学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

真冬の羽黒山(その1)

2012-02-19 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月19日(日)10時39分58秒

15日(水)は羽黒山に行ってきました。
この時期、蜂子皇子墓はもちろん天宥社・東照社以下の末社は全て雪のために近づけず、参拝できるのは「三神合祭殿」と「霊祭殿」、それと表参道石段近くの蜂子神社・厳島神社くらいですね。
「出羽三山歴史博物館」も閉館中で、あまり勉強にはなりません。
真ん中の写真、正面が「参集殿」で、この中を通って左手の「三神合祭殿」に進みます。
「三神合祭殿」の周囲は雪の壁になっていて、中は夜のようですね。
一番下の写真は「霊祭殿」ですが、ここも歩けるのは入口の周辺だけで、右手に広がっている墓地は全く雪に埋まっており、周囲の森と区別できません。

鶴岡市観光連盟
http://www.tsuruokakanko.com/haguro/midokoro/haguro.html
出羽三山神社公式サイト
http://www.dewasanzan.jp/

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6243



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ブサかわ犬「わさお」の町、鰺ヶ沢

2012-02-19 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月19日(日)10時01分25秒

岩木山神社に参詣した後、鰺ヶ沢街道を通ってブサかわ犬「わさお」で有名な鰺ヶ沢に行ってみました。
鰺ヶ沢街道はパウダースノーが絶妙の深さで積もっていて、フワフワの雪道を全く振動なく進むことができ、殆ど夢見心地のドライブでしたが、海に近づくと地吹雪がきつくなりました。
「海の駅わんど」に寄ると「鰺ヶ沢町とれとれ祭り」という催しをやっていて、「おらほの自慢鍋『テツテ鍋』の振る舞い」が始まるまでの間、私も地元のホテルの料理長さんによる魚料理の解説を拝聴していました。
「テツテ」とはカワハギのことだそうですね。
無料の「テツテ鍋」の御相伴にあずかった後、「海の駅わんど」の駐車場から見えた神社に参拝するために鳥居の近くまで行ってみたのですが、雪のために断念しました。
13日は青森県八戸市から岩手県久慈市にかけての海岸線を廻りましたが、その様子は新ブログの方に載せるつもりです。

鰺ヶ沢町
http://www.ajiiku.jp/index.html
わさお
http://www.ajiiku.jp/people/01.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6242



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2012-02-19 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月19日(日)09時10分36秒

世間の人がみんな始めているらしいので、私もとりあえずプロフィールを書いてみました。

http://www.facebook.com/profile.php?id=100003546345243

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岩木山神社(その2)

2012-02-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月15日(水)10時28分46秒

私も何の脈絡もなく観光地巡りをしている訳ではなくて、行きたいところは概ね修験の聖地と重なりますね。
岩木山神社もかつては修験の地でしたが、神仏分離により景観は全く変わってしまい、おまけにこの時期は雪が全てを覆っているので、往時を偲ぶのはなかなか困難ですね。
小館衷三氏の「岩木山の山岳信仰」(月光善弘編『山岳宗教史研究叢書7 東北霊山と修験道』所収、昭和52年)より少し引用してみます。(p64以下)

---------
明治維新と岩木山

 津軽の総鎮守の岩木山三所大権現も、明治維新の神仏分離─廃仏毀釈の波をもろにかぶった。幸い津軽では藩主が津軽のはえぬきであり、しかも歴代藩主は神仏を厚く崇敬していたので急激ではなかった。それでも新政府の方針に従って、明治三年から実行に移り、明治六年までに大方片づいた『新撰陸奥国誌』によって岩木山の場合をみてみる。

・・・神仏仕分に付、明治三年庚午十二月、大堂より本尊弥陀・薬師・観音並に四天王の像を取り除き、山門よりは十一面尊並に倶生神・五百羅漢の像を取り除き寺内に移し、大堂は拝殿と号し、山門は楼門と唱え、神祠に供する。然るに大堂・山門は仏道の式を踏で地祭地鎮の作法、床下の地形に五宝五薬の宝瓶を埋めし全くの仏閣なり。・・・岩木山御室、古来より聖観音の像を置き、仏道の式を以て奉祀せり、勧請の檀越は当郡十三湊在城、下郡左衛門尉秀栄、下郡総鎮守として数十百年、山上に勧請せし所、明治四年辛未七月二十八日取除き、藩府に引入れ、藩知、当郷引払の折、前の大円寺(現最勝院)五重塔に入れ、去る七月二日、当寺に帰る。山上のこの観音取捨の時、藩知の吏、神像を鋳て御室に納める。
本社を下居宮と云う。勧請五躯の中、十一面観音は取除き、当寺に安置す。・・・

 こうして仏教色は取除かれ、この三尊とそれが入っている御宮殿と五百羅漢は大堂の棟札と共に長勝寺に移され、山上の聖観音と四天王像は大鰐の専称院に現存する。山門の主尊の十一面観音は行方不明である。云い伝えによると、五百羅漢像は山門の上から投下され、それを寺僧が夜にこっそりと持ち運んだそうである。なお、寺僧が寺を去ったため、歴代住職の立派な墓が木立の中にさびしく取り残されている。
 明治九年ごろになると、神仏分離の行きすぎも是正され、統合・廃止の神社も複社が認められ寺院側も再出発して近代社会を迎えることになる。すなわち、神社は神社、寺院は寺院としての役割を果すことになるが、反面民衆は長い間の伝統によって混淆的信仰体勢を維持して行く。たとえば、お山参詣の帰途、弘前市の長勝寺に立寄り、三所大権現の本地仏の三尊を拝んで帰ることが昭和の初期まで見られた。
--------

青森県神社庁、岩木山神社
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/koukoku/iwakiyamajinja.html
「玄松子の記録」岩木山神社
http://www.genbu.net/data/tugaru/iwaki_title.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6240
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岩木山神社(その1)

2012-02-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月15日(水)09時17分26秒

12日(日)はこの掲示板に「今日は下北半島に行くつもりです」と書いた後、カーナビの目的地に恐山をセットして東北自動車道を北上したのですが、給油のために青森市内のガソリンスタンドに寄って周囲の景色を撮影しようとしたところ、前泊した弘前市のビジネスホテルにカメラの電池と充電器を忘れてきたことに気づきました。
まいったなあ、と思い、とりあえずホテルに電話して忘れ物を確認した後、仕方なく弘前市まで戻りました。
来た道と同じではつまらないのでわざわざ国道7号線を通ったのですが、至るところで地吹雪に遭遇し、結構大変でしたね。
先日、地吹雪の影響で多重衝突事故が起きたばかりの浪岡五所川原道路(津軽自動車道)は閉鎖されていました。
そんな訳で午前中は弘前・青森往復でつぶれてしまい、下北半島はあきらめて岩木山に行くことにしました。
岩木山神社の雪の量はすごかったのですが、乾いたパウダースノーなので意外と快適でしたね。

岩木山観光協会「岩木山がスキナンダ」
http://www.iwakisan.com/

※写真略


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長勝寺冬景色

2012-02-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月15日(水)08時38分16秒

11日には北条貞時の法名「崇演」が刻まれているという「嘉元の鐘」を見に長勝寺にも参詣しましたが、雪のために近づけなかったですね。
寺の関係者が雪降ろしをしていました。
長勝寺を最上部において、緩い坂道の左右に曹洞宗寺院を配した合計33ヶ寺の寺町の禅林街はさすがに壮観でした。
「北条貞時」&「長勝寺」で検索したら「雑記@史華堂」が出てきましたが、ブログ主は去年の5月に訪問されたようですね。

「雑記@史華堂」
http://shikado.cocolog-nifty.com/zakki/2012/02/post-2121.html
「百寺巡礼」
http://takakazu1.web.fc2.com/hyakudera/69/index.html
「青森県歴史観光案内所」
http://www.aotabi.com/ao/hirosaki/tyoukatu.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6238



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「弘前城雪燈籠まつり」(その3)

2012-02-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月15日(水)08時03分54秒

昼間、弘前城址を充分歩き廻ったので、夜は別な場所に行こうと思っていたのですが、弘前市中心部のイルミネーションを見ているうちに心がソワソワし出して、やはり夜の本番を見ないとね、という気持ちになり、弘前城に向かいました。
「昨年の弘前ねぷたまつりに出陣したねぷたの鏡絵や見送り絵などを再利用」したという「津軽錦絵大回廊」 は昼間も見ていたはずなのですが、再訪してやっと「三面大黒天」が描かれているのに気づきました。
「三面大黒天」はこの掲示板で何度か話題にしましたが、正面が大黒天、右面が毘沙門天、左面が弁財天の三神一体となった奇妙な大黒天ですね。
一番下は「旧弘前市立図書館」の巨大な雪像です。
昼間も綺麗なのですが、ライトアップされると一段と映えますね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6237



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「弘前城雪燈籠まつり」(その2)

2012-02-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月15日(水)07時39分44秒

雪の降りしきる中で聞く津軽三味線はなかなか良いものでした。
一番下は「アルプスおとめ」という地元のりんごにちなんだグループ名の女の子たちですね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6236



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「心の色を染めよとぞ思ふ」

2012-02-15 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月15日(水)01時52分6秒

>筆綾丸さん
五味文彦氏の『西行と清盛』を入手してパラパラと眺めてみたのですが、p156には、

--------
西行はこの信西の辣腕と平氏の躍進を目にしつつ、再び高野に帰って籠もるが、やがて聞こえてきたのが、かつて仕えていた徳大寺実能が保元二年七月に病によって出家し、子の公能(きんよし)が八月に右大将になったことである。それも束の間、九月に実能が仁和寺の堂で亡くなったという報が届いた。さらにその服も明けないうちに公能の母(白河院の近臣として知られた藤原顕隆の娘)も亡くなった。そこで西行が高野山から公能に寄せたのが次の歌である。

 右大将公能、父の服のうちに母亡くなりぬと聞きて、高野より弔ひ申しける
重ね着る藤の衣を便りにて心の色を染めよとぞ思ふ(七八五)
(喪服を二つ重ねて着るのを機縁に、仏の道に心を入れたらいかがでしょうか)

西行は出家しない公能に不満を示し、出家を勧めたのである。(後略)
--------

とありますね。
西行が公能に出家しろと言うのはいかにも僭越な、傲慢な感じがして、徳大寺家に仕えていた西行にふさわしいとは思えない感じがしたのですが、公能の返しを見ると、「出家を勧めた」は正しいのですね。
ただ、「出家をしない公能に不満を示し」は強すぎて疑問を感じます。

辻野武彦氏「西行学習ノート」
http://www.d4.dion.ne.jp/~happyjr/saigyo9/p78_ryoushin1.html

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「弘前城雪燈籠まつり」(その1)

2012-02-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月15日(水)00時52分45秒

11日(土)は昭和・男鹿半島ICから秋田自動車道を終点の能代南ICまで行き、JR奥羽本線と並行する国道7号線(羽州街道)を内陸部に進んで碇ヶ関で東北自動車道に入り、弘前に向かいました。
弘前城址では「弘前城雪燈籠まつり」が行われていて、私はそれなりに盛況のように感じたのですが、後で毎日新聞を見たところ、人出は少なかったそうですね。

-----------
弘前城雪燈籠まつり:雪、見るのも嫌? 昨年比33%減の26万人 /青森

 弘前市の弘前公園で9~12日の4日間開催された「弘前城雪燈籠(どうろう)まつり」の人出が昨年比33%減の26万人にとどまったことが13日、市観光物産課のまとめで分かった。暖冬少雪だった07年と並ぶ低い水準だという。記録的豪雪で「雪を見るのも嫌」という人が増えた影響もありそうだ。
 昨年は過去20年間で最高の39万人を記録した。会期中に休日が3日間あり、天候に恵まれ、東北新幹線の全線開業効果が発揮されたという。一転して今年は、13万人もの大幅減に。同課の桜庭淳課長は「今年は休日が1日少なかった上、例年にない大雪で市民は雪かき疲れ。交通機関の乱れに加え、インフルエンザ流行が子供の外出を引き留めた」と分析している。
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20120214ddlk02040010000c.html

雪が多いとはいっても、以前住んでいた新潟県の長岡近辺と同じ程度であり、越後湯沢や十日町のような名だたる豪雪地帯と比べるとさほど圧迫感はなく、まあ、こんなものかな、という感じでした。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6234


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冬の日本海

2012-02-15 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月15日(水)00時07分36秒

写真は11日(土)の朝、男鹿温泉郷から能代方面に向かう国道101号線沿いの間口浜付近の景色です。
海沿いなので雪は極めて僅かですが、風がきつくて無茶苦茶寒かったですね。
この後、少し道に迷ってしまったため直接に能代方面には向かわず、いったん昭和・男鹿半島ICに戻ることにしたのですが、寒風山と八郎潟干拓地の間の平野は地吹雪がすごかったですね。
実は私は地吹雪が結構好きで、写真に撮りたいなあとは思ったのですが、凍った道で駐車すると追突事故を引き起こしかねないのであきらめました。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6233


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真山神社

2012-02-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月14日(火)23時39分3秒

男鹿温泉の旅館で早めの夕食を摂ってから、観光協会が用意してくれた臨時バスに乗って「なまはげ柴灯(せど)まつり」の会場である真山神社に行ってみました。
神社の手前にある「なまはげ館」という施設が非常に充実していて、特に男鹿半島の60ほどの地区ごとに様々に異なる「なまはげ」像を集めた一画は迫力がありました。
境内は意外なほど雪は少なかったものの、冷え込みは厳しかったですね。
お祭り自体はそれほど古い伝統がある訳ではなく、観光客向けの演出が適当に織り込まれたものなのですが、それは決して悪いことではないですね。
極寒の時期に地元の人が集まる機会となるだけでも意義がありますし、こうした行事がないと観光客も行くきっかけがつかめませんからね。
写真はかなりの枚数を撮ったのですが、暗い中で激しい動きのある場面を写しているので、あまり良い出来ではありません。
カメラ購入時の附属ソフトを使えば、ある程度修正はできるのですが、修正すると妙に深刻な芸術写真風になってしまい、祭りの適当に軽い雰囲気が出ませんね。

「なまはげ館」
http://www.namahage.co.jp/namahagekan/

写真は凍り付いた手水舎と、妙に深刻な芸術写真風の二枚です。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6232


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赤神神社

2012-02-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月14日(火)22時28分17秒

10日(金)は秋田自動車道の昭和・男鹿半島ICで下りて、海沿いに船川港・鵜ノ崎海岸・椿漁港・潮瀬崎(ゴジラ岩)・赤神神社五社堂を廻ってみました。
男鹿水族館GAOへ向かうコースなので除雪はきちんとされていますが、起伏が激しく、おまけに寒風に曝されて路面が凍っているので、慎重に運転する必要がありますね。
赤神神社は漢の武帝を祀っているという珍しい神社で、少し謎めいた雰囲気があります。

赤神神社
http://www.fun-ms.com/akagami/
http://www.fun-ms.com/akagami/akagamijinja/index.html

写真は「男鹿総合観光案内所」の様子です。
ここで私がコーヒーを飲んでから外に出ようとすると、ちょうど出刃包丁を持って入ってくる「なまはげ」氏と鉢合わせしてしまいました。
私が親子連れだったら先方も働き甲斐があったのでしょうが、無愛想な中年男一人では「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」と叫ぶ訳にも行かず、お互い少し気まずい思いをしました。
「なまはげ」氏は観光協会の人と和やかに歓談してから再び外に出て、手ごろな親子連れを求めてうろうろしていましたね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6231



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雪の弘前にて

2012-02-12 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月12日(日)06時49分46秒

「なまはげ柴灯まつり」は観光客向けに創られた新しい祭りなのですが、なかなか良かったですね。
現在のなまはげは新暦の大晦日に行われていますが、もともとはちょうど今頃、寒さが一番厳しい時期に行われていたそうで、民俗行事としては適切な時期に開催されているともいえますね。
昨日の午前中、秋田県の男鹿半島から青森県弘前に移動し、弘前城址を中心に行われている「弘前雪灯り」を見て廻りました。
長勝寺も見学し、北条貞時の名前が彫られている嘉元年間の鐘の写真を撮ってきました。
男鹿半島は例年より雪が少なめでしたが、弘前はかなり多いようですね。
ただ、私は新潟県中越地方で二冬を過ごしたので、あまり雪は気になりません。
今日は下北半島に行くつもりです。

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なまはげ

2012-02-10 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月10日(金)09時51分4秒

>筆綾丸さん
今日はこれから男鹿半島の「なまはげ柴灯(せど)まつり」に行ってきます。
一昨年3月以来、久しぶりの男鹿半島ですね。
レスが少し遅れますが、ご容赦を。

「なまはげ柴灯(せど)まつり」
http://www.oganavi.com/data/024.php

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