投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年11月14日(土)09時38分9秒
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社、1911)を読み終えましたが、留学当時の思い出が実に生き生きとしていて面白いエピソードに満ちているので、ついでに小澤氏の最初の著書、『ボクの音楽武者修行』も読んでみました。
1962年(昭和37)に音楽之友社から出た初版の冒頭には小澤征爾の若き日の写真が4ページ分載っていますが、髪型も顔の肉付きも別人のようで、ちょっとびっくりです。
最初のページの写真は、まるで片岡鶴太郎みたいな痩せ具合ですね。
痩身にお洒落な蝶ネクタイが似合う写真もある一方で、4ページ目には寅さんのようにジャケットを両肩にひっかけた香具師見習いみたいな妙な写真もあり、このファッションでパリを闊歩していたのかと思ったら、背景の橋の小さなプレートに漢字が書かれていて、じっと眼を凝らすとどうやら「多摩川大橋」という文字が浮かび上がってきたので少し安心しました。
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』と49年前の『ボクの音楽武者修行』を読み比べると、前者ではレナード・バーンスタイン(1918-90)の思い出が詳しく出ているのに、後者ではバーンスタインの存在は割とあっさりした感じで、分量的にはシャルル・ミュンシュ(1891-1968)の方が多いですね。
「ミュンシュ先生」も変った人です。(p127)
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ぼくの念願がかなって、アメリカのボストンで六ヶ月間ミュンシュの教えを受け、その後またヨーロッパに来たのだが、その時、パリの飛行場でミュンシュに会った。そして一緒に飛行場で食事をした。何を話したか忘れたが、ともかくミュンシュは一人で夢中でしゃべっていた。その時、離陸する飛行機が猛烈にエンジンをふかし始めると、急に話を止めて飛行機の方を見た。そして飛行機が飛び立って、完全に雲か何かに見まちがうほど遠くに小さくなるまで、じっと見つめていた。その間、周囲の婦人連や秘書が何か話しかけても、全然反応を示さないのだ。そして飛行機が見えなくなると、今まで話を中断していたことなど忘れたように、また前の話の続きを始めた。ぼくは驚いたが、周囲の婦人連や秘書は当たり前な顔をしていた。それだけぼくより彼らの方がミュンシュの性質をのみ込んでいるのだ。ぼくはその時以来、ミュンシュとつきあう場合は、彼の興味を惹く物が消えるまでは、じっと待っていなければならないことを知った。こういうことは大人の世界にはない。子供の世界だけにあることなのだ。そうした子供の心が、彼の音楽をいつまでも純粋で若々しく、美しく輝かしているのに違いない。彼をよく知る者はそのことを音楽的な言葉で表現している。
「ミュンシュの目はフォルティッシモも作るし、ピアニッシモも作る。指揮をしている時の目には音楽以外の何物もない。彼は、真に純粋に音楽に生きられる最後の人かもしれない」
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社、1911)を読み終えましたが、留学当時の思い出が実に生き生きとしていて面白いエピソードに満ちているので、ついでに小澤氏の最初の著書、『ボクの音楽武者修行』も読んでみました。
1962年(昭和37)に音楽之友社から出た初版の冒頭には小澤征爾の若き日の写真が4ページ分載っていますが、髪型も顔の肉付きも別人のようで、ちょっとびっくりです。
最初のページの写真は、まるで片岡鶴太郎みたいな痩せ具合ですね。
痩身にお洒落な蝶ネクタイが似合う写真もある一方で、4ページ目には寅さんのようにジャケットを両肩にひっかけた香具師見習いみたいな妙な写真もあり、このファッションでパリを闊歩していたのかと思ったら、背景の橋の小さなプレートに漢字が書かれていて、じっと眼を凝らすとどうやら「多摩川大橋」という文字が浮かび上がってきたので少し安心しました。
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』と49年前の『ボクの音楽武者修行』を読み比べると、前者ではレナード・バーンスタイン(1918-90)の思い出が詳しく出ているのに、後者ではバーンスタインの存在は割とあっさりした感じで、分量的にはシャルル・ミュンシュ(1891-1968)の方が多いですね。
「ミュンシュ先生」も変った人です。(p127)
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ぼくの念願がかなって、アメリカのボストンで六ヶ月間ミュンシュの教えを受け、その後またヨーロッパに来たのだが、その時、パリの飛行場でミュンシュに会った。そして一緒に飛行場で食事をした。何を話したか忘れたが、ともかくミュンシュは一人で夢中でしゃべっていた。その時、離陸する飛行機が猛烈にエンジンをふかし始めると、急に話を止めて飛行機の方を見た。そして飛行機が飛び立って、完全に雲か何かに見まちがうほど遠くに小さくなるまで、じっと見つめていた。その間、周囲の婦人連や秘書が何か話しかけても、全然反応を示さないのだ。そして飛行機が見えなくなると、今まで話を中断していたことなど忘れたように、また前の話の続きを始めた。ぼくは驚いたが、周囲の婦人連や秘書は当たり前な顔をしていた。それだけぼくより彼らの方がミュンシュの性質をのみ込んでいるのだ。ぼくはその時以来、ミュンシュとつきあう場合は、彼の興味を惹く物が消えるまでは、じっと待っていなければならないことを知った。こういうことは大人の世界にはない。子供の世界だけにあることなのだ。そうした子供の心が、彼の音楽をいつまでも純粋で若々しく、美しく輝かしているのに違いない。彼をよく知る者はそのことを音楽的な言葉で表現している。
「ミュンシュの目はフォルティッシモも作るし、ピアニッシモも作る。指揮をしている時の目には音楽以外の何物もない。彼は、真に純粋に音楽に生きられる最後の人かもしれない」