投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 7月 8日(水)13時00分25秒
前回投稿で紹介した「The Art Newspaper」の2014年2月6日付記事、ドイツ人の言い訳の見事さを鑑賞するために前半を翻訳しておきます。
この件で興味深いのは、大仏脚部の再建が現地に派遣されたドイツの一部考古学者の暴走によって勝手に行われたのではなく、イコモス(国際記念物遺跡会議)ドイツ支部の組織的関与、しかもイコモス本体の会長を長く務めた著名学者であるミヒャエル・ペツェット氏の指導の下に行われた点ですね。
-------
アフガニスタンの遺跡保存
ユネスコは像の一つを部分的に再建したドイツの考古学者たちの行為は「犯罪との境目」と主張
ドイツの考古学者チームが、2001年にタリバンによって爆破されたアフガニスタンの二体のバーミヤン大仏の小さい方の脚部を再建した、とのニュースは国際社会の憤激を呼んだ。ユネスコに知らされず、その許可もないまま行われたこの再建に関するニュースは、12月にイタリアのオルヴィエートで開催されたユネスコのバーミアン作業部会の第12回会議において明らかにされた。
イコモス(国際記念物遺跡会議)ドイツ支部の考古学者のチームは、昨年、ほぼ一年をかけて小さい方の大仏の脚部を鉄筋と強化コンクリート、レンガで再建した。このチームを率いたのは1999年から2008年までイコモス会長を務めたミヒャエル・ペツェット氏である。ユネスコの事務局長補、フランチェスコ・バンダリン氏は、この工事は「あらゆるレベルで間違っている」と述べる。「ユネスコはこのプロジェクトとは何の関係もない。工事はアフガニスタン政府の同意なしに行われたもので、既に中止された」と彼は言明する。
過去40年間、ユネスコの建築顧問を務めてきたアンドレア・ブルーノ氏は、この作業が「仏像を再建しないという[2011年に行われた]ユネスコの決定に反して」行われたことを確認した上で、ユネスコは当該工事が進行中であることを決して認識していなかった、と述べる。 ブルーノ氏は、この工事は「犯罪との境目にある不可逆的な損害」を惹起したと語った。そして、昨年3月に彼がアフガニスタンを訪問したとき、この工事はまだ始まっていなかったと付け加えた。
ペツェット氏は記者に、彼と彼のチームは「保存できるものを保存したかっただけだ」と語った。 彼は「私達がした作業の全てはアフガニスタン当局との話し合いの上で行われた。このプロジェクトに目新しいものはない」と話した。しかし、バンダリン氏は、彼がこの工事を止めるようにアフガニスタンの文化大臣に依頼した時、大臣は当該工事を知らなかったと言う。
ペツェット氏は、彼のチームの資金は当初、ユネスコから提供されていたと言う。バンダリン氏は、ユネスコが「訪問者を落石から守るためのプラットホームを(小さい方の大仏があった場所に)建てる契約をイコモスドイツ支部と結んだ」ことは認めたが、再建は契約の一部ではなく、ユネスコは解体を望んでいると繰り返し述べた。
問題は、ペツェット氏のチームが誰にも気付かれずにこのような大規模な工事をどのように実行したのか、ということだ。「アフガニスタンの遠隔地では、このようなことが起こる可能性がある」とバンダリン氏は言う。「特に、彼らは何年も前からそこで働いていたから」。 1965年に設立され、世界中の遺産を保護するために活動するイコモスは、世界遺産に関してユネスコに助言は行うが、世界遺産の管理、保存、修復はユネスコが責任を負っている。 ユネスコの専門家は、イコモス中央事務局に対して、今月初めまでに、アフガニスタン当局に報告書を提出するよう要請しており、更に6月には、本件に関する追加報告書を世界遺産委員会に提出するよう要請している。【後略】
ミヒャエル・ペツェット氏は去年亡くなられたそうで、ユネスコの公式サイトに、その追悼記事がありますね。
-------
In Memoriam: Michael Petzet
Friday, 31 May 2019
The team of the UNESCO World Heritage Centre would like to express its sadness after learning that former President of ICOMOS International, Prof Michael Petzet passed away on 30 May 2019.
この記事の中に、
As an example of his fieldwork, he undertook many missions to Afghanistan with the UNESCO team, where he was leading projects on the safeguarding of the remains of the Bamiyan Buddhas. He always inspired others with his unconventional creativity and his deep knowledge of cultural heritage.
とありますが、「彼はいつも型破りな創造性(unconventional creativity)と文化遺産についての深い知識で他の人を刺激しました」という表現には若干の皮肉が込められているような感じもします。
Michael Petzet(1933-2019)
>筆綾丸さん
>アドリア海を望む小綺麗な港町ブリンディジ(Brindisi)
最近、知らない地名を見ると、当該地名に「drone」を加えてユーチューブで検索してみたりしているのですが、確かに綺麗な町ですね。
あまりイタリア南部らしくない、といったら失礼かもしれませんが。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
南伊紀行(続き) 2020/07/07(火) 17:50:57
クロトーネから海沿いの道をメタポントまで行きヘラの神殿趾を見て、ターラントで昼食を摂り、さらに東進して、アドリア海を望む小綺麗な港町ブリンディジ(Brindisi)へ行きました。アッピア街道の終点であり、鷗外の『舞姫』(1890)の初めの方に、「嗚呼、ブリンヂイシイの港を出でゝより、早や二十日あまりを経ぬ」とあるところで、停泊中のクルーザーを眺めながら、明治のエリートは独逸留学を終えて此処から日本に帰ったのか、往事は渺茫として夢幻の如くだな、などと感慨に耽りました(Brindisi 末尾の si はイタリア語では濁音になるのですが、鷗外は清音で表記しています)。なお、フロイトと同じユダヤ人のメンデルスゾーンはイタリアを訪れて、名曲『イタリア』(1831-33)を作曲していますね。
四大マフィアの勢力図で言えば、クロトーネやメタポントを含むカラブリア州はヌドランゲータ(Ndrangheta)の支配地で、ターラントやブリンディジを含むプッリャ州はサークラ・コローナ・ウニータ(Sacra Corona Unita)の支配地です。これらマフィアは、中近東からの麻薬とアフリカからの難民で、ずいぶん儲けているようです。
霊魂は輪廻転生し、万物は自然数で表現できる、というピタゴラスの浮世離れした思想の残滓は、もはや何処にもありません。
クロトーネから海沿いの道をメタポントまで行きヘラの神殿趾を見て、ターラントで昼食を摂り、さらに東進して、アドリア海を望む小綺麗な港町ブリンディジ(Brindisi)へ行きました。アッピア街道の終点であり、鷗外の『舞姫』(1890)の初めの方に、「嗚呼、ブリンヂイシイの港を出でゝより、早や二十日あまりを経ぬ」とあるところで、停泊中のクルーザーを眺めながら、明治のエリートは独逸留学を終えて此処から日本に帰ったのか、往事は渺茫として夢幻の如くだな、などと感慨に耽りました(Brindisi 末尾の si はイタリア語では濁音になるのですが、鷗外は清音で表記しています)。なお、フロイトと同じユダヤ人のメンデルスゾーンはイタリアを訪れて、名曲『イタリア』(1831-33)を作曲していますね。
四大マフィアの勢力図で言えば、クロトーネやメタポントを含むカラブリア州はヌドランゲータ(Ndrangheta)の支配地で、ターラントやブリンディジを含むプッリャ州はサークラ・コローナ・ウニータ(Sacra Corona Unita)の支配地です。これらマフィアは、中近東からの麻薬とアフリカからの難民で、ずいぶん儲けているようです。
霊魂は輪廻転生し、万物は自然数で表現できる、というピタゴラスの浮世離れした思想の残滓は、もはや何処にもありません。