学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「犠牲」の混乱

2009-07-08 | ヨーロッパの歴史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 7月 8日(水)18時48分51秒

酒井健氏の『ゴシックとは何か』に戻ると、「ケルト人のカルヌート族の聖所であったシャルトル(Chartres の名は Carnutes に由来)の大聖堂の敷地には、大地母神へ通じる深い井戸が掘られていて、犠牲が次々に投じられていたという。」との文章は、かなり変ですね。
シャルトルに深い井戸があったとしても、ケルト人が自らの宗教儀礼としてそこに「犠牲」を次々に投じたのではなく、反キリスト教のローマ総督がキリスト教徒を虐殺して井戸に投げ込み、後になってからキリスト教徒が殺された人々を弾圧の「犠牲」になった殉教者として祭っただけですね。
だいたい、狭い井戸に死体をどんどこ投げ込めば井戸として機能しなくなるのは明らかで、井戸の機能を必要としない人がそんなことをするわけです。
柳宗玄・遠藤紀勝著『幻のケルト人』は未読なので、泉の周辺で犠牲を捧げる儀礼があったのか、その場合、犠牲をささげる場所と泉の距離はどの程度離れているものなのかはまだ確認していませんが、少なくともそれで貴重な泉の機能が失われるようなことはないはずですね。
シャルトルの深い井戸とケルトの森の泉の話を結びつけるのは、イメージ操作としては効果がありますが、論理的とはいいがたいですね。
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