▲朱元璋(洪武帝)
●中国(明)
Zhu Yuanzhang establishes the Ming dynasty, with a capital at Nanjing.
勇(いさ)むはみんな 朱元璋(げんしょう)。
1368年 明 南京 朱元璋 元に勝利した
中国を支配していた元においても、交鈔の濫発などによって引き起こされた経済の混乱や塩の専売の強化などによって民衆が苦しみ、白蓮教徒などを中心にした農民反乱紅巾の乱へと発展した。
その中から頭角をあらわした朱元璋(洪武帝)が1368年に明を建国して大都を占領すると、元はモンゴル高原へと撤退していった。
《朱元璋の専制君主体制の確立》
朱子学を官学として科挙制を整備した朱元璋は《「朱子学」と「朱」の字が共通!》、一世一元の制を採用し《「元」の字が共通!》、それまで最高の行政機関だった中書省を廃止して六部(りくぶ)を皇帝に直属させた。
また、唐の府兵制を範とした衛所制を用いた《廃止した「中書省」にも採用した「衛所制」にも「朱元璋」の〈ショ〉の音がある!》。
また、土地と農民の掌握のため、土地台帳の魚鱗図冊や民戸を対象とした戸籍・租税台帳の賦役黄冊をつくり、徴税や治安の単位として、村落行政制度である里甲制(りこうせい)を敷いた《「賦役黄冊」「里甲制」ともに「洪武帝」の〈コウ〉と音が共通!》。
▼魚鱗図冊(土地の図形が魚の鱗に似ているため、魚鱗図冊と呼ばれる)