学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『戦国大名─政策・統治・戦争』

2014-03-20 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月20日(木)13時30分39秒

黒田基樹氏の『戦国大名─政策・統治・戦争』(平凡社新書、2014)を購入してみましたが、「国家」については予想通りの内容でした。(p16)

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「自分の力量」による領国支配

 まずは領国を支配するということについての、権原についてである。この点は戦国大名の概念をめぐる学説においても、議論がたたかわされている部分である。学説を大きく分けるとすれば、実力によるとするものと、上位権力からの権限委譲(守護論など)によるとするものとに、まとめられるであろう。では実際には、どのようにとらえることができるであろうか。
 戦国大名の領国は、当時においては「国家」と称された。領国とそれを主導する大名家が一体のものと認識され、それによって生じた用語といえる。したがって領国は、実質的にも名目的にも、一個の自立した国家として存在していたととらえられる。戦国時代とは列島各地にそうした地域国家が乱立して存在していた時代、ということになる。
(後略)
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「したがって」の前の部分は<戦国大名の領国は、当時においては「国家」と称された。領国とそれを主導する大名家が一体のものと認識され、それによって生じた用語>とあるので、史料上の用語としての「国家」を論じている訳ですが、「したがって」の後は理論上の国家の話に移ってしまっています。
私は史料上の用語としての「国家」と理論上の「国家」は峻別すべきものと思っているので、なぜ「したがって」で結びつくのか、全く理解できません。
ただ、まあ、この部分は別に黒田基樹氏に独自の考察がある訳ではなく、勝俣鎮夫氏の「独創的」見解をそのまま承継しているだけなので、勝俣鎮夫氏の見解が何故かくも長く戦国時代の研究者に受け継がれているのかを含めて、勝俣氏の著書に基づいて少し検討したいと思います。

史料上の「国家」と歴史理論上の「国家」
「国家」の中の「家」
『近代法の形成』
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石母田「正」の由来、再論

2014-03-20 | 石母田正の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月20日(木)10時43分55秒

>筆綾丸さん
>石仏
「親友」の荒井泰治が中江兆民にフランス語を学んでいたと聞いて、最初は「仏」にフランスの可能性もあるのかな、などと想像したのですが、これは考えすぎでした。
石母田正氏への教育方針から見ても、正輔氏の関心は「英学」に止まっていますね。
「石仏」に関係するものではありませんが、正輔氏のネーミングのセンスを伺わせるものとして、五人兄弟の長兄、俊(しゅん)氏の「弟、達の誕生」というエッセイは参考になります。
(『激動を走り抜けた八十年』、p60以下)

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 達(たつ)は、私たち五人兄弟の末弟である。
 私たちの家は北上河畔にあって、ちょっと大げさな言い方をすれば、二階から長い釣竿で、魚が釣れるほどの河岸にあった。
 大正十三年五月十一日は、陰暦の四月八日、釈迦誕生の日であった。向こう岸の不動堂から、祭り太鼓の音が川面をまりのようにころがってきた。書画骨董好きの父と私は、二階でこの日にちなんだ釈迦の画をしきりに探していた。そのとき、女中のばかでかい声が、階段の中ごろで叫んだ。
「また男の子ですって!」
ふと私の心中を横切った斉藤茂吉の歌─
「あらたなる命のこえのすこやかさ 吾子は生まれたり吾子は生まれたり」
「どうだ、名前を考えてみたら・・・・」
と父が言う。私は咄嗟(とっさ)に、
「今日はお釈迦さんの日でしょ。悉達多(しったるた)の達では?」
「うん、それがいい。達はいい─」
人間一生の符牒は、かくも簡単に決するものか。長じて鈍重な性格。ものおじしない子供。それでいて人一倍、思いやりのあるやさしい性格を持っていた。顔が三陸海岸で捕れるほやに似ていた。
 長いこと達にまつわりついて離れなかった代名詞。達のために、ほやをまだ知らない方は、どうか知らないでいてほしい。達が可哀想である。
 釈迦の教えがどんなものか、私は知らない。もし釈迦の教えが、人格の尊厳と人間の平等をその教理の根本思想としているならば、悉達多の一字を名に冠した達こそその生涯を虐げられる者のために、燃焼し尽すであろうし、また尽くさずんばおれない弟であることを、誰よりも私は堅く信じている。
(筆者は、長兄・東京都庁勤務。桃源社刊「江戸っ子」「東京から江戸へ」の著者)
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なかなか洒脱な文章ですね。
さて、1924年の達氏誕生の時点で正輔氏(1861年生まれ)は既に数えで64歳、長兄の俊氏(1908年生まれ)は17歳ですが、徹底した無神論者であるはずの正輔氏が「悉達多(しったるた)の達」に簡単に賛成している点は興味深いですね。
ま、宗教的信念とは別に、けっこう軽い感覚で名前をつけている訳ですね。
また、父親と厳しく衝突した正氏と異なり、長兄の俊氏と正輔氏の関係が極めて良好であることも興味深い点です。
正氏の「正」が「正輔」氏の「正」を継承したものならば、長男の俊氏としては面白くないはずです。
二人の関係が極めて良好であることは、正氏の「正」は長男にも十分納得の出来る理由があるのではないか、即ち「大正」の「正」ではないか、という私の仮説の傍証にはなりそうですね。

伊藤之雄氏の『政党政治と天皇 』(講談社「日本の歴史」22、2002年)には1912年7月30日の明治天皇崩御後、9月13~15日に行われた「大喪の礼」までの中央・地方の様子が描かれていますが、正氏の誕生は9月9日なので、「大正」の「正」は新時代の到来を告げる非常に新鮮な響きを持った言葉だったはずですね。

※追記
下記記事を踏まえての「再論」です。

「町制初まつて以来の移入町長」」(その1)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

石母田上人と山頭火 2014/03/19(水) 15:42:01
小太郎さん
石仏というと、田んぼの畦道に赤い前掛けをした地蔵様が佇んでいて、秋の実りの頃、赤とんぼが石頭に羽を休めている・・・というような山頭火的光景が浮かんできます。

蓮如といえば、親鸞の「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」を思い出しますね。石母田上人にすかされまいらせて、中世を研究したが、断じて後悔していない・・・。

蛇足
http://en.wikipedia.org/wiki/File:HistoryOfUniverse-BICEP2-20140317.png
http://mainichi.jp/select/news/20140318k0000e040183000c.html
以前、大栗博司氏(『重力とは何か』『超弦理論入門』)のビッグバンの記述について、これほど優秀な人がなぜ二度も間違えたのか、と書きましたが、二つの図解を較べると、基本概念が全然違うのですね。
私はウィキの図のように理解してビッグバンが宇宙の誕生と思っていましたが、毎日新聞の図によれば、ビッグバンの前にインフレーションがあり、さらにその前に宇宙の誕生がある、ということになるのですね。ウィキの図にまだ正しいところがあるとすれば、位相の違う二種類の重力波があるようですが、今回の発見はどちらなのだろう?
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荒井泰治

2014-03-20 | 石母田正の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月20日(木)09時53分25秒

しばらく続けてきた石母田正輔シリーズ、そろそろいったん休みたいと思います。
面白そうな材料はいろいろあって、特に興味深いのが石母田正輔氏の「親友」、荒井泰治(1861~1927)ですね。
最初は後藤新平周辺で利権を狙っていた人物なのかなと思ったのですが、荒井は中江兆民の塾で学んだ後、仙台藩出身の富田鉄之助が副頭取だった日本銀行に入り、『銀行誌』という書籍も執筆したそうで、相当ハイレベルのインテリですね。

「賀田金三郎研究所のブログ」(※仙台市史編さん室長菅野正道氏の著書の引用)
http://blogs.yahoo.co.jp/hualien_history/45895009.html

実業家として成功した後も、東北大学へ「狩野文庫」を寄贈するなどの文化支援活動を行っていたそうです。

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東北大学百年史編纂室ニュース第5号

狩野亨吉先生と東北大学
 東北大学附属図書館が所蔵する「旧蔵者の名を冠する個人文庫」のうち、最大のものが「狩野文庫」である。国宝二点を含む十万八千冊の蔵書量と、研究用文献として古今無双の質の高さを誇り、近年その一部がマイクロフィルム版として公刊されたため、広く内外の研究者を稗益している。
 この「狩野文庫」は、大正元年に仙台出身の資産家で貴族院議員荒井泰治氏からの奨学寄付金三万円をもって買い入れた、文学博士狩野亨吉の旧蔵書であり、その後数次にわたり追加されたものである。
http://www2.archives.tohoku.ac.jp/hensan/news/kiji5.htm

荒井泰治に関しては『荒井泰治傳』(奥山十平, 新井一郎編、明文社、1916)という伝記があるそうで、おそらくこれに石母田正輔氏への言及があるのではないかと期待しているのですが、国会図書館にも置いていないので、閲覧は少し先になりそうです。

「荒井泰治傳」
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN1121654X
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