投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月20日(木)13時30分39秒
黒田基樹氏の『戦国大名─政策・統治・戦争』(平凡社新書、2014)を購入してみましたが、「国家」については予想通りの内容でした。(p16)
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「自分の力量」による領国支配
まずは領国を支配するということについての、権原についてである。この点は戦国大名の概念をめぐる学説においても、議論がたたかわされている部分である。学説を大きく分けるとすれば、実力によるとするものと、上位権力からの権限委譲(守護論など)によるとするものとに、まとめられるであろう。では実際には、どのようにとらえることができるであろうか。
戦国大名の領国は、当時においては「国家」と称された。領国とそれを主導する大名家が一体のものと認識され、それによって生じた用語といえる。したがって領国は、実質的にも名目的にも、一個の自立した国家として存在していたととらえられる。戦国時代とは列島各地にそうした地域国家が乱立して存在していた時代、ということになる。
(後略)
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「したがって」の前の部分は<戦国大名の領国は、当時においては「国家」と称された。領国とそれを主導する大名家が一体のものと認識され、それによって生じた用語>とあるので、史料上の用語としての「国家」を論じている訳ですが、「したがって」の後は理論上の国家の話に移ってしまっています。
私は史料上の用語としての「国家」と理論上の「国家」は峻別すべきものと思っているので、なぜ「したがって」で結びつくのか、全く理解できません。
ただ、まあ、この部分は別に黒田基樹氏に独自の考察がある訳ではなく、勝俣鎮夫氏の「独創的」見解をそのまま承継しているだけなので、勝俣鎮夫氏の見解が何故かくも長く戦国時代の研究者に受け継がれているのかを含めて、勝俣氏の著書に基づいて少し検討したいと思います。
史料上の「国家」と歴史理論上の「国家」
「国家」の中の「家」
『近代法の形成』