投稿日:2018年10月20日(土)23時41分33秒
>筆綾丸さん
>春挽
ご紹介のツイートに春挽が俳句の季語になっているとあったので、意外に古い言葉なのかなと思ってしまったのですが、『岡谷市史・中巻』(岡谷市役所、1976)の「第三編 製糸業の展開」「第三章 明治後期における製糸業の展開」「第五節 製糸労働者」には、
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労働時間
明治二〇年代諏訪地方の器械製糸は六月に操業を開始し、十一月に終るを常とした。したがって年間の労働日数は一八〇日前後であった。三〇年代になって労働日数は増加し、二〇〇日前後となり、最高は二六五日、最低は一八〇日余となってその差は大きい。これは原料繭の確保と、その保管設備方法等に関係があったのであろう。四〇年代になって年間操業日数は一般に増加し、二〇〇日以下は無く多くは二五〇日を越えて二七〇余日に及ぶものもあった。このころになると春挽と称し、三月開業五月終了、夏挽六月開業十二月閉業の二期に分けこの間、三、四日ぐらいの休業があるのが普通であった。すなわち春挽の開始が年間就業日数を増加したのである。
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とあり(p581以下)、明治四十年代に出来た言葉のようですね。
実はこの引用部分、山本茂実『あゝ野麦峠』の信憑性に関係してくるので、些か煩雑ながら続きも引用すると、
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一般的に男工は女工に比べて就業日数が若干多くなっているが、これは女工の操業の休業中といえども工場に残り、工場内の整備・整理に当たることがあり、このため日数の増加となることが多かった。一、二月は通常休業であったが、これは諏訪地方の寒気が厳しく操糸作業に不適当であったこと、原料繭の確保が困難であること、それに保管技術もまた不充分であったことなどを挙げることができる。
明治年代には中間の休日はほとんどなく、前記春挽と夏挽の中間休みぐらいであった。明治四十二年調べによると、開業中の休みとしてお盆休み、二、三日をとるのが一般であって月々の定期休業はない。中に一、二の工場では、二、三日の臨時休業とすることがあったがこれは秋祭などの休日であった。
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のだそうです。
生繭は放置すると発峨して無価値になってしまうので殺蛹・乾燥させる必要がありますが、明治二十年代から米国式乾燥器の利用等で乾燥技術が徐々に向上し(p618以下)、また、保管中の繭質の維持のための貯蔵倉庫(繭倉庫)の建設が進んで(p621)、明治四十年代に春挽が一般化したようですね。
『あゝ野麦峠』との関係は後ほど。
>『日本史のミカタ』
書店でパラパラ眺めてみましたが、やっぱり私は井上章一氏が少し苦手で、購入はしませんでした。
※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。
春挽 2018/10/19(金) 10:33:24
小太郎さん
https://twitter.com/poemor/status/174440119732944896
ご引用の文を正確に判断できる知識はありませんが、春挽という言葉、はじめて知りました。
契約終了の12月までに、その年の繭の製糸はすべて完了しているもの、と思っていました。繭を年越しさせて春に挽く、ということは、繭は数ヶ月寝かせておいたほうがよい、ということになりますか。
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno22.htm
這出よかひやが下のひきの声 芭蕉
この夏蚕は秋挽になる、ということですね。蟇蛙の「ひき」と秋挽の「ひき」が掛けられていて、季語(蟇蛙)は夏だが夏蚕の繭を挽くのは秋だ、というところがおそらくミソで、その頃、私は何処で杖を曳いているのだろう、という含みなんでしょうね。芭蕉らしい知的な句です。
小太郎さん
https://twitter.com/poemor/status/174440119732944896
ご引用の文を正確に判断できる知識はありませんが、春挽という言葉、はじめて知りました。
契約終了の12月までに、その年の繭の製糸はすべて完了しているもの、と思っていました。繭を年越しさせて春に挽く、ということは、繭は数ヶ月寝かせておいたほうがよい、ということになりますか。
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno22.htm
這出よかひやが下のひきの声 芭蕉
この夏蚕は秋挽になる、ということですね。蟇蛙の「ひき」と秋挽の「ひき」が掛けられていて、季語(蟇蛙)は夏だが夏蚕の繭を挽くのは秋だ、というところがおそらくミソで、その頃、私は何処で杖を曳いているのだろう、という含みなんでしょうね。芭蕉らしい知的な句です。
日本史のミカタ 2018/10/19(金) 11:16:40
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784396115456
井上章一・本郷和人両氏の『日本史のミカタ』を半分ほど読みましたが、随所で笑える有益な対談です。
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井上 私は、中世に朝廷の権威がどこまで力を持っていたか、疑問に思っています。しかし、自分が年を取り、先輩たちが叙勲に少なからず心を動かしている様子も見て、これは侮れないなと思うようになりました。進歩的だった人、左翼的だった人が自分はどの勲章をもらえるのかと気を揉んでいるのです。
本郷 どうでもいいように見えて、人を動かす力になっていると。
井上 フランスでも、外国人にレジオン・ドヌール勲章(フランスの最高勲章)を与えることが、安上がりな外交になっています。実力を重んじる本郷史学は、天皇制の持っている、この侮れない力を見過ごしてしまうことになりませんか。
本郷 私が「京都の研究者は唯物史観のくせに勲章を欲しがる」と言ったら、高橋昌明さん(神戸大学名誉教授)に「それだけは言うな」と窘められました。
井上 「言うな」というのは図星だからでしょう。(後略)
-------------------
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%81%AE%E8%90%BD%E6%9B%B8
勲章欲しがる似非(唯物)論者、という感じですね。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784396115456
井上章一・本郷和人両氏の『日本史のミカタ』を半分ほど読みましたが、随所で笑える有益な対談です。
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井上 私は、中世に朝廷の権威がどこまで力を持っていたか、疑問に思っています。しかし、自分が年を取り、先輩たちが叙勲に少なからず心を動かしている様子も見て、これは侮れないなと思うようになりました。進歩的だった人、左翼的だった人が自分はどの勲章をもらえるのかと気を揉んでいるのです。
本郷 どうでもいいように見えて、人を動かす力になっていると。
井上 フランスでも、外国人にレジオン・ドヌール勲章(フランスの最高勲章)を与えることが、安上がりな外交になっています。実力を重んじる本郷史学は、天皇制の持っている、この侮れない力を見過ごしてしまうことになりませんか。
本郷 私が「京都の研究者は唯物史観のくせに勲章を欲しがる」と言ったら、高橋昌明さん(神戸大学名誉教授)に「それだけは言うな」と窘められました。
井上 「言うな」というのは図星だからでしょう。(後略)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%81%AE%E8%90%BD%E6%9B%B8
勲章欲しがる似非(唯物)論者、という感じですね。