▲プラノ・カルピニのモンゴル帝国領内の行路
(北部の青い線)
●イタリア‐モンゴル(モンゴル帝国)
Giovanni da Pian del Carpine is sent on his way to the city of Karakorum for Guyuk’s inauguration as great khan..
ひとつよろしく 軽いのよ。
1246年 グユク=ハーン
プラノ=カルピニ
インノケンティウス4世
イタリアのフランチェスコ修道会の僧、プラノ=カルピニは、1241年に起こったモンゴル軍の東欧侵入(ワールシュタットの戦い)の後、モンゴル人にヨーロッパ征服を思いとどまらせるため、教皇インノケンティウス4世の命で派遣され1246年、カラコルムに到着。
その直後、モンゴル帝国の第3代ハーンとなるグユク=ハンの即位式に同席した。
この際に、カルピニ一行はグユクに謁見してローマ教皇の親書を手渡し和睦交渉を行なったが、グユクは和睦ではなく教皇をはじめとする西欧諸国の臣従を望んだため、果たすことはできなかった。
1254年にはフランス王ルイ9世がルブルックを派遣した。
▼グユク=ハン