学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

春の大川小学校

2012-04-25 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月25日(水)13時22分36秒

産経新聞の記事に関連して、今月15日(日)に大川小学校を訪問した時の様子をアップしておきました。

「春の大川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55492680.html

大川小学校の問題は、おそらく民事訴訟になるでしょうね。
様々な事情から津波襲来の直前まで校庭に留まっていたとしても、わずか3分程度で安全な場所に避難できたのですから、「三角地帯」を目指した教職員の判断ミスはあまりに重大であり、そのような判断ミスを誘発した柏葉照幸校長の怠慢は正式な法的手続きで追及されなければならないと私は考えます。
先生達も亡くなっているのだから裁判なんかにしなくても、と思う人がいるかもしれませんが、事実関係を調べれば調べるほど、今の時点で裁判になっていないことの方がむしろ不思議です。
それは、やはり地域の事情なんでしょうね。
私も大川小学校を見た後に丸山地蔵を訪問して、丸山地蔵の持ち主のお宅に大川小学校の先生がいて津波で亡くなったと知ったときには驚きましたが、亡くなった先生も児童も大半が同じ地域に住んでいる訳ですから、父兄が裁判に踏み切るのは大変な負担だと思います。
しかし、裁判以外に被害者側が納得できる形で真実を明らかにする公の制度はありませんから、そろそろ実りのない石巻市との交渉を打ち切って正式な裁判にすべき時期でしょうね。
その過程で事実関係が明確になってくれば、裁判所の仲介の下で和解をするということもありえます。
もちろん、亡くなった先生達やその遺族への責任追及ではなく、実際には石巻市への国家賠償法に基づく損害賠償請求の形になりますね。
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産経新聞・大里直也氏への疑問

2012-04-25 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月25日(水)08時55分5秒

産経新聞からの引用です。

--------
「目の前に高台があるのになぜ…」・大川小【東日本大震災パノラマ Vol.180】

 児童74人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校で、長男の健太君=当時(9)=を失った佐藤とも子さん(48)のバッグには、お守り代わりに健太君が書いた一通の手紙が入っている。
 3年生になったころ、道徳の授業でやりとりしたものだ。流産を経て39歳のときに授かった一人息子。「健太だけが私たちの生きる、頑張るすべてだったんです」。涙が止まらない。
 学校で先生がついていながら、なぜ命を落とさなければいけなかったのか。健太君を思うと、いつもそこに考えが行き着き先に進めなくなる。津波到達までの約50分間、目の前に高台があるのになぜ逃げられなかったのか。助かったはずの命と思うだけで、悲しみと悔しさで胸が張り裂けそうになる。
 4月には新学期が始まる。震災の記憶が世の中から薄れていくほど、知りたい先にはたどり着けなくなる。「私たちにとっては風化も何も、まだ終わっていないんです」。悲しみに暮れ、まだ前を向くことができない人も少なくない。
  (文・大里直也)(2012年2月22日、2011年6月11日、植村光貴撮影)
http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2012/0331ookawa03/

産経新聞の「パノラマ写真館」は優れた企画だと思いますが、この大川小学校のパノラマ写真の場合、若干の疑問を感じます。
まず、この撮影方法による特性なのか、大川小学校裏の崖を切り崩した草付の斜面の傾斜がずいぶん緩やかに見えてしまいますね。
この斜面の傾斜は微妙な角度で、一見すると、けっこう登るのが大変そうに見えます。
だから、柏葉照幸校長の「裏山は泥炭地でつるつる足が滑る」という説明が、学校周辺を実際に見ているマスコミ関係者にも特に疑いなく受け入れられる素地があります。
しかし、実際には登るのはそれほど難しくないことはブログの方に書きました。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54643398.html

次に、大里直也氏の文に引用されている佐藤とも子氏の発言は「目の前に高台がある」となっていますが、パノラマ写真を素直に見る限り、「津波到達点」の周囲は斜面であって、「高台」ではないですね。
この斜面は単純に登るのはそれほど難しくないのですが、ずっと立っているのは非常につらいですね。
撮影した植村光貴氏も結構大変だったはずで、筋肉痛になったかもしれません。
私は最初、この「津波到達点」のプレートの上に平場があるのを知らなかったので、この斜面に逃げるのは無理だろうなと思い込んでいました。
ただ、実際には「津波到達点」の約2メートル上に幅が4メートルほどの舗装道路のようなコンクリートの平場があるので、平場を目標とすれば、この斜面に逃げるのは合理的ですね。
そして、この平場は「高台」という表現がぴったりの場所です。
とすると、佐藤とも子氏はコンクリートの平場を念頭に「目の前に高台がある」と言ったのに、大里直也氏がその意味を理解しなかった可能性があるように思います。
「パノラマ写真館」の記事は撮影者が書いていることが多いのですが、この記事では、撮影者と文章の執筆者が分離していますね。
そこで大里直也氏の名前を検索してみたら、この人は記者ではく、「写真報道局」のカメラマンですね。
画像検索すると大里氏が撮影した膨大な数の写真が出てきますが、人物は天皇陛下・野田首相・石原慎太郎・渡辺恒雄・拉致被害者家族会からジュリア・ロバーツ・多部未華子・長谷川理恵・飯島直子まで、その範囲の広さに驚かされます。
また、数としてはサンスポ掲載のスポーツ写真が多くて、野球・サッカー・陸上・ゴルフ等、あらゆるスポーツをカバーしていますね。
更にはフェラーリ等の高級スポーツカーの発表会の写真まであります。
ただ、被災地関係の写真はそれほど多くはないですね。
この記事の場合、佐藤とも子氏に取材したのは大里氏でしょうが、大里氏は本当に大川小学校周辺を見ているのか。
大里氏は植村光貴氏の撮影した写真を見て、傾斜が緩そうだから、この斜面全体が佐藤とも子氏の言う「高台」なのだろうと思ったのではないか。
どうも私には、撮影者と文章の執筆者が分離したために、証言した人の真の意図が記事に反映されなかった可能性が高いように感じられます。

(追記)
2012年3月10日付の下記記事を見ると、この記事自体は無署名ですが、佐藤とも子氏に取材したのは大里氏で間違いないようですね。
さすがに文章が下手なカメラマンからの又聞きで同僚や上司が作文した、といった話ではなかったですね。
内心、ちょこっと疑ってしまいましたが。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120310/dst12031023000023-n1.htm
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