学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「彼の名はヨハネス・ブラームス」

2015-11-17 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年11月17日(火)08時57分47秒

今までクラシックにはあまり縁のなかった私ですが、田中耕太郎を調べて行く過程で自分の音楽的教養の欠如がかなり深刻な問題であることを自覚せざるを得なくなり、まあ、今更音楽そのものを深く極めるのは無理としても、音楽と国家・社会との関係についてある程度本格的に勉強しようかなと思い始めている今日この頃です。
漠然とそんな問題意識を持ちつつ、某図書館で書棚を眺めていたらニコラウス・アーノンクールの『古楽とは何か-言語としての音楽』(音楽之友社、1997)が目にとまったので借りてみたところ、さすがに今の私には全く無謀な選択で、全然理解できませんでした。
ま、これは数ヶ月後の課題だなと思ってあっさり断念し、アーノンクールという名前の共通性だけで一緒に借りてみたCD、『ブラームス:ドイツ・レクイエム』のライナーノーツを読んでみたところ、シューマンの文章が引用されていました。(ベンヤミン・グンナー=コールス、渡辺正訳)

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(前略)ブラームスとシューマン夫妻はデュッセルドルフで数週間をともに過ごすほど親しくなった。3人とも、一緒に過ごすことに高揚感に満ちた喜びを感じていたが、ブラームスが14歳近くも年上のクララに対して密かで見込みのない恋愛感情を抱いたことから面倒な事態となった。夫ロベルトの方はブラームスという若い才能の出現に熱狂しており、1853年10月28日付けの「音楽新時報」にブラームスを未来の救世主として絶賛する次のような記事を書いた。「私は確信している。(中略)時代というものに最も高度にして最も理想的な形で表現を与えるよう運命づけられている人間が突如として現われるはずだと。その人物は、徐々にではなく一気に熟練に達する─ユピテルの頭の中からすでにすっかり武装した姿で飛び出したというミネルヴァのように。今、その人間が現われた。幼い頃から女神と英雄たちに見守られて育った若者が。彼の名はヨハネス・ブラームス」。
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ショパンに感激して書いた文章とそっくりですが、シューマンの文体って、みんなこんなものなのですかね。
まあ、ショパンと違ってブラームスは「死ぬほど笑った」りはしないでしょうが、162年の時を隔てて、私はけっこう笑ってしまいます。

http://www.sonymusic.co.jp/artist/NikolausHarnoncourt/discography/SICC-1369
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