学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

会田進氏「製糸聞き取り調査の総括」(その2)

2018-10-24 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年10月24日(水)10時30分5秒

前回投稿の時点では、会田氏は「野麦峠を越えた明治百年」を盗作と主張した蒲幾美(かば・いくみ)氏の「野麦峠」を念頭に置いて、「同じ時代小説と比べると」と言われているのかなと思っていたのですが、ちょっと深読みしすぎだったかもしれないですね。
山本茂実は盗作疑惑への対応として朝日新聞と産経新聞を名誉毀損で刑事告訴し、結局両社に謝罪させて告訴を取り下げるのですが、そうした経緯から見て、私は何となく蒲幾美氏の作品のレベルが山本作品に比べてかなり劣っているものと想像していました。
しかし、入手困難と思っていた蒲幾美氏の「野麦峠」が『飛騨ろまん』(講談社、1984)という短篇小説集の冒頭に載っているのに気づいて、昨日実際に読んでみたら、かなり良い作品ですね。
しかも予想以上に「野麦峠を越えた明治百年」と重なる部分が多くて、蒲幾美氏からすれば盗作を疑うのは当然であり、山本はよくこれで朝日新聞と産経新聞に勝てたなあと不思議な感じすらします。
ま、この問題にかかわると脱線が長くなりすぎるので、「製糸聞き取り調査の総括」に戻ります。
会田氏は山本の傑出した才能を率直に認めた上で、次のように続けます。

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 ノートにメモされた元工女、ボッカ、牛方、旅館の主人や女将、女中、そして経営者や検番、工女の親・兄弟、様々な人の聞き取りの記録がこのノートにある。その人数は、山本本人の言葉では380人、実際に取材ノートに数えられる人の数は、単に住所の控えや覚え、話の中の誰それといった実際に聞き取らなかった人を除くと156人ほど、そのうち元工女は82人に達する。声をかけた人の数は今となっては確かめようもないが、想像以上の人数なのであろう。
 山本は、松戸に移ってから近代史研究会を起こす。この関係の書類が残されていないため私的な研究会なのか、葦以来の仲間の研究会か今後の課題としておくが、今ならオーラル・ヒストリー学会である。結果として小説になったが、この聴き取りの記録は岡谷が実施した聞き取り調査の、それ以上の成果を残していることはいうまでもなかろう。ただし改めて内容を検証していくと、細部の数字、固有名詞、年齢と生年月日のズレなど検証が必要ではないかと思わずにいられない箇所があり、山本自身は聞き取り内容の検証をあまりしていないことがわかる。
 また、話し手の大部分は大正・昭和初期の体験であり、この時点ですでに明治を知る人が少なかったことは注意しなければならない。話し手の年齢に幅があることも同様である。明治を知る人は昭和40年の時点でも80歳以上の人である。話し手は60代~90歳代、30年以上の時代差は大きい。
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「結果として小説になった」という評価は、山本から三十年遅れたものの、製糸関係者から地道に聞き取り調査を行なって『あゝ野麦峠』を検証した会田氏だから言えることであって、『あゝ野麦峠』に対する一般の評価は全く異なりますね。
山本の妻の山本和加子氏は『「あゝ野麦峠」と山本茂実』(角川学芸出版、2010)において『あゝ野麦峠』を「ルポルタージュ」、「優れたノンフィクション」としており(p9)、250万部を超えた、この大ベストセラーの出版に関わった関係者はもちろん、書評家・一般読者の大半が同書を「小説」ではなく、過去の歴史的事実を丹念に掘り起こした貴重な記録として受け入れ、その評価が出版以来、実に半世紀にわたって定着しています。
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