学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

渡部義通氏『猫との対話』

2014-03-22 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月22日(土)09時15分34秒

某図書館にて渡部義通氏の名前で検索したら『猫との対話』というお気楽なタイトルの本が引っかかって、同姓同名だろうなあと思いつつ取り寄せてみたところ、間違いなくご本人でした。
渡部氏は古典を縦横に引用して猫に関する薀蓄を傾けた後、「女房」と猫に囲まれた楽しい生活を描いていて、超硬質な論文との落差にびっくりしました。

『猫との対話』

「渡部」は福島県に多い名字ですが、渡部義通氏(1901~82)も福島県、それも会津の山奥の出身で、容姿も失礼ながらとても女性にもてそうには思えないのに、「女房」は三井総領家第10代当主・三井八郎右衞門高棟(たかみね)のご令嬢、三井礼子氏(1905~89)ですね。
ま、これは三井礼子氏が、

-----
東京帝大の聴講生となり,マルクス主義歴史学を研究。昭和21年民主主義科学者協会設立にくわわり,婦人問題研究会を組織した。共編著に「女性の歴史」「現代婦人運動史年表」など。平成元年1月13日死去。83歳。東京出身。女子学習院高等科卒。

という方なので、「身分」違いの結婚になったのでしょうが。

三井広報委員会「高棟・團の名コンビ誕生」

『石母田正著作集』第16巻月報に松本新八郎氏が「戦時下のことなど」というエッセイを寄せていて、その中に三井礼子氏も登場しますね。

-------
 やがて、藤間君の紹介で故渡部義通さんと会うことになりました。一九三七年の春だったでしょう。『日本歴史教程』の中世篇をつくるというので、研究会を持つことになります。(中略)
 この研究会は、「貞永式目」が終わりかけると、テーマに直接かかわる古文書をということになります。『東寺文書』や『高野山文書』は印刷物で手に入りますが、当時は東大寺文書が活字になっていません。それで、女性史エンチクロペディアの机を東大社研においていた三井さんが、史料編纂所の方に頼んでそれを筆者してくれました。これをもっとも熱心に研究したのが石母田君で、やがてその成果が、敗戦の前夜になって『中世的世界の形成』となってみのり、おそらく藤間君の『日本荘園史』の重要な史料にもなったでしょう。(後略)
-------

>筆綾丸さん
>「しょう」
これは間違いなく「しょう」ですね。
石母田五人兄弟は上から俊(しゅん)・正(しょう)・節(せつ)・純(じゅん)・達(たつ)で、漢字一字の音読みという共通点があります。
達氏の『激動を走り抜けた八十年』p161に五人一緒の写真が載っていますが、全員が正輔翁に似ていて、ただ東京商科大学を出て歌舞伎を裏方として支える藤波小道具の社長となった白川純氏と、後半生に演劇に関わることになった節氏が、やはりどこか洒落た雰囲気を醸し出していますね。
長兄の俊氏は、失礼ながら達氏と同じ程度に「ほや」に似ていますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ほやほやの 取り上げ婆や 花祭り 2014/03/21(金) 12:21:47
小太郎さん
『戦国大名─政策・統治・戦争』の当該箇所は、新書版とはいえ、なんと杜撰な記述だろう、と私も思いました。領国がどうしたの、国家がどうしたの、と言うけれども、実は何も考えていないのではないか、と。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/5/0029970.html
勝俣氏『戦国時代論』の「国民国家」論も、語弊がありますが、一体、どう読めば納得できるんだ、といった感じですね。

「正」は「ただし」ではなく、やはり「しょう」と読まねばならぬのでしょうね。誕生日がいわゆる重陽なので、「お印」は畏れ多くも菊ですか。
北上河畔の二階から長い釣竿を垂らすと、川魚ではなく海の物(ホヤ)が釣れた、しかも灌仏会の日に、漢字で書けば老海鼠が、とは、まるで俳諧の世界のような秀逸さですね。弟の「お印」は老海鼠らしからぬ桜ですか。

http://www.biyagura.jp/item-sintobeer.shtml
お伊勢参りをしてきた知人のお土産は SINTO BEER で、神道麦酒とはお洒落だなと思いましたが、神都麦酒でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする