学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

神社紹介の機械翻訳

2012-04-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月15日(日)05時22分38秒

機械翻訳のレベルは急速に向上していて、分野によっては相当正確に翻訳できるようになっていますが、さすがに観光情報は無理でしょうね。
以下、産経新聞より。

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秋田→飽きた ナマハゲ→はげ頭病 「機械翻訳で…」誤訳多数 観光庁が東北観光博サイト閉鎖

 東日本大震災からの復興を支援する国のキャンペーン「東北観光博」の公式ホームページの英語、中国語、韓国語版で誤訳が多数見つかり、管理する観光庁は日本語以外のホームページを一時閉鎖した。自動翻訳機能ソフトを使ったため固有名詞が直訳されたといい、訂正して今月下旬に再開する予定としている。
 誤訳の例として、歌人の石川啄木の法要「啄木忌」は「Woodpecker mourning」(キツツキ喪)▽秋田県の生保内(おぼない)関所跡は「Barrier trace in life insurance」(生命保険における関所跡)▽秋田は「tired」(飽きた)-など。仙台市の「旧伊達邸」はローマ字表記で「きゅういたつてい」に。秋田県男鹿市の伝統行事「ナマハゲ」に至っては中国語で「はげ頭病」の意味になり、秋田県だけで30カ所以上あった。
 観光庁はホームページ上に「機械翻訳によるもので100%正確なものではない」と注釈をつけたが、日々の閲覧数が1万回を超えるようになった今月以降、誤訳の指摘が相次いだ。
 秋田県は「観光はイメージで左右される。しっかりしてほしい」、宮城県は「復興に向けた大切なイベントなのに、あまりにレベルの低い間違いだ」と批判。観光庁は一時閉鎖を謝罪し「見つけるたびに直してきたが、作業が追い付かなくなった」としている。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120414/dst12041423330014-n1.htm

閖上・湊神社の写真にコメントをつける作業をしていたとき、宮城県神社庁の神社紹介の文章はなかなか難しいなと思ったのですが、このニュースを見て、試しにグーグルで機械翻訳してみました。
笑えるところはいっぱいありますが、一瞬でここまで翻訳するのですから、すごい技術ではありますね。
今日はこれから南三陸町に行ってきますので、また後で書きます。


「閖上・湊神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55258081.html

【原文】
鎮座地:宮城県名取市閖上2-3-17
主祭神:健御賀豆智命、伊波比主命 他2柱
例祭日: 10月19日
由緒 :
 室町時代の応永年間(1394~1427)大和の春日大社の分霊を勧請し、湊明神社又は、水門四社明神と称した。はじめは、閖上字大塚(明神堂)に鎮座あり、明暦3年神託により現在の地に遷座する。旧社殿は明治13年の火災後の再建である。明治5年村社に列格、同40年幣帛供進社に指定された。同42年竹駒・富主姫神社を併せ祀る。(宮城県神社名鑑より)。 湊神社の本尊は、四大明王権現であると伝承されているが、権現名は承知されていない、「ゆりあげ水門(みなと)五大明王神」を祀る堂が、「明王神堂」で、略して「明神堂」「お明神様」と言われた。伝説によると「ゆりあげ水門(みなと)神社」が町頭により現在の地に遷座され「名取川水門神社」と言われたのは明暦年頃(1655~6)だと言う。別当寺は、天台宗鹿苑山物聞寺大光(前宮司、千葉家)で本尊は十一面観世音菩薩だと伝承されている。明治維新の神仏分離令により湊神社になったとき、本尊仏は観音寺に、五大明王神は出羽三山修験道場の醐醍山天正院(湊神社所有)に移された。天正院には、修験者の信仰する月山(阿弥陀仏)羽黒山(観世音菩薩)湯殿山(大日如来)蔵王権現が祀られている。ゆりあげ水門(みなと)五大明王神とは、中心に「不動明王」(ふどう)、東に「降三世明王」(ごうざんぜ)、南に「軍茶利明王」(ぐんだり)、西に「大威徳明王」(だいいとく)北に真言宗系では「金剛夜叉明王」(こんごうやしゃ)が祀られるが天台宗系では「鳥栖渋摩明王」(うすさま)が祀られる。ゆりあげ水門五大明王神の中心仏、不動明王は藤塚(閖上より名取川を挟んで対岸)の熊野権現堂に祀られ五大権現堂と称されたが、神仏分離で「五柱神社」となり、不動明王は近くの高福寺に移され火災により消失した。現在天正院には五体とも祀られているが、不動明王に関しては、後に復元したものとされる。五大明王は、我が国が仏教伝来以降より五壇法の本尊として密教寺院に安置され、五大堂とされた(松島の五大堂など)。「ゆりあげ水門五大明王神」は名取川河口の水門の鎮護として蝦夷征伐当時に祀られたものであろうとされる。(文化財保護委員 氏家重男編より)

【グーグルによる機械翻訳】

Natori, Miyagi Prefecture Yuriage 2-3-17 Location: sitting
Main deity: Kaya your life Satoshi Ken beans, the other two pillars master's orders Iha ratio
October 19: annual festival Sun
Historical:
And enshrined the Bunrei of Kasuga Taisha Shrine of Yamato (1394-1427), was called Minato Ming or shrine, and Myojin 応永 year's four sluice of the Muromachi period. Initially, there sitting on the (Hall Myojin) Otsuka Yuriage character, you Senza currently in the land of three years by the oracle calendar Ming. Old shrine is a reconstruction after the fire of 1880. Column that is specified rating, the company proceeds with the 40-year supply Heihaku Sonsha 1872. Along the main wealth-worship shrine princess Takekoma same 42 years. (From the Hall of Fame shrine, Miyagi Prefecture). Buddha Shrine Minato, has been handed down is Gongen Ming Four, name Gongen are not aware, the temple dedicated to God "Ming Great Lakes (Port) sluice Yuriage", in the Hall "God Ming", said Hall "Myojin" for short "and" Myojin like tail. According to the legend say Senza is currently in the land of the town I was told by the head and the "shrine sluice Natorigawa" Shrine "(port) Yuriage sluice" is around and Ming's calendar (1655 to 6). Betsutoji has been handed down (before the chief priest, house Chiba) Daiko 聞寺 thing Tendai mountain deer Buddha and Bodhisattva's eleven in the face. When it becomes Minato Shrine Shinto and Buddhism Separation Decree by the Meiji Restoration, Buddha Buddha is Kwan Yin, God was moved to the Ming Great Lakes (owned by Minato Shrine) In Tensho Dojo 醐醍 Shugen Dewasanzan mountain. Tensho is a Conservatory, Gongen Zao (Dainichi) have been enshrined Yudonosan (Bodhisattva) Hagurosan (Buddha Amitabha) Gassan ascetic of faith. God and the Great Lakes Yuriage sluice Ming (Port), the "Ming Sansei descending" "Acala" in the center (unequal), east (you will not get your browser), "Ming army bicycle" in the south (Li Gunda), west "Ming Tosu bitter friction" in the Tendai system (between the mortar) is enshrined "large Itoku Ming" "Ming Kongoyasha" in the system is to be worshiped is the Shingon sect (Kongoyasha) to north (you are large). God the center of the five Buddha Ming Yuriage sluice, Acala, which was referred to as the Great Lakes Gongendo Gongendo enshrined in Kumano (opposite side from across the Natorigawa Yuriage) Fujitsuka in isolation, next to Shinto Shrine "five pillars", Acala was lost by the fire moved to the nearby Kofukuji. Tensho Conservatory is currently limbs also are enshrined, for Acala, shall be restored later. Ming Great Lakes (for example, Godaido of Matsushima) is enshrined in our country as the principal image of Tantric Buddhism temple since Buddhism than five law Dan, and has been Godaido. To be "God Ming Great Lakes Yuriage sluice" and will be enshrined at the time was the conquest of the sluice gate at the mouth of Ezo as Chingo Natorigawa. (From the hen Shigeo Ujiie Cultural Properties Protection Committee)
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対抗力

2012-04-15 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月15日(日)05時02分21秒

>筆綾丸さん
>登記簿上の対抗力
対抗力というのは実体法上の概念なんですね。
実体法が登記手続きに優先されなければいけないので、実体法上の権利関係が明確になった場合、登記手続きが不備だから実体法上の権利関係を登記に反映できません、などということは許されるはずがないと私は思っています。
リンク先の文章、いろいろすっきりしない点が多いのですが、私も登記関係は全く自信がないので今後の課題としておきます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

岡先生 2012/04/14(土) 21:29:20
小太郎さん
ご引用のサイトに、次のようにありますが、国に対する不動産登記引受請求訴訟のようなものは前例がないのですね。民法施行後、一世紀以上経過するので、一例くらいあるかと思いましたが。本来は国有財産であるが、そのことに関して、残念ながら、登記簿上の対抗力がない、という変則的な状態になるのでしょうね。これは法律上の不備と言うべきなのかどうか。
ーーーーーー
とはいえ、民法上は国の姿勢がどうであろうと、元の所有者が土地の所有権を放棄した以上は国有財産に組み入れられるはずです。
(中略)
ここで国に対して土地の登記名義を引き受けるよう訴訟をするかということも考えられますが、私の調べた限り、前例はないようです。
ーーーーーー

『われ敗れたり』に、次のような不思議な記述があります(75頁~)。
ーーーーーー
そしてふと、昔、数学者の岡潔先生を、奈良のご自宅から宝塚までご案内したときの不思議な体験を思い出しました。岡先生は将棋が大好きで、すごく強かった。そんな岡先生があるとき、名人戦をご覧になりたいというのでご案内したのです。しかし、岡先生は対局場のホテルの前にたどりつくと、突然道端にしゃがみこんで、小枝で数式を地面に書きつけはじめたのです。そして、そのままみじんも動こうとせず、XやらYやらfやら、こちらにはまったく理解できない数式、記号をもくもくと書き続けておられました。そのとき以来の不思議な感覚がよみがえりました。
ーーーーーー

名人戦の一局は、普通、二日がかりで時間は充分あるから、数式を完成させた天才的数学者は、お、もう、こんな時間か、とかなんとか言いながら、対局場に入ったのでしょうね。その間、米長氏が何をされていたか、不明ですが。さすがに、対局場の畳の上には数式は書かなかったと思いますね。岡先生の没年を考えると、このときの名人は不世出の怪物大山康晴ですね、おそらく。家元制名人という制度ができてから、今年はちょうど、四百年になるのだそうですね。

将棋も囲碁も、もはやコンピュータに誰も勝てない、という状況になったとき(近い内になるでしょうが)、将棋や囲碁は人間の知的ゲームとして残り続けるのか。それとも、ともに滅びて、そう言えば、昔、将棋とか囲碁とかいうものがあったそうだね、ということになるのか。
人間が誰も勝てなくなると、次は、コンピュータ対コンピュータになると思いますが、このとき、果たして、「最強」のコンピュータという概念は成り立つのかどうか。つまり、「最強」という概念は有限なのか無限なのか。近未来的には、すべて答えが出てしまうのか。世の中には、もう、あまり未練はありませんが、その辺の状況はみたいものですね。
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