投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 7月 2日(木)21時45分28秒
ユング派の臨床心理学者で国際日本文化研究センター所長・文化庁長官等を歴任した河合隼雄(1928-2007)に『宗教と科学の接点』(岩波書店、1986)という著書があります。
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今まで宗教と科学は対立的にとらえられてきた.しかし科学と技術の最先端と接して,再び宗教の問題が浮上している.たましい,死,意識,自然など,両者の接点はどこにあるのか.人間の最大の課題に真正面から取組む.
https://www.iwanami.co.jp/book/b261098.html
私が大学に入学したのは遥か昔、1979年ですが、当時は大学生協書籍部の書棚にユングが溢れていたように記憶しています。
そのユングブームを牽引したのは言うまでもなく河合隼雄ですが、当時、私自身はユングに全く興味がなく、ユング、というか河合隼雄が日本人向けに分かりやすく翻案してくれたユングの学説に夢中になったのは世間のユングブームの相当後、1990年くらいでした。
ただ、その個人的ユング熱も、『宗教と科学の接点』のシンクロニシティがどうたらこうたらといった記述を見て、まあ、オカルトだよな、これはダメだな、てな感じで急速に冷えてしまいました。
そして『とはずがたり』に興味を抱くようになってから、河合と富岡多恵子の『とはずがたり』に関する対談(「キャリアウーマンの自己主張」、『物語をものがたる-河合隼雄対談集』所収、小学館、1994)を見つけて読んでみましたが、そこで河合は、
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そう、みなもう全体として生きているのですね。そして全体として生きている象徴的な中心は、この作者の場合は帝ということになります。そういう生活のなかで、いろんな関係というより流れがあって、そしてその流れは結局は、なろうことなら浄土へいかなければならないわけですね。そういう全体として生きる流れというものは、ひょっとしたら、いまでも日本にずっとそのままあるように考えているのです。たとえば日本の外交には「個人の顔が見えない」とよくいわれるでしょう、日本人は何を考えているのかわからないと。
http://web.archive.org/web/20100829220906/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-kawaihayao-monogatariwo-monogataru.htm
などと言っています。
これを見て、二人とも阿呆だな、と思ったこともあって、河合の著書を読むことは全くなくなってしまったのですが、それでも「宗教と科学の接点」という表現だけは妙に心に残りました。
世界には現在でも著名な物理学者でカトリックの熱心な信者でもあるような人もいますから、確固たる信仰の立場から科学との接点を求めた人は相当にいたのでしょうが、大多数の日本人が持つ曖昧な宗教観の立場からも、オカルト寄りではなく、科学がその本来の性格を歪めることなく宗教と接触する地点を探ることはできないのか。
例えば古代ギリシアの特定の神殿を、その創建当時の姿を求めて復元するような試みを想定してみると、これは宗教と科学の接点になる可能性を持つのではないかと私は思います。
単に建物だけではなく、そこで行われていた宗教儀礼を可能な限り再現しようとするならば、土木・建築などの工学だけではなく、考古学・歴史学・宗教学・人類学等のあらゆる人文科学を総動員する必要があります。
そして、その試みは古代人の宗教観・世界観の復元に近づくことになります。
単に建物を復元するだけでなく、そこで行われていた宗教儀礼も復元するとなると、ある種のテーマパークのような存在になりそうですが、それはバブル期にワラワラと簇生したテーマパークとどこが違うのか。
観光の対象となる存在であることは共通であっても、少なくとも人文科学の研究者を雇用できる点では差が出せそうです。
ユング派の臨床心理学者で国際日本文化研究センター所長・文化庁長官等を歴任した河合隼雄(1928-2007)に『宗教と科学の接点』(岩波書店、1986)という著書があります。
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今まで宗教と科学は対立的にとらえられてきた.しかし科学と技術の最先端と接して,再び宗教の問題が浮上している.たましい,死,意識,自然など,両者の接点はどこにあるのか.人間の最大の課題に真正面から取組む.
https://www.iwanami.co.jp/book/b261098.html
私が大学に入学したのは遥か昔、1979年ですが、当時は大学生協書籍部の書棚にユングが溢れていたように記憶しています。
そのユングブームを牽引したのは言うまでもなく河合隼雄ですが、当時、私自身はユングに全く興味がなく、ユング、というか河合隼雄が日本人向けに分かりやすく翻案してくれたユングの学説に夢中になったのは世間のユングブームの相当後、1990年くらいでした。
ただ、その個人的ユング熱も、『宗教と科学の接点』のシンクロニシティがどうたらこうたらといった記述を見て、まあ、オカルトだよな、これはダメだな、てな感じで急速に冷えてしまいました。
そして『とはずがたり』に興味を抱くようになってから、河合と富岡多恵子の『とはずがたり』に関する対談(「キャリアウーマンの自己主張」、『物語をものがたる-河合隼雄対談集』所収、小学館、1994)を見つけて読んでみましたが、そこで河合は、
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そう、みなもう全体として生きているのですね。そして全体として生きている象徴的な中心は、この作者の場合は帝ということになります。そういう生活のなかで、いろんな関係というより流れがあって、そしてその流れは結局は、なろうことなら浄土へいかなければならないわけですね。そういう全体として生きる流れというものは、ひょっとしたら、いまでも日本にずっとそのままあるように考えているのです。たとえば日本の外交には「個人の顔が見えない」とよくいわれるでしょう、日本人は何を考えているのかわからないと。
http://web.archive.org/web/20100829220906/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-kawaihayao-monogatariwo-monogataru.htm
などと言っています。
これを見て、二人とも阿呆だな、と思ったこともあって、河合の著書を読むことは全くなくなってしまったのですが、それでも「宗教と科学の接点」という表現だけは妙に心に残りました。
世界には現在でも著名な物理学者でカトリックの熱心な信者でもあるような人もいますから、確固たる信仰の立場から科学との接点を求めた人は相当にいたのでしょうが、大多数の日本人が持つ曖昧な宗教観の立場からも、オカルト寄りではなく、科学がその本来の性格を歪めることなく宗教と接触する地点を探ることはできないのか。
例えば古代ギリシアの特定の神殿を、その創建当時の姿を求めて復元するような試みを想定してみると、これは宗教と科学の接点になる可能性を持つのではないかと私は思います。
単に建物だけではなく、そこで行われていた宗教儀礼を可能な限り再現しようとするならば、土木・建築などの工学だけではなく、考古学・歴史学・宗教学・人類学等のあらゆる人文科学を総動員する必要があります。
そして、その試みは古代人の宗教観・世界観の復元に近づくことになります。
単に建物を復元するだけでなく、そこで行われていた宗教儀礼も復元するとなると、ある種のテーマパークのような存在になりそうですが、それはバブル期にワラワラと簇生したテーマパークとどこが違うのか。
観光の対象となる存在であることは共通であっても、少なくとも人文科学の研究者を雇用できる点では差が出せそうです。