学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

0176 『梅松論』の作者は『増鏡』(の原型)を読んでいるのではないか。(その2)

2024-09-22 | 鈴木小太郎チャンネル2024
第176回配信です。



歴史的重要性がない出来事をことさらに念入りに書いている記事は作者を推定する有力な材料となるのではないか。

『増鏡』巻十一「さしぐし」.女御入内(一)
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久我大納言雅忠の女、三条とつき給ふを、いとからいことに嘆き給へど、みな人先立ちてつき給へれば、あきたるままとぞ慰められ給ひける。

http://web.archive.org/web/20150918011114/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu11-nyogojudai-1.htm


二、『増鏡』と『梅松論』の関係

(1)「かしこくも問へるをのこかな」エピソードとの類似性

『梅松論』p41
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【前略】若、東士利を得ば、申勧たる逆臣を給て重科に行べし。又、御位におひて彼院の御子孫を位に付奉べし。御向あらば冑をぬぎ弓をはづし頭をのべて参るべし。【後略】
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「巻二 新島守」(その6)─北条泰時〔2018-01-02〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3d4146484cdebdcd9701adc3d2ee5105
『五代帝王物語』の「かしこくも問へるをのこかな」エピソード〔2018-01-07〕

(2) 「後嵯峨院の御素意(御遺勅)」の問題

『増鏡』の作者が後深草院二条、その成立は1330年代だとすると、『とはずがたり』と『増鏡』(の原型)の主たる読者は東国武家社会のエリートではないか。
『とはずがたり』は社交の道具であるが、その付随的な効果として、ここで描かれた後深草院像により持明院統のイメージは悪化する。
他方、『増鏡』では「後嵯峨院の御素意(御遺勅)」が大覚寺統(亀山院子孫)であったことが繰り返し語られる。
これは『増鏡』(の原型)の東国社会に向けられたプロパガンダなのではないか。

新年のご挨拶(その4)〔2021-01-05〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7ea75a0c1ebee9f2337b054434882704
三浦周行「鎌倉時代の朝幕関係 第三章 両統問題」(その4)(その5)〔2022-04-13〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/85a4a80b63d87592000052ea5b5af7b8
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2900dbc81bf05385276500560ba1da53
0122 再考:兼好法師と後深草院二条との関係(その2)〔2024-07-18〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1857cd4d90184337acd656eef84cfda8

「後嵯峨院の御素意(御遺勅)」に関しては、『梅松論』は『増鏡』のプロパガンダの引き写し。

『梅松論』に描かれた尊氏の動向(その1)(その2)〔2020-11-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/357e20bc15e65222c6224cf0ba351441
『梅松論』の偏見について〔2021-09-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/52d22a554cdc98920ab706b7607fb568
コメント (2)
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