投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 4月14日(土)19時50分58秒
それでは『とはずがたり』の前斎宮エピソードが『増鏡』においてどのように変容しているのかを見て行きます。
史実としては前斎宮は後嵯峨院崩御のその年(文永九年、1972)に帰京しているのですが、『とはずがたり』・『増鏡』ともになお三年ほど伊勢に留まったものとされています。
ただ、前斎宮エピソードは『とはずがたり』では文永十一年(1274)の「十一月の十日あまりにや」に起きたものと推定されるのに対し、『増鏡』では煕仁親王立太子の記事の直後に置かれているので、建治元年(1275)の出来事となっています。
さて、後深草院が大宮院の招待を受けて嵯峨殿を訪問する初日の記事は極めて簡略です。
「巻九 草枕」(その6)─前斎宮と後深草院(第一日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e25b0fbfedcc25a407c202e61e161ddf
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e25b0fbfedcc25a407c202e61e161ddf
二日目に前斎宮が嵯峨殿に来て大宮院と対面し、その席に後嵯峨院が呼ばれます。
『とはずがたり』では二条が「御太刀もて例の御供に参る」とありますが、『増鏡』では二条の名前は消えています。
「巻九 草枕」(その7)─前斎宮と後深草院(第二日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c7c9e9918899aa55f64744b59d9a3bf9
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c7c9e9918899aa55f64744b59d9a3bf9
二日目の夜、「けしからぬ御本性」の後深草院は「なにがしの大納言の女、御身近く召し使ふ人」に案内させて前斎宮の寝所に忍び入り、前斎宮と関係を持ちます。
「巻九 草枕」(その8)─前斎宮と後深草院(第二日の夜)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b7aee4690e5603b5bda8b5c5d5736bd5
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b7aee4690e5603b5bda8b5c5d5736bd5
第三日目、善勝寺大納言・四条隆顕が宴席の準備をし、管弦の遊びと酒宴が行なわれます。
酒宴が終った後、『とはずがたり』では後深草院はあっさり寝てしまうのですが、『増鏡』では後深草院は再び前斎宮の寝所に忍んで行きます。
「巻九 草枕」(その9)─前斎宮と後深草院(第三日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5a58f07bed7b0300dbac5204ce193a25
「巻九 草枕」(その10)─前斎宮と後深草院(第三日の夜)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9b66ecfbbbb8585e29499abc8f9d4725
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5a58f07bed7b0300dbac5204ce193a25
「巻九 草枕」(その10)─前斎宮と後深草院(第三日の夜)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9b66ecfbbbb8585e29499abc8f9d4725
後深草院と前斎宮が嵯峨殿で関係を持ったのが一夜だけか二夜連続かという違いはありますが、内容的には『とはずがたり』と『増鏡』の叙述は概ね一致しています。
ところがこの後、『増鏡』には西園寺実兼が前斎宮の新しい愛人になるという『とはずがたり』には全く存在しないエピソードが追加され、更にそこに二条師忠が奇妙な脇役として登場します。
「巻九 草枕」(その11)─前斎宮と西園寺実兼・二条師忠(前半)(後半)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a4a9cc3e7d2b0873f824e27bff3f0000
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ac8642bb8d6f5b41db85c5fc6abcb3ad
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a4a9cc3e7d2b0873f824e27bff3f0000
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ac8642bb8d6f5b41db85c5fc6abcb3ad
ここでの二条師忠の役回りは何とも滑稽であり、『増鏡』の作者を師忠の子孫・二条良基とする通説、また丹波忠守作・二条良基監修説(小川剛生説)にとっては説明が困難なエピソードではなかろうかと思います。
この後、新陽明門に関する短い記事があって、「巻九 草枕」は終わりとなります。
「巻九 草枕」(その13)─新陽明門院
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/92111b1b91f8cc8b6302a08c08f325fc
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/92111b1b91f8cc8b6302a08c08f325fc
さて、「巻九 草枕」は前半が真面目な政治の話、後半が愛欲エピソードの連続で、何とも不思議な構成の巻です。
斎宮という存在は鎌倉時代に数多く作られた物語で非常に好まれた素材で、しかもその中には『我が身にたどる姫君』のように斎宮を同性愛者として描く作品もあります。
『とはずがたり』『増鏡』に描かれた前斎宮の人物像と鎌倉時代の物語との関連については、例えば田中貴子氏の『聖なる女─斎宮・女神・中将姫』(人文書院、1996)のような研究がありますが、私としてはあくまで政治史との関連で、何故に『増鏡』作者はこのような題材を執拗に取り上げたのかを追究して行きたいと思っています。
前斎宮と『我が身にたどる姫君』
「何しろ当時の朝廷はデカダンな雰囲気にあふれ……」(by 榎村寛之氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d5a8e905a5b10939b566c81fe360300e
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d5a8e905a5b10939b566c81fe360300e