投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月15日(土)22時45分19秒
>筆綾丸さん
昔は如月さんが何をやっているのか全然分からなかったのですが、少しずつ関心が重なってきたような感じもします。
義江彰夫氏は1943年生まれなので、1973年の時点では数えで31歳、石母田氏は62歳ですね。
「論理的思考に強い人は、だいたい語学が弱い。語学の達者な人は、論理的思考力の足りないのが普通」というかなり強引な一般論は、石母田氏が多くの学者を観察した結果得た結論なのか、それともこれ自体が義江彰夫氏の反応を楽しむために即興で思いついた冗談なのか、学生が笑った理由は義江氏の論理的能力・語学力への評価と関係するのか、それともそのような評価それ自体とは無関係に、石母田氏の問いかけに義江氏が瞬時に切り返すことができず、アタフタしていた様子が面白かったためなのか等々、いろいろ考えて行くと何だかよく分からない話ですね。
ということで、[設問1]は出題者である私もよく分かりませんが、[設問2]は、まあ客観的には(1)だろうと思います。
ただ、石母田氏は「父と子と」というエッセイ(『石母田正著作集』第16巻、初出は『講座 現代倫理』月報6、筑摩書房、1958年)において、「外国語は、今でもぼくの最大の苦手である」と言われていますね。
では、どのくらい「苦手」なのかを丸山真男氏に聞いてみると、「吉祥寺での付き合い」(『石母田正著作集』月報1)には次のような記述があります。
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吉祥寺の私の家は文字通り兎小屋で、住宅公庫で金を借りて建てた掘っ立て小屋でしたけれども、そこに石母田君が時々着流しでやってきました。そのころ、一つ覚えていますのは、カール・シュミットの『政治的なるものの概念』という小さな本があります。むろん戦中に出たドイツ版です。それを石母田君が貸してくれというので、貸したことがあります。
そうしたら、それからしばらくしてまたやって来て、実に面白かったというんですね。私もカール・シュミットのものは学生の頃から読んでいました。ご承知のようにワイマール時代からの第一級の学者で、ナチ時代まで残っていた社会科学者というのはほとんどいないのです。だいたいみんな亡命したか、ぶちこまれたかしているわけですね。
ところがカール・シュミットはワイマール時代にすでに名声嘖々としていて、ナチ時代はクローン・ユーリスト、─王室顧問法律家とでもいったらいいのでしょうか─、と、われひとともに認めるナチ法学の代表的なイデオローグになった。結局は失脚するんですけれども、ともかくワイマールからそのままナチまで残った第一級の人ですね。
ですから、西ドイツでもカール・シュミットの評価というのは分岐しています。いまでも非常に評価の揺れている学者ですけれども、石母田君はそのシュミットの『デア・ベグリフ・デス・ポリーティッシェン』を非常に激賞したというのが、私には印象的なんです。
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ということで、この後、何故印象的だと思ったかの理由が続くのですが、まあ、それはともかく、当面の関心事であるところの石母田氏はどれくらい外国語が「苦手」かという問題に限ると、石母田氏は英語はもちろん不自由しない上に、カール・シュミットの難解な『デア・ベグリフ・デス・ポリーティッシェン』を丸山真男から借りて、「しばらくして」、その内容について丸山真男と語り合う程度に「苦手」なのだそうで、かなりイヤミな感じがしないでもありません。
ただ、これはおそらく「苦手」の基準が一般人とは違うからでしょうね。
例えばエンゲルスあたりの語学力と比べたら、さすがに石母田氏レベルでも外国語は「苦手」となりそうですね。
フリードリヒ・エンゲルス
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
老人と銀行 2014/03/15(土) 12:40:14
小太郎さん
如月さんは、現在も、翻訳を継続されているのでしょうね。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-892b.html
よくわかりませんが、設問1は(4)、設問2は(1)でしょうか。
石母田氏が、このような一般論をどこから導き出したのか、知りたいところですね。
http://www42.tok2.com/home/uwajimanenrin/shinchimei/shinchimei01.html
駄場という姓は駄馬と紛らわしいのですが、宇和島地方に多いようですね。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO64445410R21C13A2M12101/
最初の数頁を書店で立ち読みしただけですが、多才な人ですね。ただ、帝都銀行などという時代遅れな名称は、現在の都市銀行のトップとはとても思えず、横文字を適当に入れて、もう少し軽い名にしたほうがよかったのではないか、と思われました。選考委員諸氏は老人のため、あまり抵抗を覚えなかったのだろうか。
小太郎さん
如月さんは、現在も、翻訳を継続されているのでしょうね。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-892b.html
よくわかりませんが、設問1は(4)、設問2は(1)でしょうか。
石母田氏が、このような一般論をどこから導き出したのか、知りたいところですね。
http://www42.tok2.com/home/uwajimanenrin/shinchimei/shinchimei01.html
駄場という姓は駄馬と紛らわしいのですが、宇和島地方に多いようですね。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO64445410R21C13A2M12101/
最初の数頁を書店で立ち読みしただけですが、多才な人ですね。ただ、帝都銀行などという時代遅れな名称は、現在の都市銀行のトップとはとても思えず、横文字を適当に入れて、もう少し軽い名にしたほうがよかったのではないか、と思われました。選考委員諸氏は老人のため、あまり抵抗を覚えなかったのだろうか。