投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月 3日(月)10時15分3秒
中村政則は、諏訪の製糸工女全体に占める割合で1903年(明治36)に65.2%、1918年(大正7)に59.5%とダントツの一位である長野県を含め、工女の出身が貧農だ貧農だと騒ぐのですが、ちょっと不思議なのは、中村は長野県の農民がいったいどんな農作物を育てていると思っているのか、という点です。
長野県は江戸時代から養蚕が盛んだった土地柄ですが、明治に入ってからの製糸業の発展にともない、長野県全体の農地がどんどん桑畑になり、自作農はもちろん小作農民も養蚕に精を出すようになります。
そして、大雑把に言って生糸の製造原価の8割強は原料繭の購入代金であり、出荷額と比較しても、その8割弱が原料繭の購入代金です。
ということは、諏訪の製糸業者が生糸をガンガン売りまくると、その8割弱が養蚕農家に廻ってくる訳ですね。
もちろん長野県にも地主制は存在していましたから、製糸業者への原料繭の売主が地主の場合には、実際に養蚕に関わる小作農民に廻ってくるお金は地主の取り分を差し引いたものになり、場合によっては微々たるものなのかもしれません。
しかし、それは地主・小作農民間のパイの配分の問題であり、パイ自体はけっこう巨大なものが長野県の農村に廻ってくる訳です。
とすると、長野県のかなり多くの農家は原料繭を諏訪の製糸業者に出荷して儲け、更に子女が諏訪の製糸工女になって高賃金を得て、生糸バブルでウハウハだったのじゃないかな、などと想像されます。
少なくとも1893年8月26日の『信濃毎日新聞』の記事は、そうした状況を想定しないと理解しづらいですね。
「唯一の目的は嫁入支度に在り」(『信濃毎日新聞』1893年8月26日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/77c651255e9d6c135983898444d5ff0d
ま、私も長野県の地主・小作関係については全く無知なので、中村がそれをどのように認識しているのかを含め、少し調べてみたいと思います。
若原一郎「おーい中村君」
作詞:矢野亮,作曲:中野忠晴
https://www.uta-net.com/movie/43671/
中村政則は、諏訪の製糸工女全体に占める割合で1903年(明治36)に65.2%、1918年(大正7)に59.5%とダントツの一位である長野県を含め、工女の出身が貧農だ貧農だと騒ぐのですが、ちょっと不思議なのは、中村は長野県の農民がいったいどんな農作物を育てていると思っているのか、という点です。
長野県は江戸時代から養蚕が盛んだった土地柄ですが、明治に入ってからの製糸業の発展にともない、長野県全体の農地がどんどん桑畑になり、自作農はもちろん小作農民も養蚕に精を出すようになります。
そして、大雑把に言って生糸の製造原価の8割強は原料繭の購入代金であり、出荷額と比較しても、その8割弱が原料繭の購入代金です。
ということは、諏訪の製糸業者が生糸をガンガン売りまくると、その8割弱が養蚕農家に廻ってくる訳ですね。
もちろん長野県にも地主制は存在していましたから、製糸業者への原料繭の売主が地主の場合には、実際に養蚕に関わる小作農民に廻ってくるお金は地主の取り分を差し引いたものになり、場合によっては微々たるものなのかもしれません。
しかし、それは地主・小作農民間のパイの配分の問題であり、パイ自体はけっこう巨大なものが長野県の農村に廻ってくる訳です。
とすると、長野県のかなり多くの農家は原料繭を諏訪の製糸業者に出荷して儲け、更に子女が諏訪の製糸工女になって高賃金を得て、生糸バブルでウハウハだったのじゃないかな、などと想像されます。
少なくとも1893年8月26日の『信濃毎日新聞』の記事は、そうした状況を想定しないと理解しづらいですね。
「唯一の目的は嫁入支度に在り」(『信濃毎日新聞』1893年8月26日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/77c651255e9d6c135983898444d5ff0d
ま、私も長野県の地主・小作関係については全く無知なので、中村がそれをどのように認識しているのかを含め、少し調べてみたいと思います。
若原一郎「おーい中村君」
作詞:矢野亮,作曲:中野忠晴
https://www.uta-net.com/movie/43671/