学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『蕩尽する中世』

2012-02-09 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月 9日(木)10時42分37秒

>筆綾丸さん
『蕩尽する中世』、読了しました。
「おわりに」に、「蓬莱山の鶴亀からつくも茄子まで、院政の開始から統一政権の萌芽まで、中世の富と生産をめぐるずいぶんと長い旅をしてきた。ほぼ四〇〇年の年月を一望したことになる」とありますが、実にすっきりした展望ですね。
特に荘園公領制の誕生・展開・消滅に関係する部分は、理屈っぽさが全然ないあっさりした叙述なのに、初学者にとっては非常にありがたい教科書になりそうです。
いったん深みにはまると容易に抜け出せない沼地を前に、地理に精通した案内人がテキパキと全体像を描いてくれるような感じですね。
「第四章 御家人千葉氏を支える人々─鎌倉時代(二)」では、「事情説明と泣き言が渾然一体となったような」(p156)法橋長専の書状等、千葉氏関係の貧乏くさい史料が多用されていますが、千葉氏は少々特殊な感じもして、これらにもとづいて有力御家人の経済状態に関する一般論をどこまで展開してよいかは難しい問題なんでしょうね。

>「中院右大臣」雅定が西行の庵を訪れ
ご指摘のように、これは明らかに五味氏の誤読ですね。
『西行と清盛ー時代を拓いた二人』、早速読んでみます。

>連歌
武家社会だと『吾妻鏡』に頼朝と梶原景時の連歌が描かれていますね。
『増鏡』にも二人の連歌が、あまり上手いとは言えないね、といった感じで紹介されています。
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微妙に面白い『平清盛』

2012-02-06 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月 6日(月)00時19分20秒

昨日の第4回の再放送に引き続き、今日も大河ドラマ第5回を見てしまいました。
最初の方は鳥羽上皇(三上博史)・待賢門院(檀れい)・美福門院(松雪泰子)のドロドロ愛憎絵巻で、故角田文衛博士のようなネチネチ・ネバネバした油っぽい老人好みの変態的世界でしたが、私にとってはどうでもよい話でした。
中盤、松山ケンイチと玉木宏・藤木直人(佐藤義清=西行)の青春ドラマに変わり、ついで西海の海賊退治の準備段階を経て、巨大な海賊船との接近遭遇で「続く」となりました。
上川隆也(47歳)が「鱸丸」という若い役をやっているのが若干奇妙な感じがしたのですが、出世魚の鱸丸は後に平盛国になるんですね。

実は私、スカーフ制作の工程を身近に経験したこともあって、ストーリーではなく、衣装にばかり注目していました。
「人物デザイン監修」柘植伊佐夫氏によれば、衣装の古びた感じは着物に「ストーンウォッシュ」をかけて作ったものだそうで、小汚いだとか貧乏くさいだとかの批判はあるでしょうが、私は好きですね。
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/cd/02.html

また、「透け感」も興味深いですね。

-------------
1年間に渡って放送するドラマで、いつも黒いものが頭の上に乗っていると、画面構成上も重たくなるし、ドラマを見ている方々も圧迫感を感じるはずです。それを解消するのは、透けさせるしかないと考えました。問題は、どのくらい透けさせるかです。少しだと重いままだし、透け過ぎると様式として重みが損なわれてしまう。
そこでたどり着いたのが、光が順光だと反射して透けないけれど、逆光だと透けるというギリギリのポイントです。この透け感の烏帽子はアイデアを形にするのに3か月間くらいかかりました。
逆光だと、人物の頭はそこにあるのに、烏帽子を通して奥にある美術セットや景色が見えるという、一瞬距離感がわからなくなるような不思議な映像効果がうまれます。そこが、すごくおもしろいですね。
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/cd/03.html

私は事前にこの解説を読んでいたのですが、それでも平忠盛(中井貴一)の烏帽子が透けて見える場面では、一瞬、ハッとしました。
実に鮮やかでしたね。
『北条時宗』の時はストーリーにしか関心がなくて、ぶーたらぶーたら文句ばかり言っていたのですが、自分の関心の持ち方が変わると大河ドラマの見方も違ってきますね。
まあ、普通の歴史ファンとはあまり共有できない部分が多いでしょうが。

>筆綾丸さん
保立氏の問題は、同氏が事務局長を務めていた歴史学研究会全体の問題でもありますね。
保立氏が言及している『歴史学研究』の東日本大震災特集号の諸論文は、史料レスキューに直接関係するもの以外は変な論文が多いですね。
歴史学研究会は、「科学運動」を標榜する団体にしては、総じて「科学」理解の水準が低すぎます。
後で具体的に検討してみるつもりです。
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「儀式儀礼考証」

2012-02-04 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月 4日(土)15時22分8秒

先程、大河ドラマ『平清盛』を土曜の再放送で見ました。
ストーリーは「紫苑」掲示板に載っていた通りでしたが、個性的な「殿上闇討」も中井貴一が演じると妙に納得してしまいますね。
万城目学作『プリンセス・トヨトミ』の映画版で中井貴一が「大阪国総理大臣」を演じるのを見て、納得どころか少し感動してしまったことを思い出しました。
たいした俳優ですね。
藤原忠通役の顔の長い俳優も独特の雰囲気があって面白い人だなあと思ったのですが、あれは堀部圭亮なんですね。
芸能界に疎い私は、堀部圭亮というと、ずっと昔、『笑っていいとも!』とかに出ていた頃の印象が今だに強いのですが、性格俳優としてもなかなかの人ですね。
また、最初の方で清盛と源義朝(玉木宏)が殴り合いをやっていましたが、私は以前、玉木宏が激ヤセして、頬など殆ど削げ落ちるようになってしまったのを見て、「ああ、気の毒に。この人はもうすぐガンで死ぬんだろうな」と思ったことがあります。
無茶苦茶な勘違いだったのですが、健康そうな玉木宏を見るたびに、あの頃、勝手に死なせてしまって申し訳なかった、と密かに思う私です。

たまたま今日の産経新聞に大河の「チーフプロデューサーの磯智明氏(45)のインタビュー」が出ていますね。

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 平安時代といえば「源氏物語」に代表されるような雅なイメージだが、大河ドラマ「平清盛」のコンセプトは「たくましい平安」。磯氏は「時代考証を経て、映像イメージを膨らましていくが、そのイメージが時代考証によってどう検証されていくかについて取り組んできた」という。今回のドラマでは時代考証に2人の専門家が入っている。「先生方は、それぞれ学説をお持ち、必ずしも一致してはいないが複数の方の意見を取り入れることで、よりバランスのとれた映像表現を目指している」という。
 また大河ドラマでは初めて「儀式儀礼考証」を行っている。考証を担当しているのは立正大学准教授の佐多芳彦氏。「貴族にはさまざまな儀式があり、それらの資料は文章として残ってはいるものの、絵で残っているわけではないので、映像にした場合にどう表現できるのかを検証した」という。『たくましい平安』というコンセプトを専門家と学説などで折り合える部分をさぐり具現化したのだ。儀式考証の理由としては「貴族は高級官僚で、まつりごとというのは今の政治的な部分もあるし、年中行事を遂行していくのが貴族の大きな仕事の一つ。運営できてこそ上流貴族としてのステータスが生まれる。よって貴族社会を描く上で神事、祭事、儀式はドラマの中でも重要」。その上で「それは人間同士の交流の場なので、登場人物が出会う場でもあり、ドラマの一つの目玉にもなっている」と話す。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120204/ent12020412010011-n1.htm

「儀式儀礼考証」が大河ドラマ初というのは知りませんでした。
私は佐多芳彦氏は名前を知っているくらいなのですが、論文タイトルを見ると、きちんと中世絵画史の勉強をやるとしたら、読まねばならない論文が多そうですね。

http://kgpro-ac.com/riuhp/KgApp?kyoinId=ymisgsgiggy

>筆綾丸さん
保立氏の「自然の「無縁」の力と原発事故」という記事を見ると、保立氏は自分が網野善彦氏の後継者だと思っているようですが、原発事故に伴う「差別」に全く無頓着な保立氏が網野氏の後継者気取りなのは許せない感じがします。

http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-609c.html

>職人太郎さん
人間関係などに特に配慮せず、書くべきと思ったことを書く、というのがこの掲示板の基本姿勢なので、あまり気にしないでください。
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石巻市蛤浜

2012-02-03 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月 3日(金)22時55分18秒

久しぶりの更新は石巻市の蛤浜です。
宮城県では漁港の大幅な再編が予定されていますが、零細な蛤浜漁港は廃止が確実となっています。
昨年9月7日に訪問したのですが、地元の気さくなおばさんといろいろ話すことができて、個人的には非常に印象深い港ですね。

http://chingokokka.sblo.jp/article/53430234.html


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騒々しい「カナリヤ」たち

2012-02-03 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月 3日(金)11時02分49秒

「東京大学原発災害支援フォーラム」のトップページから「世話人」安冨歩氏の「ツイートまとめ」というのを少し見てみたのですが、私には理解し難い世界に住んでいる人ですね。
群馬大学の早川由紀夫氏と仲が良いようで、

----------
「貧乏人は福島のコメを食って死ね」というのは、ちゃんと、たいさくしないと、いまのままなら、そうなってるよ、ってことだよ。
やすい、がいしょくとか、べんとうとかに、ふくしまのこめが、ながれてるに、きまってるじゃない。それをたべるのは、おかねないひとだよ。@HayakawaYukio
01-30 09:17

などと早川氏と和やかに会話されていますね。
ひらがなが多いのは「仮面ライダー」の世界のお約束事のようですが、登場人物は「ショッカー」の世界に蠢いている人たちのような感じがします。
考えてみれば、保立道久氏が現時点で早川由紀夫氏への世間的評価を耳にしていないはずはないですから、「地震火山40、火山ガスの飛散と放射」を「東京大学原発災害支援フォーラム」サイトに載せるということは、現時点でも保立氏は早川氏を好意的に見ているということなんですかね。

保立氏の「危機意識・危機管理・大学・原発」を読むと、

--------------
「政・官・学」という言葉があるが、このうちで「学」は社会的な神経網としては危機意識と警鐘あるいは沈静の効果にかかわるのではないかということである。もちろん、それらは社会を構成する個々人がおのおのの責任において担うものだが、しかし、大学や学術ネットワークというものは危機意識の維持にとくに貢献しなければならないのではないかと思う。その場合、あるいは危機を大きく見過ぎたということもあるだろう。しかし、カナリヤのようなもので、そのような敏感さは必要のように思う。

とありますが、例えば保立氏のように、原発事故発生後6か月経った時点で「被爆」と「被曝」の区別がついていなかったような人が、大学人、特に東京大学教授の肩書で社会に「警鐘」を鳴らしてよいのですかね。
うるさいだけの「カナリヤ」は社会の迷惑だとは思わないのですかね。
ちなみに昨年9月、肥田舜太郎氏の『内部被曝の脅威』を読んだ保立氏が生物学の知識が全くないことを露呈する莫迦丸出しの文章を書いていたのを見て、私は保立氏を「ジャンクサイエンスの上に新たな妄想を積み上げている困った人」と評しましたが、この評価を変更する必要は今も感じていません。

誤字〔2011-09-05〕
肥田舜太郎氏〔2011-09-06〕
WARNING〔2011-09-08〕

>筆綾丸さん
保立氏の法律論は確かに明晰さを欠いていますが、ご指摘の文章に限っては、解釈論と立法論を一応分けていて、解釈論においては罪刑法定主義を前提としているように見えます。
それと、刑法の講学上の用語としては「構成用件」ではなく「構成要件」ですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

n項詐欺罪のタートベシュタント? 2012/01/29(日) 23:37:20
小太郎さん
安富歩氏は、担当医師がうっかり処方を間違えて、あるいは、まだ大丈夫だろうと油断しているうちに、まるで寝首をかくように、一気に病勢が進んでしまったのでしょうね。

保立道久氏「地震火山40、火山ガスの飛散と放射能」より
・・・・・・・・・・・
しかし、原発の「安全神話」というのは、「見えているものを見えなくする」ためのさまざまな操作である。そういうものは神話とはいわない。見えているものを見えなくするのは詐偽であって、神話ではない。「安全宣伝」というべきもの。多額な広告料によるマスコミの買収、危険を指摘する研究者への抑圧、「公共事業」の名のもとでの税金から詐取その他その他。実際にそういうことがあったことが多くの人々の目にふれてしまった。ようするにこれは、社会の中枢で権限を握っている人々による半意識的な詐欺行為である。それがなかば虚偽であることを心の片隅では知りながら自己呪縛する。これがシステムとしてあるのが怖い。
詐欺罪を詐欺罪としてあつかえないのは、現代の日本社会には、「罪」という価値基準がないためである。
・・・・・・・・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%90%E6%AC%BA%E7%BD%AA
保立道久氏は、罪刑法定主義や犯罪の構成用件というような刑法概念について全く無知なのに、呆れたことに相変わらず、堂々と奇怪な駄文を書いていて、誠に困った人ですね。
「半意識的な詐欺行為」の「半意識」という言葉は初耳ですが、どんな意識なのだろうか。茂木健一郎氏などによる怪しげな脳科学が長足の進歩を遂げて、こんな意識状態が解明されつつあるのだろうか。
「半意識的な詐欺行為」は、当然のことながら、一項詐欺罪にも二項詐欺罪にも該当しないから、1・2・3・・・・・nときて、保立氏が勝手にに新設した「n項詐欺罪」にでも該当するというのだろうか。
引用の内、最後の一文などは意味不明で、何が言いたいのか、まったくわからない。保護法益は何なのか。誰が「詐欺罪を詐欺罪としてあつかう」のか。日本国の現行の刑事訴訟法第247条は、「公訴は、検察官がこれを行う」(国家訴追主義)となっていて、検察官以外誰も訴追できず、しかも、検察官は「社会の中枢で権限を握っている人々」の一部ではないのかな。罪刑を法定しておかなければ、どれほど恐ろしいことになるか、それは歴史をみればわかるのに、歴史家(?)を自認する保立氏にはそういう認識(半意識?)が欠落しているとしか思えない。だからこそ、現代の日本には罪の価値基準がない、などというタワゴトが言えるのだろうな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%88%90%E6%95%97%E5%BC%8F%E7%9B%AE
この人の専門は中世かどうか知りませんが、『貞永式目』の各条文や法理念など、まるで理解できないのではないか、という気がしてきました。こういう人が勤務している「東京大学史料編纂所」という所は、黴臭いような名称に反して、柳桜をこき混ぜた華麗な研究機関なんだろうな、とあらためて思いますね。つまり、史料の厳密な解釈などはそっちのけで、ああ綺麗な柳だな、おお、見事な桜だな、などと、適当に感覚的なことを弄している所なのかもしれない。
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