学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

もう一つの「宗教と科学の接点」

2020-07-02 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 7月 2日(木)21時45分28秒

ユング派の臨床心理学者で国際日本文化研究センター所長・文化庁長官等を歴任した河合隼雄(1928-2007)に『宗教と科学の接点』(岩波書店、1986)という著書があります。

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今まで宗教と科学は対立的にとらえられてきた.しかし科学と技術の最先端と接して,再び宗教の問題が浮上している.たましい,死,意識,自然など,両者の接点はどこにあるのか.人間の最大の課題に真正面から取組む.

https://www.iwanami.co.jp/book/b261098.html

私が大学に入学したのは遥か昔、1979年ですが、当時は大学生協書籍部の書棚にユングが溢れていたように記憶しています。
そのユングブームを牽引したのは言うまでもなく河合隼雄ですが、当時、私自身はユングに全く興味がなく、ユング、というか河合隼雄が日本人向けに分かりやすく翻案してくれたユングの学説に夢中になったのは世間のユングブームの相当後、1990年くらいでした。
ただ、その個人的ユング熱も、『宗教と科学の接点』のシンクロニシティがどうたらこうたらといった記述を見て、まあ、オカルトだよな、これはダメだな、てな感じで急速に冷えてしまいました。
そして『とはずがたり』に興味を抱くようになってから、河合と富岡多恵子の『とはずがたり』に関する対談(「キャリアウーマンの自己主張」、『物語をものがたる-河合隼雄対談集』所収、小学館、1994)を見つけて読んでみましたが、そこで河合は、

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そう、みなもう全体として生きているのですね。そして全体として生きている象徴的な中心は、この作者の場合は帝ということになります。そういう生活のなかで、いろんな関係というより流れがあって、そしてその流れは結局は、なろうことなら浄土へいかなければならないわけですね。そういう全体として生きる流れというものは、ひょっとしたら、いまでも日本にずっとそのままあるように考えているのです。たとえば日本の外交には「個人の顔が見えない」とよくいわれるでしょう、日本人は何を考えているのかわからないと。

http://web.archive.org/web/20100829220906/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-kawaihayao-monogatariwo-monogataru.htm

などと言っています。
これを見て、二人とも阿呆だな、と思ったこともあって、河合の著書を読むことは全くなくなってしまったのですが、それでも「宗教と科学の接点」という表現だけは妙に心に残りました。
世界には現在でも著名な物理学者でカトリックの熱心な信者でもあるような人もいますから、確固たる信仰の立場から科学との接点を求めた人は相当にいたのでしょうが、大多数の日本人が持つ曖昧な宗教観の立場からも、オカルト寄りではなく、科学がその本来の性格を歪めることなく宗教と接触する地点を探ることはできないのか。
例えば古代ギリシアの特定の神殿を、その創建当時の姿を求めて復元するような試みを想定してみると、これは宗教と科学の接点になる可能性を持つのではないかと私は思います。
単に建物だけではなく、そこで行われていた宗教儀礼を可能な限り再現しようとするならば、土木・建築などの工学だけではなく、考古学・歴史学・宗教学・人類学等のあらゆる人文科学を総動員する必要があります。
そして、その試みは古代人の宗教観・世界観の復元に近づくことになります。
単に建物を復元するだけでなく、そこで行われていた宗教儀礼も復元するとなると、ある種のテーマパークのような存在になりそうですが、それはバブル期にワラワラと簇生したテーマパークとどこが違うのか。
観光の対象となる存在であることは共通であっても、少なくとも人文科学の研究者を雇用できる点では差が出せそうです。
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「宗教的空白」の過去と未来

2020-07-02 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 7月 2日(木)10時23分2秒

前回投稿で「ヘラヘラした宗教観」と書きましたが、これは宗教を「霊的存在への信念」「超自然的な存在の確信」などのように定義したら「宗教」の範疇にも入らない感情ですね。
日本人の宗教観を考える上で、私にとって特に参考になったのはエマニュエル・トッドの諸著作で、トッドの「宗教的空白」論については2016年に少し検討しました。

日本の宗教的空白(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9c685d9ef8a0773b9b1d90c3465625d5
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5a7c61ab0ad3b0b3e3be33d6adec2dfa
BOSSを飲みながら
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f09e132e14d1294a1486dbc017248201

また、こうした「宗教的空白」が形成された歴史的経緯についても少し調べようとしたことがあるのですが、かなり難しい問題なのであっさりあきらめて今に至ります。

『河内屋可正旧記』と「後醍醐の天皇」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/32c50e451a30bc8476cb288a49b36481

ただ、幕末維新期の「宗教的空白」の実態については、昨年末、渡辺京二『逝きし世の面影 日本近代素描Ⅰ』(葦書房、1998)に紹介されていた外国人の観察記録をまとめて読み、自分が従来から想像していた状況が概ね正確であったことを確認し、また、特に宣教師ニコライの詳細な日記を通じて、明治期の宗教事情についても理解を深めることができました。

渡辺京二『逝きし世の面影』の若干の問題点(その12)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ea34f26b6dc10670eb6411ff825e9ec5
中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』(その18)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/eb8c5cb5f725ff9346aff0164fdbbd83

こんな具合に、ここ数年、行きつ戻りつを繰り返しながら日本人の宗教観を眺めてきたのですが、過去の分析はそれなりに充分にやったので、これから先の投稿は将来に向かっての具体的提案を目指すつもりです。
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