投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月26日(水)08時46分42秒
>筆綾丸さん
>鳩杖
近代でも鳩杖下賜の慣行が残っており、吉田茂元首相が最後だったと知ったときは、ちょっと驚きました。
源知行が正式に鳩杖をもらっているのか、後で調べてみます。
矢野憲一氏、『杖』(ものと人間の文化史88)
桜井英治氏の「中世史への招待」(『岩波講座日本歴史第6巻 中世1』)を読みましたが、同業者への醒めた観察が面白いですね。(p6以下)
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社会史的傾向の後退ということを別にすれば、歴史学が網野とともに失った最大のものは一般の読者層であろう。それは通史物などの発行部数をみれば一目瞭然だが、とりわけ中世のような、現代には必ずしも直結してこない遠い過去のできごとに、一般読者層の(できれば娯楽的興味以上の)関心を向けさせるのはいまや至難の業となった。一方、これもまたいまにはじまったことでないとはいえ、歴史家の書くものは一般読者層のみならず、いわゆる知識人とよばれる人たちの関心もあまり引かなくなったようにみえる。それは戦後マルクス主義歴史学が傲慢に振る舞いすぎた報いなのか、それとも言語論的転回とよばれる好機に便乗した村八分なのか、いずれにしても歴史学が知の世界への貢献を期待されなくなって久しいのではあるまいか。
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「できれば娯楽的興味以上の」はAKB評論家の本郷和人氏へのイヤミのような感じがしないでもないですね。
ま、それはともかく、続きの部分は更にシニカル度がアップします。
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中世史学界から何かを発信できないかと考えたとき、もっとも大きな障害は、逆説的ないい方になるが、中世史学が適度な史料に恵まれ、それらを分析するための精緻な研究法を発達させ、世界に誇れる実証的研究を実現させてきた、まさにそのことにありそうである。技能において世界の最高峰を踏破しながら、設計図だけはつねに天から降りてくるのを待っている状態─あたかも腕のよい職人たちのそろった下請け町工場のような様相なのだ。その設計図をみずから描き上げないことには魅力ある発信は期待できない。設計図とはいってもいきなり唯物史観のようなグランドセオリーを考える必要はない。より小規模でも汎用性の高い設計図があるはずだ。
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「腕のよい職人たちのそろった下請け町工場」という辛辣な比喩は、具体的にはどんな「職人たち」を想定しているのか。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
鳩杖隠士 2014/03/25(火) 23:00:00
小太郎さん
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b147008.html
http://web.archive.org/web/20150916221050/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu0-jobun.htm
小太郎さん
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b147008.html
http://web.archive.org/web/20150916221050/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu0-jobun.htm
築島裕氏の復刻版『歴史的仮名遣い』をめくると、源知行(行阿)の『原中最秘抄』の奥書に「貞治三年九月廿七日 俗名知行鳩杖隠士行阿 在判」という記載があるとありますが(48頁)、鳩杖とは懐かしいですね。鳩杖隠士という署名からすると、鳩杖は大変な名誉だったのでしょうね。何の根拠もありませんが、後光厳天皇あたりから賜ったのでしょうか。