学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

再び鵜飼信成の「狡猾」発言について

2015-11-02 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年11月 2日(月)13時19分58秒

丸山真男の「シュミット『国家・運動・民族 政治的統一体の三分肢』訳者はしがき」はけっこう難しいと思われる人が多いでしょうが、私も別に全部を理解して引用している訳ではありません。
ケルロイターの位置づけを正確に知るためには、その論敵たるカール・シュミットをきちんと理解しなければなりませんが、今の私には全くその準備はありません。
ま、カール・シュミットは一年後くらいの課題として、鵜飼信成の「狡猾」発言に戻りたいと思います。

さて、石川健治氏によれば、鵜飼は「その当時、カール・シュミットこそがナチス法学の代表者と看做されていたのであり、本当にナチスを批判したければ、シュミットを批判しなくてはならなかったのだ」と言ったそうですが、文脈上、「その当時」とは宮沢俊義が『公法学の諸問題─美濃部教授還暦記念』所収の「国民代表の概念」を発表した頃ですね。
同書の出版は1934年8月ですが、執筆に要した時間を考慮すると、前年の1933年から1934年前半くらいを念頭に置けばよいですかね。
丸山によれば、「一時はナチス公法学の指導者として自他ともに許し、ケルロイターなどの学問的攻撃にも拘らず少壮学徒を翕然として傘下に集めたシュミットが、一旦親衛隊の機関誌 Das schwarze Korps の一九三六年十二月の紙上で多分に悪意的な攻撃を受けるや忽ち問題は学問的領域にとどまらずして政治問題と化し、彼はベルリン大学教授の地位を除く一切の公職を退くの止むなきに至った」とのことなので、鵜飼の言う「その当時」は「カール・シュミットこそがナチス法学の代表者と看做されていた」と言ってよさそうですね。
『公法学の諸問題』出版が1934年、天皇機関説事件が1935年で、その翌1936年にカール・シュミットのドイツにおける社会的地位は激変して「ナチスの正統的地位から顛落」し、ケルロイターに取って代わられますが、宮沢俊義が「国民代表の概念」を執筆していた時点ではそんなことは誰も予想できず、あくまでシュミット一番、ケルロイター二番だった訳ですね。
しかし、だからといって私は鵜飼の宮沢評には全く賛成できません。
その理由は以前にも少し書きましたが、そこでは背景的・周辺的な事情に触れたのみで、肝心の「国民代表の概念」の分析は全く行っていませんでしたので、この点を後で少し書くつもりです。

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ケルロイターとシュミット(その4)

2015-11-02 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年11月 2日(月)11時06分33秒

続きです。
これで最後となります。(p93以下)

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 シュミット自身もナチス政情の変化に適応することを必ずしも怠ったわけではない。彼が『法学的思惟の三定型』(一九三四年)という著書で法を規範と見る立場(規範主義)と決断と見る立場(決断主義)と具体的秩序と見る立場(具体的秩序思想)とを比較し、規範主義を自由主義的なものとして排斥することは従来と変らぬが決断主義をも不充分なものとし、具体的秩序思想を以てナチス的法思想としているのは、従来のシュミットがむしろ政治的決断に決定的重要性を置いていた事から見て、そうした適応の試みともいえよう。「決断」において危機的性格が濃厚であるに対し、「具体的秩序」においてはより安定的なモメントが観取されるからである。しかしこれもケルロイターなどの容れるところとならない。ケルロイターは規範と決断と具体的秩序とを相互に排斥する概念とせず具体的秩序思惟といっても、法的概念である限りは同時に規範をも決断をも含まざるをえないとするのである。結局この論争においてもシュミットの思惟は「あれかこれか」というつきつめた態度であり、反之〔これにはんして〕ケルロイターの態度には「あれもこれも」という包容性が見られる。それだけに、思惟の独創性という点はともかくとして、現実政治に対する適応性においてやはりケルロイターは勝るものがあるのである。
 かくしてシュミットは政治的実践を断たれたとはいえ、学問的影響力をも失った訳ではない。いな、ナチスの公法・政治学界においてわれわれはシュミットの影響がいかに浸透しているかに屡々おどろかされるのである。従ってここに訳出した『国家・運動・民族』も単にナチス文献として歴史的な地位を占めるに止まるものではない。それは単に「克服された」と片付けるべくあまりに活々と現在のナチス学界に生命を保っている。所謂「新刊」には属しないが、このいわばナチス公法学の「古典」を紹介するだけの現代的意義必ずしもなしとしないだろう。
 本書は国法学的素養を持たぬ読者にはやや難解かも知れない。実はこのはしがきで内容の一般的解説をも試みようとしたのであるが、シュミットのナチス学界における地位の叙述に意外の紙幅をとったので省略の余儀ないことになった。しかしとくに解説を要することは文中に*印を附して註を加えて置いた。甚だ不充分なものであるが、一応の理解には役立つであろう。
(両洋事情研究会報、第二号、一九三九年七月)

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ケルロイターとシュミット(その3)

2015-11-02 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年11月 2日(月)10時58分51秒

続きです。(p92以下)

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 以上はシュミットの「顛落」の理論的根拠であるが、なおその歴史的な理由とでもいうべきものもある様に思われる。シュミットの理論は非常に独創的であり「革命的」である。前述した通りあらゆる自由主義的なものに対する徹底的な批評という点で彼の右に出るものはあるまい。彼の理論構成には伝統的な概念との連続性が殆どない。たとえば法治国・法的安全・一般国家論〔アルゲマイネ・シュターツレーレ〕という如き概念を悉く自由主義的なものとして拒否する。ところが、ケルロイターなどはその点はるかに穏健である。ケルロイターは法治国という言葉をなお棄てずに、従来の自由主義的法治国に対して国民的法治国という概念を立てる。またシュミットの流れを汲むヘーンなどの国家法人説否定に対しても、国際法上、国家を法人と見ることは不可欠だとし、又実定法秩序による法的安全の保障を力説する。更に「一般国家学」というイェリネック・ケルゼン流の伝統的名称も彼はそのまま踏襲する。ケルロイターが最初にナチス国家を基礎づけた著書は『一般国家学概要』 Grundriss der allgemeinen Staatslehre, 1933 と題されている。また政治概念にしても、シュミットは政治を敵味方の対立とその区別から説き、従って戦争を以てすべての政治の実在的な可能性と見るが、ケルロイターはかかる政治概念を「万人の万人に対する闘争」的な「政治的肉食獣」を想定するものとして排撃し、「対外的政治に於ても政治的なものの固有の本質は戦争にあるのではなく、……諸民族の相互的な承認と結合に存する」(ドイツ憲法論)という。要するにシュミットの思想には危機的な性格が強く現われているのに対し、ケルロイターの学説は正常的な色彩が濃い。とすればナチスが他の政治的勢力と闘争しワイマール的体制を顛覆する過程においてこそシュミット的なラディカリズムは適応するが、ナチス政権が次第に安定し、痛烈な破壊作業から着実な建設作業に移るにつれて、むしろケルロイター的な穏健性が迎えられるに至ることは充分想像しうる事ではあるまいか。ともあれ測り難きは独裁国における学者の運命である。一時はナチス公法学の指導者として自他ともに許し、ケルロイターなどの学問的攻撃にも拘らず少壮学徒を翕然として傘下に集めたシュミットが、一旦親衛隊〔エスエス〕の機関誌 Das schwarze Korps の一九三六年十二月の紙上で多分に悪意的な攻撃を受けるや忽ち問題は学問的領域にとどまらずして政治問題と化し、彼はベルリン大学教授の地位を除く一切の公職を退くの止むなきに至った。
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ケルロイターとシュミット(その2)

2015-11-02 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年11月 2日(月)10時51分41秒

石川健治氏の「コスモス拾遺」を理解するために必要最小限の範囲で「シュミット『国家・運動・民族 政治的統一体の三分肢』訳者はしがき」を引用するつもりでしたが、1939年という微妙な時期に書かれたものなので、部分的引用だとかえって分かりにくくなってしまいそうです。
ま、たいした分量でもないので、全部引用してみます。
ということで、続きです。(p90以下)

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 シュミットは本書において自由主義国家を二分肢的構成(国家と社会・社会と個人・法と権力・精神と経済等の対立)から理解し、之を十九世紀的のものとし、二十世紀の国家は三分肢的構成をもつべきものとする。つまりここでは、ナチス国家は二十世紀国家という一般的・普遍的な立場から基礎づけられ、従って同じく三分肢的構造をもつイタリー・ファシズムと、いな、ボルシェヴィズムとすら共通の基盤に立たせられるのである(二八八頁参照)。むろんシュミットは後節で「人種の同一」という事を以て指導者国家の特徴としているが、これと三分肢的構成との関係はあまり明瞭でない。むしろ、三分肢の一としての民族は「政治的決断の庇護下に生育する非政治的側面」(二八六頁参照)という消極的なものにすぎない。この点を早くも衝いたのがケルロイター教授である。教授はその『ドイツ憲法論』の中でいう、「彼(シュミット)の三分肢的構成は比較しえざる価値を、同じ「秩序系列」の下に置くもので、民族国家の本質を説明しえない。民族は、民族国家にとっては決定的な政治的価値であるが、組織上の価値ではない」と。つまり民族こそ決定的な価値として党及び国家に優先すべきものなのである。ところがシュミットは民族概念を消極的に規定する反面として、「正常なる国家にして全体的ならざるはない」(三一〇頁)といい、ヘーゲル的な全体国家観に傾く(三〇四頁以下参照)。之に対してケルロイターは「国家はそれ自体としては何等の政治的固有価値をもたぬ」といい、「ヘーゲルの国家観はナチスとは縁のない非民族的命題」だと断ずる。そうして純粋なナチス・イデオロギーは明白にケルロイターに近い。ヒットラーの『我が闘争』は「国家の神化」を拒否し、「国家権威の犬の如き崇拝」を嘲笑し、国家は民族の保護及び強化のための単なる道具に過ぎざる旨を反復力説しているし、ローゼンベルクも「全体国家」の語を排斥し、全体的なのは党であって国家ではないと明言している。此の点に関する限り、ナチスとイタリー・ファシズムとは現実上如何に類似していてもイデオロギーの上では截然と別れる。だからナチスを純粋固有に基礎づけようとする立場からすれば、シュミットの如く普遍的=世界史的な基礎づけはむしろ有害無用となるわけなのである。

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