学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

論文に社交辞令は不要。

2020-12-20 | 征夷大将軍はいつ重くなったのか
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月20日(日)13時00分11秒

谷口論文の内容には全然関係ありませんが、論旨の展開以外に非常に気になったことがあります。
それは、谷口氏が、

「呉座とともに現在の南北朝期研究をリードしている亀田俊和の意見」(p697)
「山田もまた、呉座・亀田とともに現在の南北朝期研究を主導している若手の一人」(同)
「市沢は南北朝期研究をリードしてきた学者の一人」(p701)
「国文学側の『太平記』研究の重鎮の一角たる小秋元段」(p705)
「現在の「太平記史観」研究をリードしている一人である和田琢磨」(p707)

といった具合に、妙な賛辞を連発する点ですね。
単調にならないように気を使っているためか、賛辞の内容も微妙に違っていますが、他の学者と比較されているような感じがして、書かれた方もそんなに喜ばないのではないですかね。
小秋元段氏など、「国文学側の『太平記』研究の重鎮」ならともかく「「国文学側の『太平記』研究の重鎮の一角」ですから、舐めとんのか、という話にもなりかねません。
歴史学界は国文学界と違って実務的というか、上品さに欠けるというか、殺伐としているというか、とにかく昔はあまりこうした社交辞令的、学界茶坊主的なおべんちゃら表現はあまり見かけなかったような印象があるのですが、そうでもないのでしょうか。
論文集のあとがきなどならともかく、論文のど真中にこうした表現が出てくるのは極めて鬱陶しいので、これが若い研究者世代の常識になっているのなら、断固やめてほしいですね。
ついでに昔、『中世足利氏の血統と権威』の「あとがき」についてツイートしたことがあるので、これも載せておきます。

-------
谷口雄太氏、大変な俊才だ、みたいな話を聞いたので『中世足利氏の血統と権威』を読んでみたけど、正直、あまり感心しなかった。
確かに珍しい史料を発掘しているのだろうけど、その材料でそこまで言うか、という叙述が多くて、何とも奇妙な読後感。
それと指導を受けた研究者や交流のある人々への謝辞に溢れた「あとがき」に違和感。
美辞麗句を駆使して多方面にお礼を言いまくっているのだが、「巧言令色鮮し仁」という印象。
博士論文の「審査では、主査の高橋典幸先生および副査の三枝暁子先生、小川剛生先生、末柄豊先生、桜井英治先生からご指導を賜った。今思い出してもこれ以上望むべくもない先生方で、ただひたすら恐縮するばかりだが、そうした先生方に厳正かつ丁寧に試問していただけたことは、私にとって最高の幸せだった。ご多忙の中、あの暑い八月に審査していただいた先生方には、改めて感謝申し上げる次第である」から始まって、「これ以上ない財産というほかはない」、「まことに幸運といわざるを得ない。本当に感謝の念に堪えない」、「同時に、優れた先輩・同期・後輩と巡り会えたことも、決定的な出来事であった。いうまでもなく全員からとてつもなくお世話になり」「とりわけ木下聡氏、呉座勇一氏からは、中世史研究に必要不可欠な実証・理論の両面で、言い尽くせないほどお世話になった」という具合いに延々と謝辞が続き、「このほか、研究員の制度や図書館の設備なども含めて、学内の環境なくして、今の私などあろうはずもない。この場を借りて厚く御礼申し上げたい」と図書館にまで謝辞。
そして学内に続いて、千葉歴史学会・関東足利氏研究会・歴史学研究会などの学外の団体等や地域の人々に対する感謝の嵐が吹き荒れて、「戦略において支えてくれた方々として、とりわけ榎本渉氏、佐藤雄基氏、辻浩和氏に深謝したい」と続き、出版社・研究費に感謝し、最後に家族・親族に感謝して「こうした人々とともに、私はこれからも生きていくのである」という感動的な一文で擱筆されるのである。
うーむ。
いくら何でもやりすぎではなかろうか。

https://twitter.com/IichiroJingu/status/1312525703661801473
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古典の未来学』を読んでみた。(その6)

2020-12-20 | 征夷大将軍はいつ重くなったのか
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月20日(日)11時45分3秒

「六、おわりに」で、谷口氏は小秋元段氏の「『太平記』研究はこの二十年、何を明らかにしてきたか」(『日本文学研究ジャーナル』第11号、2019年9月)に触れていますが、私もこの論文について少し検討したことがあります。

「『太平記』研究はこの二十年、何を明らかにしたか」(by 小秋元段氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a681d594bf8c5e2e55f353fe5d8833d1

また、同じく谷口氏が言及されている『アナホリッシュ国文学』第8号での兵藤裕己・呉座勇一氏の対談については、合計十七回の投稿で検討しています。

兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/db63ea4c3d8fad2ca351f503f523a7d5
兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その17)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0c6970ab230a337886d62cb29cb1729b

兵藤裕己氏は国文学者には珍しく左翼思想を含む政治的な方面の知識が豊富な人で、谷口氏を含め、多くの歴史学者が兵藤説にかなり信頼を置かれているようですが、私は極めて懐疑的です。

兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/30c279b88bdfbaa1b77daf695e74ae07

ところで、前回投稿の最後の方で「思想史についてある程度専門的な研究をしている人でなければ無理じゃないですかね」などと書いてしまいましたが、思想史という表現はあまり適切でなかったですね。
抽象的な思想ではなく、あくまで具体的事実に即したモノの見方ということで、歴史観そのものです。
「太平記史観」の克服は歴史観の問題ですから、隣接学問である国文学の研究者の協力を得ることは重要ですが、結局は歴史学者が負うべき課題ですね。
そして、谷口氏は個人的経験などではなく、先行する歴史学者の「太平記史観」克服の試みを先ずは整理し、そこから「太平記史観」克服の方法を探るべきだったように感じます。
「太平記史観」という表現が広まったのはごく最近ですが、『太平記』の影響による歴史認識の歪みを正そうとした努力は従前から行われていて、亀田俊和氏が「「建武の新政」は、反動的なのか、進歩的なのか?」(『南朝研究の最前線』、洋泉社、2016)で明らかにされたように、意外にも平泉澄なども重要な貢献をしていますね。
さて、私も批判ばかりで建設的な提案がないという指摘を受けそうなので、ほんの少しだけ自分なりの見通しを書くと、私は『太平記』を研究してきた歴史研究者を研究すること、例えば佐藤進一とは何か、網野善彦とは何かを、その著作だけでなく、思想的な背景を含め、徹底的に突き詰めて考えることが結構有効ではないかと思っています。
そして、佐藤進一の発想は『太平記』に混在する同時代の様々な歴史観のうち「足利直義史観」とでも言えそうな、公武協調ではなく幕府独立を貫く路線とシンクロしているな、といった具合に、『太平記』の歴史観と歴史学者の歴史観を突き合わせて行くと、「太平記史観」解明についても何らかのヒントが得られるのではないかと思っています。
ただ、まあ、一般論をいくら語ってもあまり意味はなくて、実際に「太平記史観」克服の実績を上げないと何の説得力もないですね。
たまたま私は、成良親王をきっかけとして建武新政期の俄か勉強をしてみた結果、「太平記史観」の極めて重要な柱の一つが「征夷大将軍史観」、即ち征夷大将軍はとっても大事なものなのだ、それは頼朝の時代からずっと武家が重視した尊貴な存在で、武家たる者、究極的には征夷大将軍を目指して頑張らねばならんのだ、という史観ではないかと思っています。
この点の解明をもう少し続けてから、方法論的な問題を振り返ってみるつもりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする