学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

初期の早歌作者の社会的階層

2022-03-13 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 3月13日(日)19時39分6秒

>筆綾丸さん
レスが遅れてすみませぬ。
さすがに早歌についての四年前の検討よりは何か新しいことを言いたいなあと思って、ちょっと時間をかけています。
正安三年(1301)成立の『撰要目録』には初期の百点ほどの作品が載っていて、その八割は明空作ですが、残りの作品には公家、それもかなり上層の公家が多く、この点で後の時代と相当な違いがあります。
時代が下ると作者は増えますが、その社会的地位は低下するんですね。
そして、初期の作者の多くに後深草院二条との接点が窺えるので、まず間違いなく「白拍子三条」は二条だと思うのですが、ダメ押しの何かがないかと思って探っているところです。

>頼山陽の七絶を吟ずる感じでしょうか。

「早」い歌ですから、当時の他の歌謡と比べるとスピード感があったのでしょうね。
それがどのくらいのものなのかは分かりませんが、確かに漢語の多い詩吟などは感覚的に近いものがあるのかもしれないですね。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

シニカルな女 2022/03/12(土) 12:21:21
小太郎さん
「とはずがたり』だけを扱っていたのでは、一体どこまでが事実に基づいていて、どこからが虚構の世界のなのかの見極めは原理的に不可能です。」
要するに、ゲーデルの不完全性定理ということですね。

白拍子三条の「源氏の恋」は、江戸期の大田蜀山人の狂歌にも似て、かなり辛辣なイロニーを含んでいますね。
たとえば、
苅萱のやいざ乱れなん しどろもどろに藤壺の
は、光る君を拒もうと思えば拒めたのに、藤壺は、いやぁねえ、自分から乱れたんじゃないの、とからかっていて、
また、
恥ぢてもいかが恥ぢざらむ 女三の宮の柏木も
は、父・朱雀院の遺戒も守れない女三宮を、ちょっと頭が軽いんじゃないの、と小馬鹿にしていますね。
このシニカルな精神、まさに後深草院二条のものだなあ、と思います。

リリーへの伝言(ペドロ&カプリシャス風) 2022/03/13(日) 14:40:32
https://kotobank.jp/word/%E6%97%A9%E6%AD%8C-89147
早歌の異称として、現爾也娑婆と理里有楽がありますが、前者の「げにやさば」は、おそらく、まことにこの世というものは、くらいの意で、後者の「有楽」は織田有楽斎の有楽と同じで(出典はわかりません)、「理里」は、ことわりのさと、つまり、仏国土のことで、快楽(けらく)は現世ではなく来世にある、という意ですかね(これも出典はわかりません)。

今はもういないと思いますが、早歌とは、たとえば酒席で、爺さんが、
鞭聲粛粛夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一刻
流星光底逸長蛇
と、頼山陽の七絶を吟ずる感じでしょうか。

追記
https://www.shigin-fan.net/movie/precious/ryuchishu/
小津安二郎『彼岸花』(1958)で、笠智衆が、
「楠木正行、如意輪堂の壁板に辞世を書するの図に題す」
を吟ずる名場面がありますが、彼岸花というタイトルからも明らかなとおり、この旧制中学の同窓会の酒席での詩吟は、亡き戦友たちへのレクイエムになっていて。映画公開の時(昭和33年)、観客はこの場面で泣いたのだろうな、と思われます。
なお、笠智衆の背後、床間の掛軸の絵が藤原鎌足のように見えるのは、私の錯覚かもしれません。
詩吟は、賊将は誰ぞ高師直・・・で終わっていて、監督の意図は不明ですが、これ以上続けると逆賊のため酒が不味くなる、ということかもしれません。
屋外(?)から聞こえてくる祭り囃子の笛の音が哀れでいいですね。
コメント
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