「野外円形劇場」案への疑問 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月15日(日)19時59分33秒
批判はしないと言いつつ、またまた書いてしまうのですが、気鋭の建築家で「大阪市立大学大学院工学研究科兼都市研究プラザ教授(東京理科大学非常勤講師)」という立派な肩書を持つ宮本佳明氏による「演奏会が行われた海岸近くの敷地に、裏山への避難路を兼ねた野外円形劇場」を造るという案は、根浜海岸の置かれた位置を考えると、どんなもんなんですかね。
ここは釜石市内といっても、釜石港や新日本製鐵の工場がある釜石市中心部とはずいぶん離れていて、むしろ大槌町に近い地域ですね。
そして、ここから直線距離で1.5キロほど北には、私がニホンカモシカに出会った室浜があります。
根浜海岸という美しい砂浜の海水浴場があり、魚も貝も美味しいし、おまけにニホンカモシカや熊にも出会える野趣豊かな自然に溢れた土地ですが、こんなところに「野外円形劇場」を造って、いったい年に何日利用することになるのか。
暫くは佐渡裕氏が何回か来てくれるのでしょうが、釜石市近辺のクラシック音楽ファン、範囲を大幅に広げて岩手県内のクラシック音楽ファンまで考慮に入れても、その数は東京などの大都市圏と比べたら僅少と言わざるを得ず、そのうち興業的な理由で演奏会も打ち切りになるでしょうね。
それに代わる演劇等の文化活動も、やはり観客が集まりそうもない僻地で何をやるのか、という感じがします。
そうすると、結局、建築家と建設業者は儲かっても、地域住民にとっては迷惑なだけの「箱モノ」がひとつ増えるだけじゃないですかね。
こんなものに数億、数十億かけるのだったら、一体数十万円の「迦楼羅像」を被災した浜ごとに立てた方が、よっぽど地域住民のためになると思います。
それと、「宮本佳明建築設計事務所」のホームページで宮本氏の作品を見たのですが、建築家のディープな世界では様々な違いはあるのでしょうが、外部から大雑把に見れば、磯崎新とか安藤忠雄、あるいはもっと遡って丹下健三などの戦後の建築家と全く違う建築を志向している方ではないですね。
丹下健三まで広げるのは大雑把に過ぎ、言語道断と言われるかもしれませんが、丹下健三の「原爆死没者慰霊碑」以降、公共建築における慰霊と憲法の政教分離原則の問題は全く解消されておらず、仮に「野外円形劇場」建設にあたって釜石市その他から公的な補助が出るとしたら、必然的に宗教とは離れた「慰霊」施設にしなければなりません。
もともと宗教と「慰霊」を切り離せるのか、という根本問題がありますが、現実的な妥協としては特定の宗教に関係づけないもの、例えば丹下健三の「原爆死没者慰霊碑」のようなものはオッケーとされていますね。
「原爆死没者慰霊碑」はいろいろ政治問題になったりしていますが、そういう難しい話を離れて、全くの予備知識なくこの建物を見ると、単なるチューブ、単なるコンクリートの土管であって、こんなものに慰霊の役割が果たせるのだろうか、という疑問があります。
もちろん、このような形にならざるをえないのは公共建築という制約があるからで、丹下健三作品の中でも、東京カテドラル聖マリア大聖堂のような建物はそれなりにすごいと思いますね。
まあ、個人的な趣味としては、西欧中世のロマネスクやゴシック様式のカテドラルの方が遥かに好きですが。
宮本佳明氏は優れた建築家なのでしょうが、公的な金を入れる限り、「野外円形劇場」が慰霊にふさわしい建物になるとは思えないですね。
「原爆死没者慰霊碑」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%AD%BB%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91
「宮本佳明建築設計事務所」作品集
http://www.kmaa.jp/works_ja.html
批判はしないと言いつつ、またまた書いてしまうのですが、気鋭の建築家で「大阪市立大学大学院工学研究科兼都市研究プラザ教授(東京理科大学非常勤講師)」という立派な肩書を持つ宮本佳明氏による「演奏会が行われた海岸近くの敷地に、裏山への避難路を兼ねた野外円形劇場」を造るという案は、根浜海岸の置かれた位置を考えると、どんなもんなんですかね。
ここは釜石市内といっても、釜石港や新日本製鐵の工場がある釜石市中心部とはずいぶん離れていて、むしろ大槌町に近い地域ですね。
そして、ここから直線距離で1.5キロほど北には、私がニホンカモシカに出会った室浜があります。
根浜海岸という美しい砂浜の海水浴場があり、魚も貝も美味しいし、おまけにニホンカモシカや熊にも出会える野趣豊かな自然に溢れた土地ですが、こんなところに「野外円形劇場」を造って、いったい年に何日利用することになるのか。
暫くは佐渡裕氏が何回か来てくれるのでしょうが、釜石市近辺のクラシック音楽ファン、範囲を大幅に広げて岩手県内のクラシック音楽ファンまで考慮に入れても、その数は東京などの大都市圏と比べたら僅少と言わざるを得ず、そのうち興業的な理由で演奏会も打ち切りになるでしょうね。
それに代わる演劇等の文化活動も、やはり観客が集まりそうもない僻地で何をやるのか、という感じがします。
そうすると、結局、建築家と建設業者は儲かっても、地域住民にとっては迷惑なだけの「箱モノ」がひとつ増えるだけじゃないですかね。
こんなものに数億、数十億かけるのだったら、一体数十万円の「迦楼羅像」を被災した浜ごとに立てた方が、よっぽど地域住民のためになると思います。
それと、「宮本佳明建築設計事務所」のホームページで宮本氏の作品を見たのですが、建築家のディープな世界では様々な違いはあるのでしょうが、外部から大雑把に見れば、磯崎新とか安藤忠雄、あるいはもっと遡って丹下健三などの戦後の建築家と全く違う建築を志向している方ではないですね。
丹下健三まで広げるのは大雑把に過ぎ、言語道断と言われるかもしれませんが、丹下健三の「原爆死没者慰霊碑」以降、公共建築における慰霊と憲法の政教分離原則の問題は全く解消されておらず、仮に「野外円形劇場」建設にあたって釜石市その他から公的な補助が出るとしたら、必然的に宗教とは離れた「慰霊」施設にしなければなりません。
もともと宗教と「慰霊」を切り離せるのか、という根本問題がありますが、現実的な妥協としては特定の宗教に関係づけないもの、例えば丹下健三の「原爆死没者慰霊碑」のようなものはオッケーとされていますね。
「原爆死没者慰霊碑」はいろいろ政治問題になったりしていますが、そういう難しい話を離れて、全くの予備知識なくこの建物を見ると、単なるチューブ、単なるコンクリートの土管であって、こんなものに慰霊の役割が果たせるのだろうか、という疑問があります。
もちろん、このような形にならざるをえないのは公共建築という制約があるからで、丹下健三作品の中でも、東京カテドラル聖マリア大聖堂のような建物はそれなりにすごいと思いますね。
まあ、個人的な趣味としては、西欧中世のロマネスクやゴシック様式のカテドラルの方が遥かに好きですが。
宮本佳明氏は優れた建築家なのでしょうが、公的な金を入れる限り、「野外円形劇場」が慰霊にふさわしい建物になるとは思えないですね。
「原爆死没者慰霊碑」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%AD%BB%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91
「宮本佳明建築設計事務所」作品集
http://www.kmaa.jp/works_ja.html