学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「旧興宗教」と科学、そして『フロイトのイタリア』

2020-07-03 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 7月 3日(金)06時42分42秒

前回投稿で書いたことを一言でまとめると、「旧興宗教」は科学と相性が良い、ということです。
新興宗教は概ね知性に乏しく非科学的であり、教団が発展して信者が二世・三世ともなるとそれなりに知性的となって科学とも折り合いをつけるようになりますが、「旧興宗教」は最初から極めて知性的で、科学とも親和的ですね。
過去の完全な復活は不可能ですが、それを目指して研究を重ねることにより、過去に向かって無限に進化するであろうことも科学的態度の反映です。
また、「旧興宗教」は狂信・熱狂を伴わず、むしろ精神の安定化に資することになります。
古いモノが精神の安定に寄与することは経験的に明らかですが、その良い例は無神論者のユダヤ人、フロイトが古いモノ好きだったことですね。
人間の無意識を探ることは極めて危険な行為であり、フロイトは常に危ない領域の間近に接していた訳ですが、それでも精神の均衡を失わなかったのは古いモノのおかげも相当にあったろうと思います。
そのあたりの事情は岡田温司氏の『フロイトのイタリア』(平凡社、2008)で何となく感じることができます。

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フロイトは大のイタリア通であった。鉄道恐怖をかかえながらも、生涯で二十回以上も長靴の半島へ足を踏みいれている。そして驚くことに、『夢判断』をはじめフロイトが精神分析理論を構築する重要な契機のことごとくにおいて、イタリアが大きな影を落としている。本書は、旅行中の膨大な書簡からフロイトのイタリア体験を再構成し、芸術強迫、考古学偏愛、骨董蒐集、食通、買物好きなど、その旅の内実を徴候的に読み解いたうえで、フロイトの主要テクストを詳細かつ大胆に検討する。

目次
イタリアからの便り
「イタリアへ向かって」/「生殖器」
「石は語る」
レオナルドとミケランジェロへの挑戦
イタリアのフロイト―カトリシズムとファシズムの狭間で

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784582702798
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