投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 7月10日(金)21時36分10秒
>筆綾丸さん
>玄奘の間違いなのか、
今日、図書館から前田耕作氏の『アフガニスタンの仏教遺跡バーミヤン』(晶文社、2002)を借りてみました。
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2001年、バーミヤンの大仏はタリバンによって爆破され地上から消失した。ヘレニズム都市や多くの遺跡が未発掘のまま眠るこの国でフィールドを重ねた第一人者が、貴重な資料を駆使し、バーミヤンの谷に秘められた東西文化交流の輝きを再現する。中央アジアの歴史と文化の広がりが見えてくる雄大な文化史。図版200点、カラー24頁。
まだ、全然読めていないのですが、パラパラめくってみたところ次のような記述があったので、取り急ぎご紹介まで。(p124以下)
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玄奘は西の大仏を拝したあと、その東にある伽藍を訪れた。この伽藍はおそらく摩崖の前にあったと思われる。【中略】
この伽藍の東に「鍮石〔とうせき〕の釈迦仏の立像」があった。鍮石とは「一種の真鍮」であるという。つまりこの高さ「百尺余」の大仏は鋳造の金仏であり、「身を部分に分けて別に鋳造し、合わせてできあがった」ものであると玄奘は記している。しかしいま、私たちが目にするこの大仏は石造であり、鍮石の像ではない。玄奘が鍮石としたのは「もともと地塗りを赤でし、その上に金を置いた」(フーシェの説)のを見誤ったのか、この石像が鋳造の外被で覆われていた(タルボットの説)のか、諸説いずれも断じがたいが、すでに彩色の剥落した地〔じ〕のままの大仏を眺めると、腰のところが継いだように見え、彫像そのものが分造された印象を与える。その上に金を置いたとすれば、「分鋳」と見誤ることは充分ありうることである。大仏をよく見ると、西の大仏の衣に朱色がよく残り、東の大仏の衣に黄色がかすかに見える。イスラーム時代、この二体の大仏が「赤像〔スルフ・ブト〕」、「白象〔ヒン・ブト〕」と呼び分けられていたことが理解できる。イランの文献学者モハンマド・カズヴィーニーはバーミヤンに「金色堂」があったといっているが、大仏がまだ黄金の輝きを失っていなかった二つの大仏龕の存在を示唆しているのであろう。
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>キラーカーンさん
サッカー選手の方が有名でしょうが、こちらは「俊輔」ですね。
※筆綾丸さんとキラーカーンさんの下記四つの投稿へのレスです。
Saxa loquuntur 2020/07/09(木) 14:51:19(筆綾丸さん)
小太郎さん
『フロイトのイタリア』「? 石は語る」を眺めてみました。
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ところで、なぜ父親の死が蒐集のきっかけとなったのか。それには幾つかの理由が考えられるだろう。(中略)異教の偶像たちを集めるという行為は、つまるところ、ユダヤのタブーを二重に侵犯することにほかならない。すなわち、一神教にたいして多神教的、偶像崇拝の禁止にたいして偶像崇拝的な行為なのである。それゆえ、熱心なユダヤ教徒であった父親の生前には、さすがに抑制が働いていたのであろう。ところが、この抑制から解放されてからは、一転して息子は、まるで堰を切ったかのように、発掘品や骨董品を漁りはじめるのである。(中略)あたかも、ユダヤのアイデンティティをみずからすすんで突き崩していくかのように。(170頁)
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サクサ・ロクウントウール(石は語る)はラテン語の三人称複数形で Saxa loquuntur と書くようですが、興味深い記述ですね。フロイトは、人が手を加えた石(彫刻)には異常な所有欲があるものの、自然が手を加えた石(浜辺の小石など)には全く興味がないのですね。もっとも、アナロジーふうに言えば、精神病理は前者に関わるものであって後者ではないから、精神分析学者フロイトにしてみれば当然のことなんですが。
小太郎さん
『フロイトのイタリア』「? 石は語る」を眺めてみました。
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ところで、なぜ父親の死が蒐集のきっかけとなったのか。それには幾つかの理由が考えられるだろう。(中略)異教の偶像たちを集めるという行為は、つまるところ、ユダヤのタブーを二重に侵犯することにほかならない。すなわち、一神教にたいして多神教的、偶像崇拝の禁止にたいして偶像崇拝的な行為なのである。それゆえ、熱心なユダヤ教徒であった父親の生前には、さすがに抑制が働いていたのであろう。ところが、この抑制から解放されてからは、一転して息子は、まるで堰を切ったかのように、発掘品や骨董品を漁りはじめるのである。(中略)あたかも、ユダヤのアイデンティティをみずからすすんで突き崩していくかのように。(170頁)
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サクサ・ロクウントウール(石は語る)はラテン語の三人称複数形で Saxa loquuntur と書くようですが、興味深い記述ですね。フロイトは、人が手を加えた石(彫刻)には異常な所有欲があるものの、自然が手を加えた石(浜辺の小石など)には全く興味がないのですね。もっとも、アナロジーふうに言えば、精神病理は前者に関わるものであって後者ではないから、精神分析学者フロイトにしてみれば当然のことなんですが。
祭壇画 2020/07/09(木) 15:34:20(筆綾丸さん)
https://www.nytimes.com/2020/01/27/arts/design/mystic-lamb-ghent-altarpiece-van-eyck.html
宗教画の修復に関して、年初、ヘントの神秘の仔羊が話題になりましたね。
原画完成(1434)の後、プロテスタントの宗教改革とカトリックのトレント公会議によって神学の解釈が変わり、その影響を受けて、16世紀中葉、第三者の手で描き変えられたため、ファン・アイクの意図は隠蔽されてしまい、神の仔羊は passive lamb に成り果てたが、修復により active lamb として蘇った、つまり、仔羊の目は Christ is aware of his sacrifice. を表しているのだ、というのが、フェイク・ニュース(修復後の仔羊の顔はアンドロイドのようだ)に苛々しているデユボア女史の見解のようですね。
https://www.nytimes.com/2020/01/27/arts/design/mystic-lamb-ghent-altarpiece-van-eyck.html
宗教画の修復に関して、年初、ヘントの神秘の仔羊が話題になりましたね。
原画完成(1434)の後、プロテスタントの宗教改革とカトリックのトレント公会議によって神学の解釈が変わり、その影響を受けて、16世紀中葉、第三者の手で描き変えられたため、ファン・アイクの意図は隠蔽されてしまい、神の仔羊は passive lamb に成り果てたが、修復により active lamb として蘇った、つまり、仔羊の目は Christ is aware of his sacrifice. を表しているのだ、というのが、フェイク・ニュース(修復後の仔羊の顔はアンドロイドのようだ)に苛々しているデユボア女史の見解のようですね。
駄レス 2020/07/10(金) 00:16:04(キラーカーンさん)
お久しぶりです
>>中村俊介
別人のサッカー選手を思い浮かべてしまいました
鍮石の釈迦仏とは? 2020/07/10(金) 14:22:16(筆綾丸さん)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-18H03591/
玄奘『大唐西域記』に、
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王城の東北の山のくまに立仏の石像の高さ百四、五十尺のものがある。金色にかがやき、宝飾がきらきらしている。東に伽藍がある。この国の先の王が建てたものである。伽藍の東に鍮石の釈迦仏の立像の高さ百尺余のものがある。身を部分に分けて別に鋳造し、合わせてできあがっている。(中村俊介『世界遺産ー理想と現実のはざまで』3頁~)
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とあります。
これによれば、バーミヤンの大仏は、鍮石(黄銅を含む石)の岩をくりぬいたものだから金色に輝いているという訳ではなく、奈良東大寺の大仏のように、各部を銅で鋳造して合成したものだから金色に耀いている、ということになってしまうと思いますが、これは石仏の表面に薄く銅が貼り付けてある、ということなのか、意味がよくわかりません。玄奘の間違いなのか、訳が曖昧なのか、私の認識不足なのか。・・・・・・
追記
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Anastylosis
アナスティローシスの語源はギリシャ語なんですね。ネクローシスやアポトーシスと同じ医学用語みたいですが。
お久しぶりです
>>中村俊介
別人のサッカー選手を思い浮かべてしまいました
鍮石の釈迦仏とは? 2020/07/10(金) 14:22:16(筆綾丸さん)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-18H03591/
玄奘『大唐西域記』に、
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王城の東北の山のくまに立仏の石像の高さ百四、五十尺のものがある。金色にかがやき、宝飾がきらきらしている。東に伽藍がある。この国の先の王が建てたものである。伽藍の東に鍮石の釈迦仏の立像の高さ百尺余のものがある。身を部分に分けて別に鋳造し、合わせてできあがっている。(中村俊介『世界遺産ー理想と現実のはざまで』3頁~)
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とあります。
これによれば、バーミヤンの大仏は、鍮石(黄銅を含む石)の岩をくりぬいたものだから金色に輝いているという訳ではなく、奈良東大寺の大仏のように、各部を銅で鋳造して合成したものだから金色に耀いている、ということになってしまうと思いますが、これは石仏の表面に薄く銅が貼り付けてある、ということなのか、意味がよくわかりません。玄奘の間違いなのか、訳が曖昧なのか、私の認識不足なのか。・・・・・・
追記
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Anastylosis
アナスティローシスの語源はギリシャ語なんですね。ネクローシスやアポトーシスと同じ医学用語みたいですが。