女性=当時(63)=をしのび、焼香台の近くにあった木の板に「天国に行ってもカラオケ歌えよ」と力強くマジックで書き込んだ。自宅は土台を残し、流されていたという。
http://blog.livedoor.jp/ukedo311/archives/2011-05.html


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鎮魂の演奏会

2012-01-15 | 東北にて
鎮魂の演奏会 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月15日(日)08時23分5秒

昨日の産経新聞の記事です。

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音楽で絆を 佐渡裕さん鎮魂第2楽章へ

 1・17から3・11へ-。阪神大震災からの復興を目指して設置された兵庫県立芸術文化センター(同県西宮市)で芸術監督を務める佐渡裕さん(50)らが、東日本大震災で被災した岩手県釜石市の海岸に音楽・芸術活動の拠点を設ける計画を進めている。佐渡さんの鎮魂の演奏会を定期的に開催するなどし、復興を支援する。
 この計画は佐渡さんが昨年8月、釜石市の根浜海岸で鎮魂の演奏会を行ったのがきっかけ。鎮魂の演奏会は海岸近くで旅館を経営する岩崎昭子さん(55)が、同センターで阪神大震災の鎮魂の演奏会が続けられていることを知り、佐渡さんに「家族が見つからない被災者の心の空白を埋める手伝いをしてほしい」と手紙を送り実現した。
 根浜海岸での演奏会後、佐渡さんが支援の継続を約束。釜石市の復興プロジェクトに関わる岩崎さんも、同センターでの演奏会に招かれ、「佐渡さんと阪神大震災の被災者である観客の復興にかける思いを知り、音楽による心の復興の必要性を感じた」という。
 こうした状況のなかで、岩崎さんの旅館の再建や宮城県石巻市の復興計画を手がける建築家の宮本佳明(かつひろ)さん(50)=兵庫県宝塚市=が、演奏会が行われた海岸近くの敷地に、裏山への避難路を兼ねた野外円形劇場の建設を提案した。
 阪神大震災で被災した100年住宅の再生などで知られる宮本さんは円形劇場について、「豊かな自然と一体化させることと、被災を記憶にとどめることをイメージした」という。
 円形劇場の実現へ向け、同センターは佐渡さんが指揮する21日の定期公演に釜石市の関係者を招き、募金の一部を寄付。釜石市などは劇場の運営母体づくりを進めるという。
 東日本大震災から1年となる3月11日には、佐渡さんがパリのユネスコ本部に招かれて鎮魂の演奏会を行う際、岩崎さんも同行し、世界へ向けて復興への支援をアピールする。
 岩崎さんは「兵庫での佐渡さんらの活動に学んで、心豊かな復興を目指し、それを三陸一帯に広げたい」。佐渡さんは「大震災後、音楽家として何ができるか悩んだ時期もあったが、被災地を歩き、根浜海岸の豊かな自然のなかで鎮魂の演奏をして以来、あらためて音楽が人の心に与える力を知った。釜石での今後の取り組みが復興の一助となれば」と話している。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120114/waf12011417020008-n1.htm

ここに出てくる建築家の宮本佳明氏は東大工学部建築学科出身ですが、私は大学一年生の時に宮本氏と同じ登山サークルに属していて、一緒に山に行ったことがあります。
宮本氏は本格的なクライミングを志向していた人で、まもなく登山サークルは辞めて別の山岳会を新たに作ったため、それほど親しい間柄ではなかったのですが、建築家として活躍していることは折に触れて聞いていました。
佐渡裕氏による「鎮魂の演奏会」は極めて興味深いもので、立派な試みだとは思うのですが、東北の風土の中でクラシック音楽だと、やはり社会の上層の、少数の人しか相手にしていないのではないか、という疑問が生じます。
宮城資料ネットをはじめとする歴史研究者の団体の古文書保全活動も、もちろん立派な活動なのですが、地域社会全体の中では、古文書保全に関心を持つ人は文化的・知的関心の高い少数者であって、古文書を保全したからといって、地域社会全体の復興にはなかなか役立たないのが実際ですね。
宮城資料ネットのサイトで、雄勝町名振浜の永沼家で大量の古文書が流出したことを知り、どんな場所なのだろうかと興味を持って実際に名振浜を訪問し、「おめつき」という、活気に溢れていても少々お下劣な行事の存在を知った時、そんなことを感じました。
もちろん佐渡裕・宮本佳明氏や宮城資料ネットの活動を批判するつもりは全くないのですが、そうした活動では入り込めない、地域社会のもう少し広い部分、深い部分に踏み込んで行く方法がないだろうか、ということを以前から考えています。

名振浜の「おめつき」
http://chingokokka.sblo.jp/article/52388626.html
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ドナルド・キーン氏の勘違い

2012-01-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月15日(日)07時01分43秒

>筆綾丸さん
①は「斬月照弓刀」から軍人であろうと思われるので、ハー李舜臣。
②は「葉声落如雨 月色白似霜」に微かな聞き覚えがあって、ロー白楽天。
そうすると、残りの③は、イー夏目漱石でしょうか。

漢詩を作ることができたら、奥松島の月浜あたりは絶好の素材になりそうです。
奥松島と比べると、松島など観光地化が行き過ぎていて、全然つまらないですね。
2000円払って湾内一周の遊覧船に乗ってみましたが、どーでもいいような島にどーでもいいような名前をつけて自動音声で仰々しく解説するので、いいかげんうんざりしてしまい、1時間の周遊時間の半分は寝ていました。
松島は数多くの島のおかげで波の動きが減殺されたのか、驚くほど軽微な被害しか受けていないのですが、ドナルド・キーン氏は松島が大変な被害を受けたものと誤解されていたようで、松島への同情を何度も表明されていましたね。
さすがに最近は松島と奥松島を混同していたことに気づかれたようですが。

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「私は日本という女性と結婚」 ドナルド・キーン氏、永住へ帰化手続き

 日本文学研究で知られる米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(88)が日本に永住する意思を固め、日本に帰化する手続きを始めたことが15日分かった。関係者が明らかにした。関係者は「東日本大震災で大変心を痛め、被災者との連帯を示すために永住への思いが固くなったようだ」と話している。
 キーンさんは1922年、ニューヨーク生まれ。学生時代に「源氏物語」の英訳を読み、日本文化に興味を抱いた。日米開戦後は海軍情報士官として、玉砕した日本兵の遺書を翻訳したり捕虜を尋問。復員後、英ケンブリッジ大、米コロンビア大、京都大で日本文学を学んだ。「日本文学の歴史」「百代の過客」「明治天皇」などの著作で知られる。
 三島由紀夫とは京大留学中の54(昭和29)年に知り合って以来の友人で、三島作品の翻訳も行った。2008(平成20)年に文化勲章を受章した。
 松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどる旅をし、英訳も出版。東北大(仙台市)で半年間、講義したこともある。それだけに、被災地の状況を心配している。平泉の中尊寺は難を逃れたが、何度も訪れた松島や多賀城など芭蕉ゆかりの地は大きな打撃を受けた…。
(後略)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110417/art11041711580005-n1.htm

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「縁起?」
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/6163
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